第63話:毒杯の告解
太后宮の最奥、厚いビロードの垂れ幕で閉ざされた礼拝室は、甘ったるい没薬と香炉の煙に咽び返っていた。
ステンドグラスの窓は外側から木板で打ち付けられ、昼なお重い闇が澱んでいる。
豪奢な真鍮の衝立を隔てた告解席の片隅で、王国の最高権力者たる皇太后ヒルデガルトは、黒貂の肩掛けを握り締め、祭壇へ向けて細い膝を折っていた。
その顔には、公衆の面前で見せる冷徹無比な支配者の影はない。
骨の浮き出た頬、血走った眼窩。
老いと病魔、そして何より過去の亡霊に怯える、哀れな老女の素顔がそこにあった。
「……また、夢を見たのです、シスター」
掠れた、震える太后の声が、衝立の向こうの闇へと零れ落ちる。
「十九年前のあの嵐の夜……産室の床を濡らした、あの忌まわしき双子の血。片方を森へ放逐し、王家の血統を一つに絞ったはずなのに……。あの娘の顔が、夜ごとに暗がりから私を睨みつけてくるのです。私の犯した罪は、神の怒りに触れたのでしょうか……」
衝立の向こうから、衣擦れの静かな音が響いた。
姿を現したのは、黒衣の修道女カリッサ。
胸元に提げた銀の十字架を冷たい指先で弄びながら、修道女は跪く太后の背後へと音もなく歩み寄り、その枯れ木のような肩へ、慈母のように両手を回した。
「滅相もございません、我が敬愛なる母上。……あれは罪などではなく、神聖なるルミエール王家を護るための、尊き『剪定』に過ぎません」
カリッサの吐息が、太后の耳元を甘やかに撫でる。
その声には、理性を溶かし、魂を絡め取る底知れぬ魔性の響きがこもっていた。
「一つの幹に咲く薔薇は一輪のみ。二つ咲けば、養分を奪い合い、国そのものが枯れ果ててしまいます。……十九年前、あなたが下された英断こそが、この王国に十九年の繁栄をもたらしたのです」
「剪定……そう、剪定だったのだな……」
太后はすがるようにカリッサの冷たい手首を掴み、その胸元へと額を押し当てた。
「お前だけだ、カリッサ。この宮廷で、私の真の苦悩を理解してくれるのは……。あの忌々しい娘、フランシアも、宰相補佐のクロードも、誰もが私の座を奪おうと虎視眈々と狙っている……!」
「ご安心なさいませ。不浄なる枝葉は、すべてこのカリッサが刈り取って差し上げます」
カリッサは細い指で太后の白髪を優しく梳きながら、懐から小瓶を取り出した。
透き通るような白磁の杯へ、琥珀色の神酒を注ぎ入れる。
液体からは、微かに鎮静草と幻惑茸の甘い芳香が立ち上っていた。
「さあ、聖なる癒やしの霊薬をお召し上がりください。……三週間後の新月の儀。大聖堂で聖水を拝受したその時、あなたは真の聖母として不滅の栄光を手にするのです。……それまでの間、下賤な雑音はすべて、私にお任せを」
「ああ……神の愛し子よ……」
太后は完全に陶酔しきった目で杯を受け取り、毒薬とも知れぬ霊薬を一滴残らず飲み干した。
薬が巡り、やがて太后の瞼が重く落ち、椅子の背へと崩れ落ちるように深い眠りへと沈んでいく。
安らかな寝息を立てる老女を見下ろし、カリッサの慈愛に満ちた表情が、一瞬にして冷酷な捕食者のそれへと反転した。
「……哀れな老いぼれ」
カリッサは唇の端を吊り上げ、冷淡に杯を卓上へ戻した。
太后の手足となり、その罪悪感と狂気を煽り立てて宮廷を支配する黒魔女。
彼女の視線は、太后宮の窓の隙間から、遥か眼下の中庭へと向けられた。
そこでは、朝の光を浴びながら、典礼尚書家の令嬢エレノアを筆頭とする貴族の娘たちが、色とりどりのドレスを揺らして集まりつつあった。
手には、侍女に落ちた「偽物の王女」をいたぶるための、冷酷な罠を携えて。
「さあ……舞台は整いましたわ。せいぜい囀りなさい、愚かな小鳥たち」
修道女の漆黒の瞳が、愉悦に濡れて細められた。
鳥籠の底で蠢く悪意の嵐が、いよいよミシャの足元へと迫ろうとしていた。




