第69話:審問の楔
荒々しい足音とともに、寝室の扉が外から激しく叩かれた。
「開けなさい! 典礼省令監察官、エレノア・フォン・ランベールです! 先刻の凶行において、王族の安全を脅かした逆賊の捜索を行います!」
金具の軋む音が響き、合鍵によって扉が強引に押し開かれた。
先頭に立っていたのは、怒りに頬を紅潮させたエレノアだった。背後には典礼省の紋章を胸甲に刻んだ近衛兵が四人、長柄の斧槍を携えて整然と並んでいる。公的な法執行の形を整え、王女宮の不可侵を力ずくで踏み破る構えだった。
「フランシア殿下、ご無礼をお許しくださいませ」
エレノアは扇の陰から勝ち誇った笑みを覗かせ、床に立つミシャを憎々しげに指差した。
「先刻、回廊にて殿下の御威光を笠に着て、私ども貴族を凶器で威圧した下賤な侍女を、宮廷治安紊乱の廉で拘束いたします。大奥様直属の典礼省令監察の権限に基づき、地下審問所への連行を命じますわ!」
近衛兵の二人が歩み出ようとした、その瞬間。
「――私の部屋に、犬の群れを引き連れて土足で踏み入る許可を、誰が出したのかしら?」
フランシアの低く冷徹な声が、部屋の空気を一瞬で凍りつかせた。
王女は卓の端に肘をつき、気怠げに足を組み替える。その手には先刻の黒刃の短剣ではなく、カリッサが持ち込んだばかりの「太后宮の勅許状」が握られていた。
「な……殿下、これは宮廷法に基づく正当な――」
「宮廷法?」
フランシアは短く鼻を鳴らし、羊皮紙をエレノアの顔先へと無造作に放り投げた。
「拾いなさい、典礼尚書の飼い犬。……三週間後の新月の儀において、私の大礼服を仕立てるよう命じた大奥様直筆の勅許よ。指名された筆頭裁縫師の名を、その節穴のような目で声に出して読んでごらんなさい」
エレノアは眉を顰めながら、床に落ちた羊皮紙を拾い上げた。
そこに刻まれていたのは、太后ヒルデガルトの親署と、紛れもない『下級侍女ミシャを専属裁縫係に任ず』の文字。
エレノアの血の気が、すっと引いていく。
「こ、これは……ですが、この女は先刻、私を――」
「大奥様の儀式に必要な唯一の針子を、お前の個人的な恨み言で地下牢へ引き摺り込み、手を潰すつもり?」
フランシアが立ち上がった。一歩、また一歩と優雅に歩み寄る。
背後で控えるミシャは、表情を変えずにただ静かに視線を伏せていた。しかしその手は、卓上に広げられた採寸用の絹糸と、真鍮の小さな重りを指先で弄んでいる。
ミシャは静かに口を開いた。
「エレノア様。貴女様が回廊で躓かれましたのは、貴女様のドレスの裾芯に鉛の重りが仕込まれており、重心が狂っていたためと存じます。……典礼省の令嬢たる方が、他者を転ばせるための粗末な細工をご自身の衣装に施し、自ら転びかけたところを殿下に窘められた……それを大奥様のお耳に入れられても、よろしいのですか?」
「な、何を……出鱈目を……!」
「出鱈目かどうか、今ここでその裾の裏地を解いてお見せしましょうか。針子の目をごまかすことは叶いません」
ミシャの淡々とした、だが寸分の狂いもない指摘に、エレノアの喉が詰まった。
回廊での罠。ミシャを転ばせるために、自らのドレスの裾に仕込んでいた細工――それを一瞬の擦れ違いで見抜かれていた。
「……くっ」
「大奥様の儀式の準備を妨害し、あまつさえ下劣な企てを公衆に晒したいなら、そのまま兵を動かしなさい」
フランシアが冷ややかに言い放つ。
「三つ数えるわ。兵を連れて失せるか、それともここで典礼省の恥を晒して破滅するか。……一」
近衛兵たちも顔を見合わせ、引き際を悟って槍の切っ先を引いた。太后の勅許状と王女の威圧、そして針子の冷徹な告発の前に、大義名分は完全に粉砕されていた。
「……退きます! 参りましょう!」
エレノアは屈辱に震え、扇を握り潰すようにして踵を返した。
兵たちの重い足音が遠ざかり、部屋には再び冷たい静寂が降りる。
扉が閉まった瞬間、フランシアは深く息を吐き、苛立ちを隠さぬ手つきで髪を掻き上げた。
外敵を退けた安堵の隙間から、二人の間に漂うのは、逃れようのない「共犯」の昏い熱だった。




