第4話:秘密の蜜月
路地裏の逢瀬から、それは奇妙な密やかさで始まった。
王女フランシアは、大奥様や従僕たちの監視の目を盗み、城壁の抜け穴を通っては、神聖の森の外
れにある古い廃礼拝堂へと姿を現すようになった。
「これをお食べなさい。南蛮のキャラック船が運んできた、砂糖漬けの果実よ」
石造りの崩れた祭壇の上。フランシアは銀の小箱を投げ出すように差し出す。
高慢な物言いは崩さないものの、その横顔には、宮廷では決して見せない微かな安らぎが滲んでいた。
「わあ......甘くて、木の実の油のようないい匂い。ありがとう、フランシア様」
「様付けなどおやめなさい。鏡に向かって敬語を使っているようで、虫酸が走るわ」
そう毒づきながらも、ミシャが美味しそうに頬張る姿を、フランシアはどこか眩しそうに見つめていた。
ミシャはお礼にと、裁縫箱から細い針と糸を取り出す。
逃げ隠れするうちに木の枝に引っ掛けてほつれてしまった、フランシアの豪奢なペチコートのレース。ミシャの指先が小鳥のように舞うと、傷口は見る間に塞がり、まるで最初からそうであったかのように優美な薔薇の刺繍となって蘇った。
「見事なものね。王宮のお抱え針子ですら、これほどの手際は持たないわ」
「森の三姉妹に、小さな頃から叩き込まれたから。布はね、繕えばいくらでも息を吹き返すのよ」
無邪気に笑うミシャの横顔を見つめ、フランシアはふと、自らの胸元を抱くように俯いた。
「......私の心も、その針で繕えたらいいのに」
掠れた呟きだった。
王都を統べる第一王女。豪奢なドレスを纏い、誰もが頭を垂れる深窓の姫君。けれどその内実は、
冷酷な太后ヒルデガルドの敷いた鉄の掟に縛られ、一挙手一投足を監視される息の詰まる鳥籠の
小鳥に過ぎなかった。
「大奥様の冷たい目が怖いの。粗相をひとつすれば、母様のように離宮の奥へ閉じ込められてしまう
......。私、もう何年も母様に触れていないわ。硝子越しに、眠る顔を眺めることしか許されないのよ」
フランシアの菫色の瞳から、大粒の雫が零れ落ちる。
強がりと高慢の仮面を剥ぎ取られた彼女は、ただ母を恋い焦がれ、孤独に震える十九歳の少女だっ
た。
親の顔を知らないミシャは、その涙に胸を締め付けられた。他人の空似。身分も育ちも天と地ほど違
う。けれど、なぜかこの孤独な王女を放っておくことができなかった。ミシャは思わず、フランシアの冷
え切った手を両手で包み込んだ。
「大丈夫よ。あなたには、私がいるわ。お城のことは分からなくても、ここに来れば、いつでも話を聞
いてあげられるもの」
フランシアは驚いたように目を見張り、それから、すがりつくようにミシャの手を握り返した。
「ええ......そうね。あなたと話している時だけ、私は息ができるの。私の、純白の白百合......」
身分を越え、鏡写しの二人が魂を通わせた、短くもかけがえのない秘密の蜜月。
けれど、微笑みかけるフランシアの瞳の奥底に――ミシャはまだ気づいていなかった。
極限まで追い詰められた人間だけが宿す、暗く淀んだ狂気の光が、静かに揺らめいていることに。




