第61話:共犯
離宮の西翼、宰相府に連なる機密書庫は、吸音する古い絨毯と羊皮紙の匂いに包まれていた。
日没後、公務を終えた文官たちが退去したこの部屋に、ミシャは灰色の侍女服の裾を翻して足を踏み入れた。
手には、王女の居室から回収されたとされる帳簿の束。
表向きは「フランシア殿下の装飾品経費の照合を言いつかった下級侍女」という名目だった。だが、重厚な書棚の影から滑り出てきた長身の影が、その欺瞞のヴェールを一瞬にして剥ぎ取った。
「……鍵は閉めた。ここなら誰も入ってこない」
クロードの声は低く、そして乾いていた。
軍礼服の胸元を僅かに緩め、銀縁眼鏡を外した男の青い双眸が、暗がりの中で飢えた光を宿している。
男はミシャの手から帳簿を取り上げると、無造作に机の上へと放り投げた。
ドサリと重い音が響き、埃が舞う。
そのままクロードの手が伸び、ミシャの細い手首を掴み取った。強引な力ではなく、まるで壊れやすい硝子細工を壊さぬよう細心の注意を払いながら、決して逃がさないという硬質な意志がこもった握り方だった。
「カリッサが地下へ降りたと聞いた。……無事だったのか」
「ええ、見ての通りですわ、クロード卿」
ミシャは手首を引こうともせず、冷涼な菫色の瞳で至近距離の男を見上げた。
「大奥様の慈悲深いお夜食は、床の隙間の鼠たちのお腹を満たしました。……毒の配合は、森の毒キノコと沈静草。じわじわと気力を奪い、寝室での失火に見せかけて処分するための下準備でしょう」
淡々と己の死の罠を語るミシャに、クロードの奥歯がギリリと鳴った。
掴む指先が強張り、男の喉から掠れた息が漏れる。
「やはり、今すぐ城の外へ連れ出すべきだ。私の私兵を使えば、今夜にでも――」
「お戯れを」
ミシャは男の言葉をぴたりと遮り、空いた方の手でクロードの軍礼服の胸元――そこに差し込まれていた一通の封蝋書状を、指先で軽やかに弾いた。
「わたくしが欲しいのは、逃げ出すための馬車ではありません。……太后宮の機密金庫、その見取り図と鍵の複製です。宰相補佐の貴方なら、すでに手元にお持ちなのでしょう?」
クロードの息が止まる。
青い瞳が、信じられないものを見るように見開かれた。
「太后宮の金庫……? 十九年前の『王家の原簿』を奪う気か。……そんな無謀な真似、宮廷の警備網を知らぬから言える戯言だ。見つかれば即座に地下牢送り、拷問の末に首を刎ねられるぞ」
「だからこそ、貴方が必要なのです」
ミシャは一歩、男の懐へと踏み込んだ。
灰色の粗末な麻布が、豪奢な黒の軍服に擦れ合う。
冷え切った白磁の指先が、クロードの首元、白銀の飾緒を留める真鍮のピンへと伸びた。
「貴方はフランシア様の完璧な婚約者として、太后陛下の懐深くに潜り込みなさい。そして、新月の夜の警備計画の穴を、わたくしに差し出すのです。……それが、貴方の狂愛の証明ではありませんか?」
男の急所を的確に突き抜く、残酷なまでの甘い挑発。
クロードの喉仏が大きく跳ねた。
自分を拒絶し、手綱を握り、自らの破滅の道連れに仕立て上げようとするこの少女の傲慢さ。
氷の官僚の理性が、歓喜の悲鳴を上げて崩壊していく。
「……悪魔のような女だ」
クロードの唇から、自嘲と陶酔の混ざり合った呻きが漏れた。
男は掴んでいたミシャの手首をそっと口元へと引き寄せ、針刺し傷の残るその白い指先に、深々と唇を落とした。
熱い吐息が、ミシャの冷えた皮膚を灼く。
「望むがままに、全てを差し出そう。鍵も、見取り図も、私の命すらも。……だが忘れるな、ミシャ。鳥籠を食い破ったその暁には、お前を連れ去る権利は、私だけのものだ」
暗い書庫の底で、冷徹な官僚と不屈の針子の「血の盟約」が、後戻りの叶わぬ毒を孕んで結ばれた。




