第19話:破かれた羊皮紙
「……面白い算術、だと?」
フェルディナントの脂ぎった笑みが、引きつったように固まった。
金髭の隙間から覗く唇がわずかに震え、濁った瞳に警戒の色が走る。
ミシャは動じない。白磁の指先を滑らせ、第七条の細かな注記を爪の先でカチリと弾いた。
「ええ。採掘機材の維持費と坑道の補修費は王室直轄予算から無制限に拠出し、産出された銀の利益は九割が公爵家、王室にはわずか一割。その上、損失が出た際は全額を王室が被る……。叔父様、これを世間では契約とは呼びません。『略奪』と呼ぶのです」
「な……何を無礼なことを! 鉱山経営のリスクを公爵家が背負うのだ、初期投資の負担を王家が分担するのは当然の商慣習だろう!」
フェルディナントが机を叩いて声を荒らげる。
だが、怒声で怯むようなミシャではない。エデル商会の帳簿の裏をかいくぐろうとした悪徳商人たちとの丁々発止を思い出しながら、ミシャは静かに背筋を伸ばし、怜悧な声で畳み掛けた。
「北の鉱山は、すでに先代の頃から坑道の湧水に悩まされ、採掘効率が著しく落ちているはず。今期に必要となる排水ポンプの更新費用だけで、優に数千金貨は下らない。……叔父様は、ご自分の領地で抱えきれなくなった赤字の穴埋めを、婚礼の混乱に乗じて王室の金庫に丸投げなさるおつもりでしょう?」
「き、貴様……っ!」
図星を突かれた男の顔が、怒りと狼狽で赤黒く染まり上がっていく。
かつて数字など見向きもせず、宝飾品とサロンの噂話にしか興味のなかったフランシア王女が、なぜ専門的な鉱山経営の実情と莫大な設備投資の試算まで即座に弾き出せるのか。
フェルディナントの双眸に、娘への侮りを超えた、薄気味悪い恐怖が宿り始めていた。
「誰に吹き込まれた! あのクロードか? 愚息めが、実の父親の計らいに泥を塗るような真似を……!」
「誰の知恵でもございません。王家の血を引く者として、民の血税を私利私欲のために溝へ捨てるような真似を見過ごせないだけです」
ミシャは冷ややかに言い放つと、羽ペンの先端ではなく、自らの両手で分厚い羊皮紙の束をしっかりと掴み上げた。
「伯父様。あなたのお作りになったこの紙きれは――」
「フランシア、待て! 何を――」
「ゴミクズでございます!」
――ビッ、ビリリッ!
朝の静寂を引き裂く、乾いた破断音。
ミシャは迷うことなく、荘厳な印章が刷られた契約書の束を、真二つに引き裂いた。
さらに重ねて、もう一度。
容赦なく四つ裂きにされた羊皮紙の残骸が、呆然と口を開けるフェルディナントの足元へ、雪のようにひらひらと舞い落ちていく。
「これ以上の侮辱を重ねられるのでしたら、この破片をそのまま中央広間へ持参し、大奥様と典礼省の面前で叔父様の『素晴らしい算術』をご披露申し上げますけれど?」
「……お、おのれ……っ!」
フェルディナントは拳を握り締め、床に散らばった書類の残骸とミシャの冷徹な菫色の瞳を交互に見つめた。
告発されれば、大奥様ヒルデガルドの怒りを買い、自らの立場すら危うくなる。
男は憎悪に満ちた呻き声を漏らしながら、吐き捨てるように踵を返した。
「覚えていろ……! 大奥様に取り入っていい気になっているようだが、いつまでもその傲慢が通ると思うなよ……!」
乱暴に扉が叩きつけられ、重い靴音が廊下の彼方へと去っていく。
一人残されたサロンで、ミシャは指先に残る羊皮紙の硬い感触を噛み締めながら、小さく息を吐いた。
叔父の罠は退けた。だが、これで離宮の中に、明確な「敵」をもう一人増やしたことになる。
その時、床に散らばった紙片の一枚に、ミシャの目が留まった。
引き裂かれた契約書の最後の裏表紙。
そこに、公爵家の正式な承認印とともに、ごく小さく、見慣れた流麗な筆跡のサインが添えられていたのだ。
――Claude von Wahrheit。
冷徹な氷の官僚。昨夜、温室でミシャの瞳に言葉を失っていたあの男の署名が、なぜこの強欲な叔父の略奪契約の末尾に記されているのか。
ミシャの胸の奥に、新たな冷たい疑念の棘が突き刺さった。




