番外編 ネルテ先生の生徒観察記録.20
アシュで目撃されてから、長い間行方が掴めていなかった歌姫。
スレイプサス監獄の目撃情報を最後に、忽然と姿を消していた存在。
それがこんなに近くにいたなんて、ネルテは未だ信じられない思いだった。
「灯台下暗しっていうのは、まさにこのことかな……」
職員室の席に座り、ネルテは頭を突っ伏する。
悪魔ゲリックに促されて、怯えながら話した、クロノの歌姫としての実態。
古代魔道具は、人知れず現れていた、歴代歌姫の成れの果ての姿。
そしてそれを実行した、女神深教の祈願持ちたち。
危険人物であった女神深教の連中を作り出したのが、ほかならぬ女神本人という事実。
すぐには飲み込むことが出来ないような、現実離れしすぎた話。
クロノがずっと、誰にも事情を話さなかったのも納得でしかなかった。
そんな話、ストシオンで実際に女神を目撃しなければ、誰一人信じることなどできなかっただろう。
「今彼女を保護科に移籍すれば、逆に正体が世間に露呈します。すみませんが、魔法科のままでお願いできますか、ネルテ」
「分かってるけどさぁ」
いつも以上に疲れた表情で机の書類に対処しているヘーヴに、ネルテは短く応える。
歌姫の正体が露呈すれば、世界はクロノを手中に収めようと狙い始めるだろう。
それはレペレル辺境伯の娘であっても、対処しきれない誘惑。
ただでさえランタルテリアのストシオンが吹き飛び、その状況を考えても、世界が混乱し始めている状況。
そこに更に混乱を招くような火種を持ち込むことも、生徒を危険に晒すことも出来ない。
歌姫に関することは、魔法科で箝口令を敷き、外部に漏らさないようにするので精一杯だった。
ただ、ここでひとつ厄介な問題が発生している。
ネルテはそう考えて、職員室の隅で外の様子を眺めて居る悪魔を一瞬盗み見た。
歌姫の魔法で時間逆行を行ったというクロノ。
その時間逆行を助言し、契約魔法を交わした相手である悪魔。
エレイーネー魔法学校の防衛網も役に立たず、平然と佇む地獄の悪魔は、校舎内を自由に闊歩していた。
避難した住民でもない、明らかな異様な人物の自由行動。
その姿に他科目の生徒たちも疑問を抱き始めている。
校長の不在に現れた悪魔は、果たして一体なぜ現れたのかと。
そして隠す様子もなく歌姫について話す悪魔に、学内とはいえ、秘密を守り続けるには限度があった。
魔法科の範囲だけとはいえ、運動場を消し飛ばしたことで、魔法科の他学年にもその異様性は自然と伝わってしまう。
クロノが歌姫だと他に情報が洩れてしまうのは、時間の問題なのかもしれない。
悪魔ゲリックはどこまでも合理的で、だからこそ信用できない。
女神を殺す。
それが悪魔の語る目的。
だが働かない女神を殺したところで、ゲリックが以前話していた、地獄の魂停滞問題は、解決しないのではないだろうか。
悪魔の手でどうにかなるなら、きっととっくにそうしているはずだから。
あの話は、女神を殺すための、それらしい正当性のある建前。
悪魔の女神殺しには、他にきっと目的がある。
「……」
「あんまり睨みつけない方がいいぞ」
じっとストライプスーツの背中を見ているネルテに、ボンブが唸りながら警告する。
他人の悪意を嗅ぎ分けることが出来る、忠犬の鼻という役職を持つ、狼男の魔人族ボンブ。
ボンブがゲリックの臭いを嗅いでも、悪意は嗅ぎ分けることは出来なかったという。
ただ、胡散臭い嘘の臭いは、薄っすらと漂っていたとか。
つまりゲリックは、悪意はないが、何かしら嘘をついている。
いや、正確には、本当の目的は何一つ話していないというのが正しいか。
そんな悪魔に、ルドーとクロノという魔法科の大事な生徒を契約魔法で縛られ、さらにはそれを盾に、他の生徒まで鍛える口実を与えてしまっている。
何か良からぬことに、魔法科の生徒たちは巻き込まれていないだろうか。
逆らえない状況に、ネルテは日を追うごとに、疑心暗鬼を深めていった。
「そんなに怖い顔で眺めなくとも。歌姫の歌が進展すれば、貴方方にとってもいいこともありますから」
「どうにも胡散臭いぞ」
振り返ったゲリックの言葉に、珍しく職員室に滞在していたレッドスパイダーが、彼岸花の画面越しに不機嫌な声をあげた。
ゲリックが滞在するようになってから、護衛科の担任は、校舎内を交代で見張るようになった。
それでも唐突に転移魔法を使われて悪魔を追えなくなる時もあるが、教師の負傷も多い以上、あまり勝手に動かれて不穏なことをされないように配慮する必要もある。
ただ、見張られているとわかっていて、この悪魔はそれを放置している。
いくらでも対処できると思われているのが、ネルテたちには鼻についていた。
「貴方方には願ってもないことと申し上げても、そうおっしゃいますかね」
「回りくどいのはやめてくれるかな。何が言いたいんだい?」
椅子から立ち上がって、ネルテはゲリックに向き合うように睨みつけた。
ゲリックは薄ら笑いを浮かべたまま、両手を後ろに回し、怪しげに目を細めていく。
「歌姫が本格的に歌えるようになれば、エレイーネーの道化師にも、回復が使えるようになりますでしょう」
「なんだって?」
悪魔の思いがけない話に、ネルテはその場で目を見開き、ヘーヴとレッドスパイダーも、ガタリと席から立ち上がった。
エレイーネーの道化師。
つまりそれは、ストシオンで負傷し重体のまま伏している、ネイバー校長を意味する。
クロノが歌をまともに歌えるようになれば、ネイバー校長の回復も見込める。
エレイーネーの指揮塔が倒れているからこそ、悪魔は入り浸っているのに、追い出されかねない情報を、平気で提示してきた。
ネイバー校長が戻ってきても、滞在出来るだけの情報を持ち合わせているのか。
それともネイバー校長を相手にしても、平気だという実力宣言か。
ゲリックの意図がわからず警戒しつつも、ヘーヴが真偽を問い始めた。
「シルバー・フェザーでも回復しきれないのに、クロノさんの歌姫なら、ネイバー校長を回復しきれると?」
「古代魔道具はあくまで道具。使い手がいなければ真価を発揮できませんので」
なので使用者である校長が倒れてしまえば、あの銀の羽ペンも本領発揮出来ないでしょうと、ゲリックは締めくくった。
古代魔道具の銀の羽ペン、シルバー・フェザーの持ち主は、ネイバー校長だ。
持ち主のネイバー校長が倒れたので、シルバー・フェザーは生命維持のための動きは出来ても、道具としての命令がないため、それ以上は動けない。
だからネイバー校長は、古代魔道具を所持していても、回復しきれないという話だった。
ゲリックの返答にネルテがボンブに振り向くと、ボンブは鼻をヒクつかせつつ、小さく首を横に振った。
嘘もついていないし、悪意もない。
暗にそう答えたボンブを見た後、ネルテはまたゲリックに視線を戻した。
「女神が空想の魔導書に吸収された際に発生した、抵抗による膨大なエネルギー。そこから生徒や教師を守るために、自衛を捨てて盾となった」
道化師でなければ死人が出ていたでしょうねと、ゲリックは薄ら笑いのまま目を瞑って首を振った。
「ただ、無茶を働きすぎた。女神のエネルギー相手ですから当然です。それで単純に、生命維持に必要な魔力までが枯渇してしまったんでしょう」
「……そうか。あんたが言ってた、歌姫の無尽蔵魔力の注入」
「然り。それができるようになれば、道化師にも魔力を注げる」
静かに語ったゲリックに、ネルテたちは顔を見合わせた。
「そこまでして、クロノに歌を歌わせたいのかい?」
「私の目的は最初に話したはずです。女神をぶっ殺す。それ以上でもそれ以下でもありません」
そう言ってしたり顔でニタリと笑うゲリックは、どこまでも胡散臭かった。
「女神を殺したあとはどうする。どのようなことが起きると言うんだ」
一歩前に出たレッドスパイダーが、彼岸花の画面越しに凄みを利かせた。
女神を殺す。
それはこの悪魔が目標として、ずっと話し続けていること。
だがそれが達成された後は。
安全性は担保されているのか。
世界に対する影響は、全く何もないと言えるのか。
ネルテたちは何も聞かされていない。
そしてレッドスパイダーの質問に、悪魔は驚愕の答えを返した。
「さぁ? どうなるのでしょうね。なにせ、やったことありませんので」
その場の全員が、言葉を失い愕然と佇む。
悪魔がなにか企んでるならまだしも、その返答はあまりにも無責任だった。
「あ、貴方も結末が分からずにやってるのですか!?」
「然り。しかし必要なことですので」
驚愕の声を上げたヘーヴにも、ゲリックはどこまでも静かに答えた。
必要だからやらねばならない。
ゲリックの目的は、あくまで女神殺し。
その後のことなど、最初から何も考えていなかったのだ。
ネルテはなんとか必死に悪魔に理由を問いかける。
「創造神を失い、その結果世界が滅びる可能性も、考慮しないっていうのかい!?」
「どちらにしろ、近いうちに世界は滅びますので。ならば可能性のある方法に賭けてみるのが道理でしょう」
再び窓の外を眺め始めたゲリックの発言に、ネルテたちは聞き間違いかと耳を疑った。
「近いうちに世界が滅びる……? 何を……?」
「中央魔森林。魔物を生み出す瘴気が、どうしてこれだけ世界に蔓延っているか分かります?」
突然話題を変えられて、ネルテたちは混乱した。
だがそんなネルテたちにも構わず、ゲリックは外を眺めたまま話を続ける。
「あれはこの世界の理から外れた、いわゆる不具合なんですよ。それが、大陸の半分を既に覆っている。言ってる意味分かります?」
視線だけを向けたゲリックに、ネルテたちは愕然とした。
世界の不具合。
それが瘴気の正体。
そして瘴気から溢れる魔物は、不具合が生み出した、理に反するもの。
だから繁殖もしないし、理不尽に周囲を攻撃し続けるのだった。
理不尽な不具合が、既に世界の半分を覆っている。
それがどれだけ危険な状態であるか、窓の外を眺めている悪魔はそう語った。
「女神は千五百年前より仕事をしていないと、以前話しましたね。この不具合対策も、本来女神の仕事なんですよ。つまり、女神が仕事をサボり続けたせいで、世界はもう滅びる寸前です。わかります?」
「じゃあ、じゃあ、魔物と瘴気を対策する、各国の勇者と聖女の役職は……?」
「女神が仕事をしたくないからと、人間に責任を丸投げして押しつけた。それだけのことです」
どれだけ必死に正当性を探り出そうとしても、悪魔から返ってくる答えは、残酷なまでに理不尽だった。
ルドー、リリア、フランゲル、アリア、ヘルシュ。
ネルテが担当する魔法科だけでも、各国を守る宿命を背負わされた勇者と聖女は、五人。
ネルテは将来国を守る重い重圧を背負う勇者と聖女として、彼らに厳しく接してきたつもりだった。
ルドーは言わずもがな、古代魔道具の聖剣を頼りに、誰よりも強い実力を付けつつある。
その背中を追い続けるリリアは、それを精一杯サポートしようと多肢に渡って魔法を磨いている。
唯一飛行魔法が出来るようになったフランゲルも、国の王子として恥のない責任を学びはじめた。
アリアも光魔法が徐々に強力になって、聖女として遜色ない実力に到達しつつある。
戦力に不安があったヘルシュも、ストシオンでようやく活路を見出し始めた。
生徒たちはそれぞれで研鑽を磨き、切磋琢磨して日々成長している。
全ては与えられた勇者と聖女の役職を全うし、国を守る役割を果たすために。
それがただ女神の責任転嫁であるだけと言われて、これほど虚しいものがあるだろうか。
生徒たちの努力を、成長を、理不尽を押し付けられた結果であると、どうして納得することなどできる。
役職と栄光を与えるから、自分の代わりに仕事をしてくれ。
それは生徒たちの成長に対する、役職を与えたはずの女神の全否定だ。
言葉を失ったネルテに変わって、ヘーヴがゲリックに問いかける。
「そもそも、女神が仕事を放棄しているなど、貴方のその言葉を信じるに足る信憑性はあるのですか?」
「信じたくないならば、それでも結構。世界が滅びる運命に変わりありませんので」
窓を向いて背を向けたままのゲリックは、投げやりにそう言って手を振った。
信じる信じないの段階は、とうに通り過ぎた。
世界が緩やかに滅びに向かっている以上、やるしかない。
悪魔はただそう静かに主張する。
現に中央魔森林は、大陸の半分を覆った。
瘴気は日ごとにその濃度を濃くして、魔物暴走の頻度も、ファブのレペレル辺境を筆頭に、年々増加している傾向。
瘴気を浄化しても、魔物を間引いても、どうあがいても中央魔森林は広がる。
そして広がって浸食していく森に、人々の不安が大きくなっていく悪循環。
ゲリックの話を否定したいのに、話を裏付けるような状況しか、手元には転がっていない。
「話が本当だったとして、どうして魔法科たちなんだい……」
「ただ戦力が奇遇にも揃ってしまった、それだけです。悪いようにはしません。たとえ前線に出る必要がなくとも、滅びる世界で自衛出来るだけの実力は持ったほうがよろしいでしょうし」
そう言ってゲリックは、ニタリと怪しげな微笑みをネルテたちに向けた。
勇者や聖女だけでない。
魔法科の生徒たちにも、悪化していく世界に対応できるように、自衛出来るだけの力を。
悪魔の言うことは正しい。
それはこの状況で生き残るために、生徒たちには必要な教育。
女神を殺した結果、世界が滅びる可能性もあるというのに、それは矛盾した主張。
「……何のために、貴方は女神を殺すのですか?」
ヘーヴの発したそれは、純粋な疑問だった。
悪魔の主張は正しいし、女神を殺すことは正当性が通っているように聞こえる。
そう、聞こえるだけ。
まるで目的に後付けの理由を並べ立てているような感覚。
女神を殺すことは、この悪魔にとって最重要事項。
その為に必要な、ルドーとクロノという駒を集め、エレイーネーを味方につけ、理屈を並べて従わせざるを得ない状況を作り出した。
合理性だけが残り、そこに悪魔の本意は見当たらない。
倒すではなく、殺すという強い言葉を使う、悪魔の本意は何か。
そこで初めて、ネルテたちはこの悪魔のおぞましさを知った。
「――――復讐、ただそれだけですけど」
首を傾げて振り返る、真っ黒な表情。
どこまでも闇の深淵を覗かせるような、どろどろに濁った、地獄の業火に燃えるような真っ赤な瞳。
膨大に膨れ上がる、形容しがたい不気味さを内包した、仰々しい魔力。
そこにいたのは、紛れもなく――――悪魔。
復讐のために、女神を殺す。
殺気などと生易しい表現では収まり切らない片鱗が、ゲリックから一瞬垣間見えた。
どっと冷汗が滝のように流れ落ちた。
恐怖と畏怖と戦慄と恐慌が、同時に襲い掛かってくるような威圧感。
「まぁ、私の詮索は程々に。そう疑心にならずとも大丈夫ですよ。私は間違いなく貴方方の味方です故」
したり顔に戻ったゲリックが、覗かせた片鱗などなかったかのように薄らと微笑む。
生徒たちの安全を考えるならば、この悪魔は敵に回してはならない。
その場に居る全員が、目の前の存在を強くそう認識していた。




