第十五話 その果ては見えぬまま
この魔法の世界に、転生前の世界で空想上呼ばれていたような亜人は存在しなかった。
いるのは瘴気から発生する知性のない魔物か、人間と動物くらいのはずだった。
練り上げた赤黒い強力な魔法を次々と放ってくる狼男は、そんなこの世界の常識を覆す存在だった。
魔物だって魔法攻撃はしてこない。だからイスレとバベナは何らかの役職で姿が変化した人間だと思って対処していたのだが、魔人族と名乗ったこいつは未知の存在という事になる。
「いってぇ……」
「お兄ちゃん、あとちょっとじっとしてて!」
「そんな悠長に構えてられんぞ」
イスレとバベナが結界魔法を張ってなんとか狼男の攻撃を逸らす。耐えようとすると耐久が足りないようで結界が許容量を超えるからだろう。
しかし攻撃が激しすぎて狙った場所に逸らすことは出来ず、あちこちに飛んでいっては工房内が破壊されていた。
ルドー達が落ちたのもこの攻撃の余波で建物が破壊されたせいだ。
「この調子だとこの建物自体が崩れるぞ」
「かなりの地下だろここ、生き埋めになんぞ」
「え、エレイーネーに連絡して魔法使用許可貰えばいける?」
「いやダメだ、連絡手段がない。学校に戻るだけの時間もない」
「そんな君たちにもできることがあります、聞いてくれますか」
イスレが会話を聞いていたのか、狼男に聞こえないように小声で提案してくる。
「私とバベナさんであいつの気を引いておきますから、貴方たちは従業員の方々を連れて上に逃げてください」
「いやでも、かなり上だしこの崩落だと階段も崩れてる可能性が……」
「すぐそこに上と繋がる従業員非常用の連絡転移門があるんです、道と通り方は従業員たちが知っているので問題ない。我々二人で攻撃を逸らすのが精一杯なせいで彼らを逃がせなかったんです。引き受けてくれますか」
「イスレさんたちはどうするんですか!」
「我々は飛行魔法が使えます。頃合いを見計らって脱出するので問題ありません。さぁ早く!」
イスレとバベナはこちらに向かって頷く。ルドー達も顔を見合わせた後に決意を固めてうずくまっている従業員たちを立たせ、一応話は聞いていたようで揃って同じ方向に走り始める。
「クロノさんみつかってないままだよ、どうしよう!」
「あいつの奔放さからもうこの建物から出てる可能性もある!」
「残ってる可能性もあるじゃない!」
「魔物を拳で叩き割る頑丈さだ、建物の瓦礫ぐらい平気で防げる! あの威力なら生き埋めになったとしても自力で出てこられる! 今は頼まれたことだけ考えろ!」
リリアとエリンジが言い合っているのをルドーが走りながら聞いている間、余波の振動でよろける従業員たちを立て直させながら走り続ける。
後ろから時々攻撃魔法が飛んでくるが、イスレ達がなんとかしているのか直撃するようなものは飛んでこない。
なんとか転移門までたどり着くと、従業員たちが焦りながら起動しよう動く。
「お兄ちゃん!」
リリアの叫びで振り向くと、逸れた攻撃魔法が天井に当たり、大きな瓦礫が転移門に落ちてきた。大きすぎて聖剣でもこれは防ぐどころか軌道を逸らすことすら出来ない。
『今のお前じゃこれは無理だ、行け!』
「飛び込めぇ——————!!!!」
従業員たちが入った後、落ちてくる瓦礫をかわしながら、リリア、エリンジ、ルドーの順に転移門をくぐる。
間一髪、ルドーが門を潜り抜けた瞬間入った側が壊れたのか転移門の魔法がブツンと音を立てて消滅した。
ルドーは肩で息をしながら、助かったと胸をなでおろす従業員たちを見る。しかし安堵したのも束の間、建物が激しく振動し始めた。
「崩れるぞ! 早く建物の外に!」
エリンジの叫びに慌てて走り始める従業員たちの後に続き、ルドー達も走り出す。床がひび割れ、壁にも亀裂が入っていく。
走っている間にもガラガラと崩壊が始まり、あっという間に崩れて殿を走るルドーのすぐ後ろまで大穴が迫ってきている。前方になんとか外の光が見え、従業員たちがそこに向かってヒイヒイ言いながら抜けるのを見届けたが。
「うわっ!」
ギリギリ一歩足りなかったか、ルドーが出口に辿り着く前に崩壊が追いついた。足場を失って落下しようとしたところで、ガシっと腕を掴まれる。エリンジだ。
「いっでででで!」
「これくらい我慢しろ死ぬよりマシだろ!」
腕一本に全体重と聖剣の重さが乗ってちぎれそうだが、なんとか耐えて引き揚げてもらう。
振り向けば入った時の影も形もなく、大きな煙を上げながら大穴を瓦礫が埋め尽くすように塞いでいくところだった。
火炎物があったのだろうか、所々炎が上がっているのが見える。
「イスレさんとバベナさんは……?」
リリアが不安そうに呟いたとき、ちょうど二人が飛行魔法で瓦礫の隙間を縫うようにして飛び出してきた。未だ警戒している様子で視線は穴の奥の下に向いたまま、ルドー達のすぐ傍に着地する。
「皆さんご無事ですか!」
イスレがすかさず従業員たちに点呼させて人数把握を図り始める。周囲は工房が崩れたために騒ぎになっており人だかりが出来ていた。魔物襲撃から一月しか経っていないせいで不安そうな顔が多い。
何となくそれを眺めていたルドーだが、しかしそこに見慣れた帽子姿は確認できない。
リリアも不安そうに首をあちこち向けているが同様に見つかってないようだ。
エリンジも見つけられなかったのか苦い顔をしている。
「……君たち、確か四人で来ていなかったかい?」
従業員の点呼と怪我は問題なかったようで、イスレがルドー達の方に駆け寄ってくる。
しかし四人が三人になれば点呼の必要もなくわかる。ようやく一人足りないことに気付いたイスレがどんどん青い顔になっていった。
「……実は、頼まれていた作業の途中から見かけなくって、探すのも兼ねて報告をと歩き回っていたんです」
「……まさか」
リリアの説明にイスレは真白な顔をして崩れた瓦礫の方に顔を向ける。そのまま突っ走る勢いで瓦礫に突っ込んでいきそうになったイスレをバベナが止めた。
バベナが瓦礫に向かって手を向け、何か魔法を発動させて調べている様子だった。
「……この中に、生存反応はない」
「……それって……」
「落ち着け! おい誰か! この建物が崩れる前に、黒い帽子を深くかぶった学生が出てくるのを見なかったか!?」
口に手を当ててよろめくリリアを支えながら、ルドーは周囲に群がる人々に叫びかけた。
しかし返ってくるのは困惑した表情に、誰か見た者はいなかったかと周りを確認して首を回す者たちばかり。
「イスレ神父、エレイーネーに連絡を。どちらにしろ我々だけでこの瓦礫の山の中の捜索は不可能だ」
「私が依頼して、私がお預かりしたんですよ。せめて私が見つけなければ道理が通りません——!」
「不可能なことは不可能だ。それに先程の化け物の反応も消えている。建物と一緒に潰れたならまだいいが、あれも出てこなければ楽観できない。どちらにせよエレイーネーの調査が必要だ」
それでもなおイスレは瓦礫に向かって行こうとしたが、その瞬間瓦礫の底の方が爆発した。
バベナが生存反応はなかったといった手前、底で残っていた人間のものではない。おおよそ残っていた魔道具の部品が押しつぶされたせいで爆発し、それが連鎖的に誘爆し始めたのだろう。
こうなってしまってはその場で瓦礫を掘り起こすことも誘爆があるせいで難しい。
「俺が殺したのか」
「エリンジ」
「俺が、あいつに、色々言ってたせいで、あいつは単独行動して、それで……」
「あなた達に非はありません」
エリンジが呆然とした顔でブツブツと呟き始めたが、それを遮るようにイスレが向き直る。
「本来ならこんな危険な依頼ではなかった、あまりにも想定外です。それでも誰か一人でもあなた達に付けていれば、少なくとも崩壊前に連絡して避難させることが出来た。私の落ち度です」
イスレはそういって視線を少し下に下げた後、エレイーネーに連絡を取るためにその場を離れた。
言われたエリンジも視線を下に下げたまま、その表情はまだ暗い。リリアもまだ少しふらついているし、ルドーもようやく現実味を帯びてきたのか、胃の当たりがもやもやする感覚が押し寄せてくる。
しかしイスレを責める気にもなれない。建物に案内されるまで、町の復興であちこち人が歩き回っているのを見ているからだ。人手不足のところに依頼のボランティアで来た安全な作業をする学生を四六時中見ていろと言うのも難しい話だろう。
どうにもならない焦燥を抱えながら、ルドー達はイスレが戻ってくるのを待っていた。




