第39話:剥奪の儀
大広間の喧騒から切り離された離宮の控えの間は、氷室のように冷え切っていた。
床には、砕け散った硝子の破片と、誰の足跡とも知れぬ泥水が広がっている。
部屋の中央に立たされたミシャの周囲を、侍女頭マルガレーテと下級侍女たちが、蔑みの視線を隠そうともせずに取り囲んでいた。
かつて深々と平伏し、畏怖を込めて「フランシア様」と呼んでいた女たちの手には、今や剥き出しの悪意が握られている。
「大罪人の分際で、いつまでその高貴な衣をまとっている気ですか。……引き剥がしなさい!」
マルガレーテの鋭い怒号が飛ぶ。
侍女たちの爪が、ミシャの背中へと容赦なく襲いかかった。
――ビリッ、と。
新大陸航路の船がもたらした極上の絹繻子。
幾重にも重なる手織りのレース、鯨骨のコルセットを留めていた真鍮の鳩目が、強引な力で次々と引きちぎられていく。
針の一刺し、糸のひと筋にまで王室御用達の職人たちが魂を注ぎ込んだ純白の夜会ドレスが、無残な襤褸布となって床へと音を立てて滑り落ちた。
冷たい夜気が、剥き出しになったミシャの白磁の肌を容赦なく撫でる。
だが、下着一枚の姿に晒されてなお、ミシャは顎を引かなかった。
妖精たちと厳しい冬の森を越えてきた針子の背筋は、どんな高位の貴婦人よりも真っ直ぐに伸びたままだ。
「ほう……大層な気位ですこと。王女の皮を被っていたからと、本当に高貴な血が流れているとでも錯覚なさったのかしら?」
マルガレーテが嘲笑を浮かべ、足元に用意させていた木箱から一揃いの布地を引っ張り出した。
湿気と埃の匂いが立ち込める、染めも粗い灰色の麻布。
王城で最も過酷な雑用を担う下級雑役婦のための、固く擦り切れた侍女服だった。
「これがお前のお似合いの皮よ。袖を通しなさい、泥棒猫」
足元へ投げ捨てられた灰色の粗布を、ミシャは静かに見下ろした。
胸元の奥、ドレスの裏地に縫い込んでいたはずのセリアからの手紙は、引き剥がされた絹の山の下で無事に守られていた。それを確かめ、ミシャは小さく息を吸い込む。
「……ええ、喜んで」
ミシャは自ら膝を屈め、泥で汚れた床から灰色の侍女服を拾い上げた。
羞恥に泣き崩れることを期待していた侍女たちの顔が、侮られたような苛立ちに歪む。
ミシャは躊躇うことなく粗末な麻の袖に腕を通し、固い紐を自らの手で締め上げた。
肩口で切り揃えられた黒髪が、灰色の布地の上にさらりと落ちる。
純白の白百合は剥ぎ取られ、一人の侍女がそこに立ち現れた。
――バタン!
控えの間の分厚い樫の扉が、乱暴に蹴破られた。
現れたのは、すでに王宮の正装――真紅のベルベットの部屋着を纏い、濡れた黒髪を乾かしたフランシアだった。
その首元には、誇らしげに青薔薇のペンダントが光っている。
部屋にいた侍女たちが一斉に青ざめ、床へ額を擦り付けるように平伏した。
「ひ、姫様……! 大奥様の仰せ通り、この大罪人から夜会服を剥奪し、侍女の身なりへと――」
「誰の許しを得て、私の持ち物に触れているの?」
フランシアの低く澄んだ声が、部屋の温度を一気に氷点下へと引き下げた。
平伏するマルガレーテの頭上を飛び越え、フランシアはまっすぐにミシャの前へと歩み寄る。
灰色の粗布を纏ったミシャと、真紅の衣を翻すフランシア。
鏡写しの二人が、今度は「主人と侍女」として視線を交錯させた。
フランシアの冷たい指先が伸び、ミシャの華奢な顎を強引にすくい上げる。
爪が皮膚に食い込む痛みに、ミシャは微かに眉を動かした。
「みすぼらしい姿ね、ミシャ。……でも、よく似合っているわ。私からすべてを盗み取ろうとした泥棒猫には、ちょうどいい檻だこと」
残酷な罵倒。
けれど、ミシャの顎を掴むその指先は、誰にも悟られぬほど微かに、小刻みに震えていた。
瞳の奥に蠢くのは、怒りだけではない。
手放せば今度こそ二度と戻らないかもしれないという、狂気じみた激しい恐怖。
「今日からお前の寝床は、日の光も届かぬ地下のリネン室よ。……私の朝の紅茶を淹れる刻まで、冷たい石畳の上で凍えていなさい」
フランシアは手を離すと、背後の侍女たちへ冷ややかに言い放った。
「この女を地下へ連れて行きなさい。……ただし、指一本でも傷をつけたら、その手を切り落として海へ捨ててやるわ」




