第43話:素直な感謝と不器用な約束
受験前夜。
「……よし。これで最後の過去問の復習も終わりだ」
拓実がシャーペンを置き、大きく伸びをした。
「お疲れ様。……うん、今の拓実なら、きっと大丈夫よ」
私が及第点を与えると、拓実は椅子をくるりと回転させてこちらを向き、真剣な顔で真っ直ぐに私の目を見た。
「ああ。俺がここまで来れたのは、毎日こうして隣で教えてくれた凛子のおかげだ。本当に、ありがとう」
「っ……別に。私はただ、隣にバカがいると私の尊厳に関わるから教えただけで……」
「それでもだ。凛子が隣にいてくれたから、俺は逃げずに頑張れた。明日は、凛子のためにも全部出し切ってくるよ」
もう……っ! だから、なんでそういう恥ずかしいセリフを真顔でド直球に言えるのよ。
相変わらず『素直すぎるバカ』の破壊力が高すぎて、毎回そっぽ向くしかできないって……私、チョロすぎない? そろそろ耐性ついてもいいんじゃないの?
「じゃ、じゃあ、今日はもう帰るわね。拓実も、しっかり寝なさいよ」
「おう。おやすみ、凛子」
私は立ち上がり、ドアノブに手をかけたところで、手が動かなくなってしまった。
……明日からはもう、この部屋に入る『言い訳』がなくなっちゃうのよね。
もちろん、家族ぐるみの付き合いがある佐藤家には普通に出入りできるし、これからも拓実のお世話もすることに変わりないんだけど、受験という名目がなくなったら……。
それこそ、私たちが『特別な関係』にならない限り『二人きりで毎晩机を並べる』なんてことはできないのよ。
冷たいドアノブを握りしめる手に、思わずギュッと力が入る。
……今言わなければ、絶対に後悔する。
私はドアを半分開けたまま、振り返らずに口を開いた。
「……ねぇ」
「……明日は、一緒に行くわよ」
「えっ……」
「朝の七時半に、うちの前に迎えに来なさいよね! 少しでも遅れたら、置いていくから!」
それだけ言い捨てて、私は足早に部屋を飛び出した。
ドアを閉める直前、拓実が驚きつつも、どこか嬉しそうな顔で頷くのが見えた。
***
自室に戻るなり、私はベッドにダイブして枕に顔を押し付けた。
「ああもう……っ! 私から誘うなんて、しっぽ振ってるみたいじゃないの!」
シーツをギュッと掴み、足をバタバタさせて身悶えした。
どうしよう……私が照れてたの完全にバレたわよね……。あいつ、変に調子に乗ったりしないかしら……?
ドアを閉める直前に見えた、あいつの嬉しそうな笑顔が脳裏にフラッシュバックして、また一気に顔が熱くなる。
結局、その熱が引くまで、私はしばらく起き上がることができなかった。
明日は受験本番だっていうのに、私は一体なにをしてるのよ……。
***
翌朝。
いつも通り準備を終えたはずなのに、鏡の前で無駄に何度も前髪を整えてしまった。
デートの待ち合わせでもないのに、なんでこんなに緊張するのよ。
私が緊張すべきなのは、どう考えてもテストの方でしょ……。
時計の針が七時半を指すのを確認し、大きく深呼吸をしてから玄関のドアを開けた。
外に出ると、約束通り、家の前で拓実が待ってくれていた。
「……おはよう。寝坊しなかったのね。偉いわ」
「おう。おはよう、凛子」
暴れ回ってうるさい心臓を無視して歩き出そうとした、その時だった。
ガチャリと、うちの玄関のドアが開いたかと思うと、お母さんがわざとらしく両手を合わせてニヤニヤしながら顔を出した。
「あらあら〜。今日は二人で一緒に行くのね〜? 仲良しで何よりだわ」
さらに、隣の玄関からも佐藤のおばさんが嬉しそうに顔を出し、ヒラヒラと手を振ってくる。
「拓実、しっかり凛子ちゃんをエスコートするのよ! 二人とも、頑張ってねぇ」
っ……! 完全に失策だわ。待ち合わせを家の前にするなんて……。
あのニヤニヤコンビが、こんな美味しいシーンを見逃すわけないじゃない!!
「い、一緒に行くって、ただ受験のついでで……!」
「いってらっしゃーい! 拓実くん、凛子をよろしくね〜!」
「……拓実、行くわよ」
これ以上あの二人に付き合ってられなくて、私は足早に駅へと歩き出した。
「お、おい凛子、そんなに急ぐなよ」
二人で並んで歩く距離は、肩が触れそうなほどに近くて、手だって簡単に繋げそうだ。
だけど、まずは受験。
ちゃんと合格して、私に話しかけなさいよ。バカ拓実。




