番外編・ネルテ先生の生徒観察記録.2
すっかり忘れていた課外学習の話をした途端、爆発したような騒ぎになった面々を笑いながら魔法科の校庭から送り出したネルテは、メインホールに戻ってそこから続く職員室に戻った。
ガラリと横引きの扉を開いて中に入ると、既に授業を終えて事務作業をしている相変わらずくたびれた風貌の基礎科担任のヘーヴ・ブライアンと、机に突っ伏して爆睡しているウェーブのかかった紺色の髪の頭しか見えない女性、基礎科副担任マルス・ハリアナがぴすぴすと寝息を立てている横に、座るや否や机に突っ伏して大きく息を吐いた。
ちなみにスペキュラーは滅多に職員室に来ない、というより話が長いので職員室にいると事務作業が進まないのでヘーヴによって基本追い出されているのだ。
その上この間校長と共謀しての学習科目変更事件で謹慎をくらっている。
元々廊下をほっつき歩いているので普段とあまり大差のない処置だが、謹慎を言い渡したのが最高権限の校長なのでどうしようもなかった。校長もその元凶の一人なのに。
護衛科の先生方はその職業柄校内の見回りついでに護衛科の生徒達の自主訓練を見ていたりするのであまり職員室に顔を出さない。
「ふへぇー疲れたー」
「珍しいですね、貴方が溜息なんて」
見かねたヘーヴが注意しつつも話しかける。
しかしまったく気にしないとでも言わんばかりに突っ伏したまま手をひらひらして答える。
マルスは眠ったまま起きる気配もない。彼女の睡眠は役職の影響が大きいので最低限の仕事さえこなしていれば基本放置されている。
「あれだよあれ、勇者と聖女の恒例行事」
「あぁ、今年は人数多いのに例年より遅かったですね」
勇者と聖女はその役職の特殊性から、エレイーネーに入学してくる時点で自意識が過剰だ。
普通に学ぶ分ならば多少問題はないが、その過剰な自意識があらぬ方向に育った結果、努力しなくても大丈夫だという発想になると目も当てられないので、まずその鼻柱を豪快に折って、役職の意味を履き違えないように修正するのが勇者と聖女が入学した年の恒例行事となっている。
「あの双子ちゃんたちが凄い頑張ってたから、いい方向に流れてくれないかと期待してたんだけどねぇ、むしろ下に見て悪化しちゃってたわ」
「特に双子の勇者の方が大分異例ですからねぇ」
古代魔道具はただでさえオーパーツの為エレイーネーでさえ知られている事の方が少ないというのに、それを引き抜いて勇者と聖女の役職を得るなんて話は前代未聞で、報告を受けた時は学校中がひっくり返った。
普通の勇者と聖女として扱っていいのかさえ議題にあがるほどであったが、本人たちの危険意識がかなり高いので問題なく過ごせていると言っていい。
思案するように顎に手を当てて空を見つめるヘーヴに、ネルテは乾いた笑いで答えつつ話を続ける。
「問題はフランゲル・ヴェック・シュミック、ヘルシュ・オクロッカ、アリア・バハマだね」
「その三人が一番問題あると?」
「フランゲルは名の通りシュミック国第三王子なんだよ」
「……あそこここ数年魔物の発生件数0では?」
「そうなんだよ、魔の森に接してないからか元々危険意識が低くて勇者に対する認識が変な国だ」
あの国では勇者というものは一種のパフォーマンス役職で、芸能人扱いに近い。
そんな国の王子が勇者の役職を授かってしまえば、どう育てられるかは大体想定が付くわけで。
「魔法訓練はおろか基礎訓練すら怪しい感じですか」
「一応基礎訓練は兄王子たちの影響で多少は出来るみたいなんだけどねぇ」
フランゲルのいる国シュミックでは、既に第一王子が立太子し、第二王子も騎士団長として国を支えるため日夜励んでいる。
妾腹の生まれだが兄たちとの関係は良好らしく、たまに剣術指導を受けていたため多少は出来る。
ただそれでも王子として敬われる立場。一般兵ほど厳しく訓練はしてないし、なんなら国王が妾を大層可愛がっているため、第三王子も相当甘やかしていたと聞いている。
これを更正させるのはかなり骨が折れそうだ。
「ヘルシュ・オクロッカは生まれつきの勇者だっていうのに三人で一番練度が低くてまともに魔法が成功しない」
「生まれつきで? よっぽどですねそれは」
「一回最初の魔法訓練で盛大に風魔法を失敗して吹っ飛んでから絶対に魔法を使わなくなっちゃってね、魔法を改善するより失敗して恥をかく方が嫌みたいだ。失敗してなんぼだっていうのに」
「あららぁ、自己鍛錬より自身のプライドを優先するなんて、自意識過剰勇者の典型例じゃないですか。本人が気付かないと改善しないからこれ相当厄介ですよね」
「いくら説得したって勇者だから大丈夫! だからねぇ。大丈夫じゃないから言ってるんだけど、早く夢から覚めて欲しいもんだ」
「最後の一人アリア・バハマ、こっちでも時々名前聞きますね」
「ファブの男爵家出身だよ。蝶よ花よと育てられた結果、世界一のお姫様は自分だと信じて疑ってない。訓練より男漁りしていいところに嫁ごうって腹らしいよ、何しに来たんだか。まぁフランゲルが今のとこ一番地位が高いからそこに落ち着いてるみたいだけど」
「基礎科の貴族たちにちょっかいかけてるって聞きましたよ、うちの子たちは聡明だから誰も相手にしなかったみたいですけど」
「そこまでしてたのか、その点は申し訳ない」
「終わったことですよ、まだそこまで難しい講義になってない時でしたし問題ありません」
「それはありがとう。でもこっちは元が貴族のお嬢様だ。スプーン持つのがやっとのか細い腕、まともに基礎訓練が出来るようになるまでどれだけかかるか。一番反抗的だし」
「時間かかりそうですねぇ……」
「でも放置するわけにもいかないよ、勇者と聖女、どちらも弱いままだと国に戻した後内乱になりかねない」
勇者と聖女は国に帰属し、それは王家の管理下に配されることを意味する。
万一まともに仕事のできない勇者や聖女が居た場合、そこから王家が責められ、最悪の場合貴族と二分して対立構造が生まれかねない。二分した結果内乱に発展、そこまで行かなくとも国内不和を招いて魔物誘因の温床になり得る。
だからこそ勇者と聖女は魔導士以上の技術を求められる為厳しく接する必要があるのだ。
ふぅーと背を伸ばして息を吐くネルテに、ヘーヴは話していて仕事にならないので休憩でもしようかと職員室の隅に移動して専用魔道具でコーヒーを淹れ始めた。
「行方不明の生徒の方は何か手掛かりは?」
「全くもって痕跡が見つからないんだよ。多少なりとも魔法を使ってくれてばそこから痕跡を辿れるんだけど、どうにも魔法を全く使ってないんだ。その上何故か探知魔法に全く引っかからない」
「普通は魔法が使えない一般人でも探知魔法には引っかかりますがねぇ、探知妨害の魔道具か何かでも持ってんですかね。大丈夫でした? レペレル家は魔物討伐の関係上家族愛がかなり強いと聞いてますが」
「魔法科に勝手に移行していた件で一時はエレイーネーと本気で戦争するくらいの勢いだったんだけど、どうにもスペキュラーと面識があったみたいでね。潜在魔力の話をしたら物凄く面倒そうな顔をしながら彼が言うならって複雑に納得してたよ」
「彼を知ってるならそういう反応でしょうね、にしてもそんなところに繋がりがあるとは」
「あいつは話が長いからみんな進んで話を聞きに行こうとしないからな」
淹れたコーヒーを渡して飲みながら感慨深くヘーヴは呟いた。
マルスには睡眠の妨げになるのでコーヒーは淹れていない。
横にホットミルクを置いたがおおよそ気付く頃には冷めきっているだろう、相変わらずぴすぴす夢の中だ。
「魔人族を名乗る例のやつに攫われた可能性は?」
「現状ただ破壊活動してる奴が目的もなく攫うようには見えないし、目撃者を消すっていう線は大量目撃者を出している時点でないと思う。一番最悪な可能性として残しておく必要はあるけど確率としては低く見てるんだよね」
「まぁ攫うなら攫うなりに何かしら要求してくるでしょうからねぇ、そういった接触がない以上確率は低くなりますか」
「そうなるとこっそり立ち去った線が濃厚になってくるんだよねぇ、エレイーネーに対する印象が最悪だろうし」
「そうだとしてご家族に連絡ぐらい入れませんかね」
「それが辺境伯と話したら、どうにも家族と距離取ってたみたいでねぇ」
出奔が行方不明の原因なら、何か手掛かりはないかと辺境伯に行きそうな場所を聞いてみたのだが、それこそエレイーネーの図書室ぐらいしか思いつかなかったとのこと。
本を読む以外の趣味趣向がまるで掴めてなく、あまり会話も出来てない印象だった。
「あの家族愛の強いというレペレル家で?」
「辺境伯もお兄さんも家族としては大分重めに愛してたみたいよ、クロノが一方的に距離取ってたから接触しかねてただけで」
「一人だけドライな子が生まれちゃったって感じですかねぇ、それで家も学校も嫌で逃げ出したと」
「今のところこれが一番可能性高そうなんだよねぇ」
こうなってくると見つけるのは困難極まる。
本人の意思で雲隠れしている訳なので、手掛かりがないのは当然という事だ。
「でも出奔なら退学届なり手紙なりありそうですけど見当たらなかったんですよね」
「そこが謎なんだよねぇー、そのせいで決定打が打てないっていうかなんというか」
「にしてもそんな調子で大丈夫ですか? 明日でしょう、例の調査」
「それもだねぇ、留守の間の事務よろしくぅ」
「あなたたちは本当に毎度毎度……」
机に突っ伏していたネルテがニッと笑いながら右手をピッと動かして頼み込めば、物凄く嫌そうな顔でヘーヴは悪態をついた。
「全く、校長にも困ったものですよ、こんな調査引き受けてきて」
「私は感謝してるよー? 各国から校外学習の許可を取るための交渉の交換材料として出されたんだから」
今回の調査はシマス国から秘密裏に依頼されてきたものだ。
なんでも国に接する魔の森の中から未発見の遺跡が見つかったとかで、既に国の魔導士が大方調べているので危険はないとされている。
それでもエレイーネーに調査の依頼が来たのは色々理由がある。
まず、なにより国の魔導士に調べてもらうより金がかからない。危険がないかの調査の為平和活動の一環となるためだ。
次に調査の際に見つかったものは、国領地として認知できない大陸中央の魔の森の中の物でも、国の調査になるため国に帰属するので、国の魔導士だとそのまま報酬として取られかねないが、エレイーネーの人間ならば国の所属品に手を出してはいけないので更なる損失を避けられる。
既に国の魔導士が調査しているが、それ以上の損失は避けられるという訳だ。
そして学生たちに恩を売って将来のコネを作っておくという魂胆もある。
「一応魔の森の中の遺跡なんですから警戒していきなさいよ」
「今回、っていうかこれからは引率として私もついて行くからへーきへーき」
「それも課外学習再開の際に出された条件ですっけ」
「一年次は引率者を必須で付けろってね。おかげでしばらく団体行動になりそうだよ」
渡されたコーヒーを豪快に傾けて大きくゴクゴク音を立てながら飲むネルテは、ぷはっと息次いだ後に続けた。
「遺跡の探索は滅多にないが、魔導士としては基本の仕事でもある。いい経験になるさ」
「魔物や罠の索敵は基本中の基本ですからね。まぁ話の通りなら何事もないはずですが、近頃はイレギュラーが多いですから」
「私が行くんだ、なんとかなるさ」
「明日が例の一年に一回の日じゃない事だけ願ってますよ」
そういって書類仕事に目を落としたヘーヴが今日の分の事務書類提出を催促してきたので、ネルテも仕方なく椅子に座り直して今日の事務業務を開始した。




