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血と薔薇の離宮  作者: 秦江湖


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第60話:冷毒の器

銀の盆に載せられた白濁のスープから、湯気とともに微かな甘い香りが立ち上っていた。


鉄格子の隙間から差し入れられたその器を見つめ、ミシャは敷石の上で静かに頭を垂れていた。

黒衣の修道女カリッサは、陶器のように白い首元に銀の十字架を揺らし、鉄格子に細い指を絡めて甘美な笑みを浮かべている。


「さあ、冷めないうちに召し上がれ。三週間後の新月の婚儀まで、あなたにはこの地下で無事に息をしていてもらわねば困るもの」


三週間後。

その言葉の端に滲む毒の匂いを、ミシャの研ぎ澄まされた感覚が見逃すはずもなかった。

今すぐ息の根を止める劇毒ではない。三週間のあいだにじわじわと臓腑を焼き、思考を奪い、婚儀の夜に「地下の失火による事故死」として片付けやすくするための遅効性の毒。


ミシャは両手で恭しく銀の器を受け取った。


「大奥様の過分なるご温情、恐れ入ります。……ですが、シスター・カリッサ」


ミシャは器を唇に運ぶ寸前でぴたりと止め、冷涼な菫色の瞳をすっと持ち上げた。


「このスープには、森の沈静草と、湿地帯に生える白笠茸の煎じ汁が含まれておりますね。……安眠を促すには少々、分量が多すぎるのではなくて?」


カリッサの漆黒の双眸が、わずかに細められた。

宮廷の毒殺部隊が用いる、無色無臭に近い秘薬。それを湯気の一筋から言い当てた針子の慧眼に、修道女の眉が微かに跳ねる。


「……あら。森育ちの小鳥は、野草の知識もお持ちのようね」


「ええ。森で毒草の見分けがつかぬ針子は、冬を越す前に土に還りますから」


ミシャは微笑を崩さぬまま、灰色の侍女服の胸元から、先刻セリアの雨燕から受け取ったばかりの「灰眠草の香油を染み込ませた絹糸」を、指先で器の縁へと滑らせた。

目にも留まらぬ速さで、極細の糸が白濁したスープの表面をかすめる。


ジュッ、と。

肉眼では捉えきれぬほどの微細な気泡が立ち、香油の成分がスープの毒素を中和し、ただの鈍い香気へと変質させていく。森の三姉妹が誇る、解毒の秘術。


ミシャは躊躇うことなく器に口をつけ、喉を鳴らして半分ほどを飲み干してみせた。


「……ごちそうさまでした。身に染みる温かさでございます」


一滴の震えもなく器を盆へ戻すミシャ。

その顔色に苦悶の兆しはなく、ただ澄み切った静けさだけが湛えられている。


カリッサの唇から、ふっと微かな吐息が漏れた。

毒を言い当てられながらも、最終的には自らの手でそれを呷った――その姿に、修道女は「己の運命に抗えぬ無力な小鳥の諦観」を見出したようだった。


「ふふ……賢いこと。抗うことの無意味さを弁えている娘は、嫌いではないわ」


カリッサは銀の盆を引き寄せ、黒い頭巾の奥で毒々しい笑みを深めた。


「せいぜい、あと三週間の命を噛み締めることね。新月の夜、星がすべてを灰に呑み込むその刻まで」


裾を翻し、女の足音が螺旋階段の闇へと消えていく。


完全に気配が途絶えた瞬間、ミシャは袖口に隠していた乾いた麻布を取り出し、舌の下に残していたわずかな液体を吐き捨てた。

呼吸を整え、冷たい壁に背を預ける。


(三週間……)


太后が自分を処分すると定めた刻限。

そして、海賊騎士ガッシュの船が水門を開き、鳥籠を内側から食い破るための、猶予の刻。


ミシャの菫色の瞳に、氷のような決意の炎が灯った。

待っている時間はない。

太后宮の機密金庫、その見取り図を手に入れるため――今夜、あの男を呼び出さねばならなかった。




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