↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
血と薔薇の離宮  作者: 秦江湖


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
69/70

第69話:審問の楔

荒々しい足音とともに、寝室の扉が外から激しく叩かれた。


「開けなさい! 典礼省令監察官、エレノア・フォン・ランベールです! 先刻の凶行において、王族の安全を脅かした逆賊の捜索を行います!」


金具の軋む音が響き、合鍵によって扉が強引に押し開かれた。

先頭に立っていたのは、怒りに頬を紅潮させたエレノアだった。背後には典礼省の紋章を胸甲に刻んだ近衛兵が四人、長柄の斧槍(ハルバード)を携えて整然と並んでいる。公的な法執行の形を整え、王女宮の不可侵を力ずくで踏み破る構えだった。


「フランシア殿下、ご無礼をお許しくださいませ」

エレノアは扇の陰から勝ち誇った笑みを覗かせ、床に立つミシャを憎々しげに指差した。


「先刻、回廊にて殿下の御威光を笠に着て、私ども貴族を凶器で威圧した下賤な侍女を、宮廷治安紊乱(びんらん)の廉で拘束いたします。大奥様直属の典礼省令監察の権限に基づき、地下審問所への連行を命じますわ!」


近衛兵の二人が歩み出ようとした、その瞬間。


「――私の部屋に、犬の群れを引き連れて土足で踏み入る許可を、誰が出したのかしら?」


フランシアの低く冷徹な声が、部屋の空気を一瞬で凍りつかせた。

王女は卓の端に肘をつき、気怠げに足を組み替える。その手には先刻の黒刃の短剣ではなく、カリッサが持ち込んだばかりの「太后宮の勅許状」が握られていた。


「な……殿下、これは宮廷法に基づく正当な――」


「宮廷法?」

フランシアは短く鼻を鳴らし、羊皮紙をエレノアの顔先へと無造作に放り投げた。


「拾いなさい、典礼尚書の飼い犬。……三週間後の新月の儀において、私の大礼服を仕立てるよう命じた大奥様直筆の勅許よ。指名された筆頭裁縫師の名を、その節穴のような目で声に出して読んでごらんなさい」


エレノアは眉を顰めながら、床に落ちた羊皮紙を拾い上げた。

そこに刻まれていたのは、太后ヒルデガルトの親署と、紛れもない『下級侍女ミシャを専属裁縫係に任ず』の文字。

エレノアの血の気が、すっと引いていく。


「こ、これは……ですが、この女は先刻、私を――」


「大奥様の儀式に必要な唯一の針子を、お前の個人的な恨み言で地下牢へ引き摺り込み、手を潰すつもり?」


フランシアが立ち上がった。一歩、また一歩と優雅に歩み寄る。

背後で控えるミシャは、表情を変えずにただ静かに視線を伏せていた。しかしその手は、卓上に広げられた採寸用の絹糸と、真鍮の小さな重りを指先で弄んでいる。


ミシャは静かに口を開いた。


「エレノア様。貴女様が回廊で躓かれましたのは、貴女様のドレスの裾芯(ヘム)に鉛の重りが仕込まれており、重心が狂っていたためと存じます。……典礼省の令嬢たる方が、他者を転ばせるための粗末な細工をご自身の衣装に施し、自ら転びかけたところを殿下に窘(たしな)められた……それを大奥様のお耳に入れられても、よろしいのですか?」


「な、何を……出鱈目を……!」


「出鱈目かどうか、今ここでその裾の裏地を解いてお見せしましょうか。針子の目をごまかすことは叶いません」


ミシャの淡々とした、だが寸分の狂いもない指摘に、エレノアの喉が詰まった。

回廊での罠。ミシャを転ばせるために、自らのドレスの裾に仕込んでいた細工――それを一瞬の擦れ違いで見抜かれていた。


「……くっ」


「大奥様の儀式の準備を妨害し、あまつさえ下劣な企てを公衆に晒したいなら、そのまま兵を動かしなさい」

フランシアが冷ややかに言い放つ。


「三つ数えるわ。兵を連れて失せるか、それともここで典礼省の恥を晒して破滅するか。……一」


近衛兵たちも顔を見合わせ、引き際を悟って槍の切っ先を引いた。太后の勅許状と王女の威圧、そして針子の冷徹な告発の前に、大義名分は完全に粉砕されていた。


「……退きます! 参りましょう!」


エレノアは屈辱に震え、扇を握り潰すようにして踵を返した。

兵たちの重い足音が遠ざかり、部屋には再び冷たい静寂が降りる。


扉が閉まった瞬間、フランシアは深く息を吐き、苛立ちを隠さぬ手つきで髪を掻き上げた。

外敵を退けた安堵の隙間から、二人の間に漂うのは、逃れようのない「共犯」の昏い熱だった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。