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血と薔薇の離宮  作者: 秦江湖


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第2話:鏡像

神聖の森を抜けた先に広がる王都ルミエールは、海からの熱気と喧騒に満ちていた。



大湊には世界中の海を渡ってきた巨大なキャラック船が碇を下ろし、波止場には香辛料や木材の匂

いが立ち込めている。


石畳の目抜き通りを行き交うのは、最新の流行を追う貴婦人たちや、活版印刷の銅版画新聞を売り歩く少年たち。



森の静けさとは別世界の、目も眩むような光景だった。



「すごい......船のマストが、教会の尖塔より高いわ」



ミシャは背負い籠の紐をぎゅっと握りしめ、小鳥のようにきょろきょろと視線を躍らせた。



無邪気に足を進め、たどり着いたのは王都屈指の老舗「エデル商会」の豪奢な店構えの前だった。



真鍮の取っ手を押して店に入ると、出迎えた初老の店主エデルが、ミシャの姿を認めるなり顔をほころばせた。



「おお、ミシャ! 待っていたよ。例の特注品は無事に?」


「はい! 工房の三姉妹と、朝露の光を全部集めて織り上げました」



ミシャが麻布を解き、籠から取り出した銀白色のレースショールを広げると、老商人は思わず息を呑み、眼鏡を押し上げた。



「......信じられん。蜘蛛の糸より細いのに、触れると夜露のように滑らかだ。森の隠者たちの手仕事

は、王宮御用達の織工ですら足元にも及ばんよ。これなら、東方航路の豪商の奥方も泣いて喜ぶだ

ろう」



エデルは感嘆の声を漏らし、上等な小麦粉と貴重な塩、そして小袋に詰めた銀貨をミシャに手渡し

た。


「いつもありがとう、ミシャ。街は人が多いから、寄り道せずに気をつけてお帰り」


「はい、エデルさん!」



用事を終えて店を出たミシャは、ショーウィンドウの大きな硝子の前に立ち止まった。



飾られているのは、最新の青い絹糸で織られた、贅沢なフリルの夜会ドレス。



(まあ......なんて綺麗な青。あの泉のほとりに咲く、紅薔薇の隣の青薔薇みたい......)



ミシャが天真爛漫な憧れの眼差しで硝子を見つめていた、その時だった。



――カラン、コロン。



規則正しく響く蹄の音とともに、中央通りの人波がさっと左右に割れた。



現れたのは、漆黒の木肌に金箔の細工が施された豪奢な四頭立ての馬車。扉には、王家を象徴す

る「青薔薇と黄金の百合」の紋章が誇らしげに刻まれている。



護衛の近衛兵たちが抜剣の態勢で周囲を威圧する中、馬車がブティックの真正面で静かに停車し

た。



従僕が恭しく扉を開け、踏み台を置く。



馬車の中から、深紅のベルベットのドレスを纏った一人の少女が、優美に、けれど酷く気だるげに降

り立った。



サロンで完璧に整えられた、艶やかな前下がりのフィンガーウェーブボブ。


血を思わせる真紅のルージュ。


誰もが道を開け、畏怖を込めて頭を垂れる――ルミエール王国第一王女、フランシア。



その高慢な姫君が、退屈そうにふと顔を上げた。



ショーウィンドウの透明な硝子越しに、二人の視線が真正面からぶつかり合った。


「――え?」


ミシャの喉から、掠れた声が漏れた。



硝子の向こうにいる豪奢な王女と、こちら側に立つ粗末な麻服の針子。


着ている物も、髪の結い方も、身にまとう空気もまるで違う。


けれど――。



白磁のように透き通る肌。


微かに吊り上がった、夜露を含んだ菫色の瞳。


鼻梁の繊細な傾斜も、驚きに見開かれた唇の形すらも。


毛筋一本違わず、まるで鏡を覗き込んでいるかのように、完全に同じ顔だった。



フランシアの足が、ピタリと止まる。


陶器のように冷徹だった王女の表情が、一瞬にして凍りついた。



彼女の菫色の瞳が、信じられないものを見たように見開かれ、紅を引いた唇が小刻みに震え始め

る。



周囲の喧騒が、潮が引くように遠のいていく。


互いの息遣いだけが、硝子を隔てて痛いほど響き合っていた。


――私?

――いいえ、あの人は......誰?



戦慄に硬直するミシャの視界の中で、王女フランシアが近衛兵の制止も聞かず、衝動的に歩調を早

めて硝子のこちら側へと詰め寄ってきた。


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