第18話:強欲の叔父
温室での息詰まる夜が明け、青薔薇の離宮の朝は、硝子窓を叩く冷え切った朝霧とともに訪れた。
朝餉を終えたミシャが私室のサロンで呼吸を整える間もなく、重厚な扉が無遠慮に開かれた。
現れたのは、脂ぎった赤ら顔に豊かな金髭を蓄えた恰幅のいい男――王弟フェルディナント公爵。
クロードの実父であり、太后ヒルデガルドの威光の陰で王室の財政と利権を貪り続ける男だった。
「おお、我が愛しの姪、フランシア! 息災そうで何よりだ」
フェルディナントは両手を大仰に広げ、ビロードのマントを波打たせながらずかずかと踏み込んできた。
甘ったるい香水の匂いと、朝から胃の腑を焼く強い酒精の気配。
男は親しげな叔父の笑みを浮かべてミシャの肩に手を置こうとしたが、ミシャは優雅に裾を引いて半歩下がり、寸前でその脂ぎった指先を躱した。
「ごきげんよう、フェルディナント叔父様。朝早くから何事でしょう。大奥様へのご挨拶なら、中央広間へ向かわれた方がよろしいのでは?」
「ははは、相変わらず冷淡だな。だが、そんな澄ました顔も実に王女らしい」
躱されたことに気付かないふりをして、フェルディナントは従僕から革表紙の書類挟みを受け取り、大理石の円卓へと乱暴に置いた。
ジャラリと、分厚い羊皮紙の束が広げられる。
「実はな、我が愚息クロードとの婚礼にあたり、王家とヴァルハイト公爵家の資産保全に関する細目を取り決めておきたくてね。大奥様のお手を煩わせるまでもない、ほんの形式的な手続きだよ。ここにサインと、そなたの印章を捺してもらいたいのだ」
男は親身な保護者を装い、懐から真鍮の羽ペンを差し出してきた。
書類の冒頭には、荘厳な飾り文字で『公爵領北部における鉱山管理委託および維持費精算に関する覚書』と記されている。
「クロードはお堅い男だが、実務に長けている。王家が領有する北の銀鉱山の採掘権と帳簿管理を公爵家に一括して預けてくれれば、そなたは何一つ苦労せず、贅沢な持参金を手に入れて夜会のドレスに散財できるというわけだ。さあ、早く済ませてしまおう」
甘言の裏に潜む、獲物を追い込むような焦燥の気色。
かつての我儘で世間知らずなフランシアなら、「面倒な書類など見たくもない」と中身も読まずにサインしていただろう。
だが、今の王女は森の針子ミシャだ。
王都のエデル商会で、布地一反の仕入れ値、染料の輸送賃、新大陸航路の関税率に至るまで、店主と火花を散らして端数の一銅貨まで計算し合ってきた少女だった。
「……読ませていただきますわ」
ミシャは羽ペンを受け取らず、冷ややかに羊皮紙を指先で手繰り寄せた。
「おいおい、フランシア。叔父の私を疑うのかね? 小難しい数字が並んでいるだけで、読むだけ頭が痛くなるぞ」
フェルディナントが苛立ちを隠すように笑うが、ミシャの菫色の瞳は、すでに書類の細部を猛禽のように走っていた。
条項の並び、文字の級数、注記の小ささ。
エデル商会で悪質な問屋が持ち込んできた「詐欺まがいの帳簿」と、手口が寸分違わず同じだった。
ミシャの視線が、第七条の末尾に極小のインクで書き殴られた一行でピタリと止まる。
(……見つけたわ)
第七条:『採掘機材および坑道維持にかかる費用は、王室直轄予算より無制限に補填されるものとする』。
そしてその裏ページ、第九条の端:『算出される銀の配分率は、純度に関わらず公爵家九割、王室一割とし、損失発生時は王室が全額を負担する』。
公爵領の負債をすべて王家の金庫に押し付け、利益だけをそっくりフェルディナントの懐へ吸い上げる、致命的な収奪契約。
ミシャはゆっくりと羊皮紙から顔を上げ、冷たい微笑を唇に刻んだ。
「叔父様。……この契約書、随分と面白い算術でお書きになられたのですね」




