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月のひかり、陽だまりの歌  作者: りつか
3章 風薫る庭で
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[3]丘の上の来訪者

挿絵(By みてみん)

 木漏れ日が踊っている。視界の端でちらちら自己主張をするそれはまるでリュヴァルトを誘っているかのようだ。座る向きを変えてみたり、いっそ場所を変えてみたりと誘惑から逃れる努力はそれなりにやったが、ふと気づけば光は紙面の隅で楽しそうに揺れていた。もはや気にするなと言う方が無理がある。

 遥かな鐘の音が耳朶を撫でた。限界だ。ページを繰る手を止め、リュヴァルトは眼下に視線を投げた。

 昼下がりの街並みは実にのどかだ。現地の賑々しさも丘の上(ここ)までは届かない。けれど行列を成していた屋台やおしゃれな雑貨店はいつでも脳内に呼び起こせた。可愛い少年の笑顔と、楽しい気分もセットで。

 そよ風に持ち上げられた前髪を撫でつけつつ大きなあくびをひとつ。のんびりと思い出旅行に耽っていると、


「あんたたち、やってることがおんなじ」


 呆れ声が降ってきた。背後を振り仰いだリュヴァルトはあれっと目を丸くした。


「アン! 出かけるんじゃなかったの? あ、今帰ってきたところ?」

「急に予定がなくなっちゃったの。あんたこそ出かけたのかと思った。部屋にいなかったから」

「気分転換だよ。アンもよかったら一緒にどう? 風が気持ちいいよ」


 本を閉じると横の地面をぽんぽんと叩く。ウィルお気に入りの木陰は今やリュヴァルトにとっても憩いの場所だ。教えてもらっておいて本当に正解だったと思う。

 アネッサは近くまでやってきたが腰は下ろさず、代わりに腕組みをした。


「あたしもあんたを呼びに来たの。リューは、苺は好き?」

「えっ、大好物」

「ならよかった。タルトがあるんだって。一息つかない?」

「つくつく!」


 弾かれたように立ち上がりアネッサの隣に並ぶ。にこーっと笑いかけると彼女の口角も朗らかに上がった。

 木陰を出た途端に空気が熱い。初夏の空は鮮やかに蒼く瑞々しい。リュヴァルトは本を小脇に抱え、陽射しを遮るように手をかざした。


「それ、」

「え?」


 隣を歩く彼女の視線は、分厚い背表紙に注がれていた。


「新しい資料?」

「いや、これはえーと、星座のお話?」

「星座って……空の星の? あんた、星に興味あったの」

「うーん、興味があるかないかで言えば別にそうでもないかなぁ……。歴史と物語ならどっちがいいって言うから、物語って答えたら渡されたんだよ」

「星座の本を?」

「うん。黙読の練習だって」

「黙読か……」


 アネッサは得心顔を見せた。

 読書のたびに声に出されるのは、迷惑とまでは言わないがあまり歓迎されるものでもない。黙って読めるなら断然その方がいいだろう。

 迷いなく告げられた言葉に「そういうものなんだ?」とリュヴァルトが小首を傾げ、アネッサはおうむ返しに「そういうものだよ」と頷いた。


「どうなの、新しい読み書きの先生は」

「クリフ? すごく熱心に教えてくれるよ。なんか教え慣れてるなぁと思って、もしかして教師になりたかったのって聞いたらさ、勉強熱心な弟がいるんだって。ふたりで一緒にいろんなことを調べるから、クリフも勉強になるし楽しいらしいんだよね」

「頼もしいじゃないの」


 微苦笑を浮かべるアネッサには乾いた笑いを返すしかない。

 クリフ先生の読み書き講座はとにかく容赦がなかった。単語をひたすら何度も声に出して読み上げさせ、ひたすら何度も書き取らせる。間違えばさらに量が増えると言う始末だ。面倒臭いうえにおそろしく疲れる。

 打てば響くような態度を求められているのはひしひしと感じる。けれどもどう頑張ったってリュヴァルトはリュヴァルトである。クリフの弟にはなれない。

 リュヴァルトは深々と溜息をついた。


「ウィルと一緒にお勉強してたのが懐かしいなぁ。ウィル早く帰ってこないかな」


 出産が終わるまでは子どもに煩わされたくないという夫人たっての希望で、ウィルは寄宿学校に行くことになった。半年足らずの予定だそうだが本人が希望すればそのまま在籍することも可能だという。


「あんたがあっという間だよって言ったんじゃないの? リューと約束したから頑張るって、あの子そう言ってたけど」

「そうなんだけど。いざ行っちゃうとやっぱり寂しいよね」

「……そういえばあんたさ、」

「え?」


 アネッサの声が低くなった。きょとんと振り返れば彼女の怪訝な瞳に出迎えられた。


「あたしに追い出されるってどういうこと?」

「……うん? 何が」

「今思い出した。この前ウィルにお願いされたんだよ、リューを追い出さないでほしいって。あたし、そんなこと言ったっけ」

「アンが俺を追い出すの? ……いや、言われた覚えはないかなぁ」

「じゃあなんでウィルはそんなこと言ってきたんだろ? てっきりあんたが何か言ったんだと思って」

「うーん……?」


 自然と足は止まっていた。リュヴァルトは拳を口許に当て、辺りにうろうろと視線を彷徨わせる。そうして今しがた後にしてきた木を振り返った。

 邸を離れる前の彼と最後に会ったのもあそこだ。いつものように猫に囲まれながら読書をしていたので声をかけたのだ。確かあのとき――。


「――俺が(ここ)にいるかどうかは聞かれた、かな。だからウィルが帰ってくるのを待ってるよって答えて……、帰ってきたら一番におかえりを言ってあげようと思ったんだよね。俺と一緒がいいなんてさ……へへ。生まれて初めて言われたなぁ。ウィルは本当に可愛いね」


 少年の曇りのない純粋な瞳に思いを馳せるとそれだけで心が浮き立ってくる。満面の笑みで「ねっ」と同意を求めるとアネッサは少し納得のいかない顔をしていたが、最終的にはしっかりと頷いた。


「そりゃあね。あんなに可愛い子は他にいない」

「元気にしてるかなぁ。今頃学校楽しんでるかな?」

「頑張り屋な子だもの、友だちもすぐに作ってうまくやってるよ。……あら、」

「ん、なに?」


 アネッサの目が彼方に吸いこまれていた。彼女のそれを辿ってみればエントランス前に馬車が停まっている。

 正門とエントランスを結ぶ小径(こみち)に戻ってきてようやく人影が確認できた。来訪者はふたり。うちひとりは杖をついていた。


「――ねぇあれ、タルバート先生じゃない?」

「え? ……あー、そうかも……?」

義姉(ねえ)さんの診察かな」


 訝しげに目を眇めていたアネッサと顔を見合わせる。

 どちらからともなく小走りに駆け出した。走るには不向きな格好をしていたアネッサはすぐに諦めたらしい。距離が開いたがリュヴァルトは構わず駆けていく。

 ある程度近づいたところで推測は確信に変わり、リュヴァルトは速度を緩めた。杖を手にした来訪者はやはりタルバートその人だ。では彼の向こうにいる男性は誰だろう。執事と話をしているが背格好からしてクリフではない。

 そちらに気を取られていたリュヴァルトは、おかげで自分の名を呼ぶ声に気づくのが遅れた。ハッと視線を戻せばタルバートが丁寧なお辞儀を寄越したところで、リュヴァルトも慌てて頭を下げる。


「こんにちはリュヴァルトくん。わざわざお出迎えいただき恐縮です」

「あ、コンニチハ。……ええと、もしかして今日は夫人の……?」


 遠慮がちに首を傾げるとタルバートが笑みを深くした。正解のようだ。

 と思えば温和な双眸はわかりやすく輝いた。


「せっかくです、よろしければリュヴァルトくんもいかがですか」

「えっ俺が!?」

「リュヴァルトくんが〝()る〟ところをぜひ拝見させていただければ」

「……俺が!?」


 あんぐりと口を開ける。

 言葉に詰まっているうちに背後から「タルバート先生、」と声がした。追いついたアネッサだ。タルバートはやはり丁寧にお辞儀をした。


「これはアネッサお嬢さま。ご機嫌麗しく存じます」

「今から義姉さんのところ?」

「左様でございます」

「先生、そろそろ……」


 タルバートの背後に控えていた男が耳打ちする。彼を一瞥し、タルバートは「それでは失礼いたします」とアネッサに頭を下げた。


「リュヴァルトくん、参りましょうか」

「あっ、はい」

「え、リュー?」

「あ、えーと……」


 アネッサがリュヴァルトを振り返った。眉を顰めた顔のど真ん中に「どういうこと?」と書いてある。リュヴァルトは緩慢な手つきで後頭部を掻いた。


「なんか、俺の力を見たいんだって」

「ちから? ……大丈夫なの?」

「まあ多分? ちょっと視るくらいならどうってことないよ」


 慣れてるし、と続ければ彼女はリュヴァルトとタルバートの顔を交互に見やっていたが、やがて不承不承引き下がった。


「客間に行ってるから」


 さも当然とばかりにリュヴァルトの本を取り上げ、アネッサはさっさと離れていく。その背に「すぐ行くね」と声をかけるとリュヴァルトはタルバートについていった。





 * *





 杖をついてはいるが足が不自由というわけではないらしい。思ったよりしっかりした足取りのタルバートにリュヴァルトもついていく。

 ゆっくり階段を上がっていると、ふふと忍び笑いが降ってきた。リュヴァルトが顔を上げたのと、お付きの男性が振り向いたのはほぼ同時。それに気づいた医師本人は照れ臭そうに口を開いた。


「お嬢さまもリュヴァルトくんも、これまで別々にはお会いしておりましたがご一緒は初めてでしたので。お嬢さまはすっかり打ち解けていらっしゃるご様子」

「打ち解け……えっそうかな?」

「お声の調子でわかります。まるで数年来の友であるかのような……もはやご家族に対するものとも同じ空気が漂っておりました」

「うーん、そんないいものじゃない気が……。多分、猫とおんなじなんだと思うなぁ」

「ねこ」


 意味が掴めなかったらしい。足を止め、目を(しばたた)かせるタルバートにリュヴァルトは神妙な顔で頷いた。


()()()()()だからね。始めが最悪だったから、力を使えばまた倒れるってアンは思ってるんだ。俺が幾ら大丈夫だよって言っても全然信用がなくて。毎回渋い顔だよ」


 肌の色も戻り、すっかり元気になった。だがその原因を知る彼女はリュヴァルトが力を使うことをあまり良しとしない。求められれば手を貸すのは当然だと思っているリュヴァルトと、少しでも行動に移せば寝こんでしまうと思っているアネッサでは認識に随分と差がある。

 タルバートはほっほと笑みを漏らした。


「それだけ大事に思われているとも考えられましょう」

「俺はもうちょっと信用してもらいたいんだけどなぁ……」

「信用とは一足飛びに得られるものではありません。根気よく誠意を示し、少しずつ築き上げるしかないでしょう」


 にこりと微笑を浮かべ、医師は再び階段を上り出す。その背を見つめて口をへの字に曲げていたリュヴァルトも数歩遅れて後を追いかけた。

 一行は侯爵夫人の部屋に着いた。取り次ぎを願うと、


「奥さまは庭園へ向かわれました」

「おや、散歩は朝の日課と伺っておりましたが」

「今朝はご気分が優れなかったのです。ですが昼を過ぎたらだいぶ落ち着かれたようで、どうしても薔薇をご覧になりたいと仰られて」


 年嵩の侍女が澄まし顔で答えた。向かった時間からしてもう間もなく戻られるはずだとも。

 タルバートたちは診察の準備を始めた。少し離れた窓辺からその様子を眺めていたリュヴァルトはふと外に目をやった。陽光が新緑を鮮やかに照らしている。その色は先ほどよりも黄味がかってきている気がした。

 夏が近づき、日は徐々に長くなっている。とはいえアネッサをあまり待たせては悪い。


「――あのう、俺呼んでこようか。その方が早いよね」

「そうですね。ではお迎えをお願いできますかリュヴァルトくん」

「任せて。ええと、庭園ってエントランスを出てまっすぐに、」

「そちらではございません。旦那さまが奥さまのためにお造りになった庭園の方です」

「……えーと?」


 リュヴァルトは軽く首を傾げ、口の端を笑みの形に吊り上げる。半眼を閉じた侍女は溜息をつき、同伴すると申し出た。

***(24.11.15追記)

更新に関するお知らせを書いております。

よろしければご一読ください。

https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/432172/blogkey/3366152/

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