第35話:予想外の逆襲
その日の放課後。
旧校舎の裏は、グラウンドから部活の掛け声が遠くに聞こえるだけで、人通りは全くなかった。
結城たちとの勉強会を終えて帰ろうとしていた拓実を、私はわざわざ旧校舎の裏へと呼び出していた。
「どうかしたか、凛子? わざわざこんな所に呼び出して」
カバンを肩にかけ直しながら、拓実が不思議そうに首を傾げる。
「『どうかしたか?』じゃないでしょ。なんなの? あの昼休みのドヤ顔は?」
「へっ?」
「『俺って結構モテるだろ?』とでも自慢したかったのかしら?」
絶対零度の視線を突き刺すと、拓実はあからさまにビクッと肩を震わせた。
「え!? いやっ、そんなつもりは……!」
「へぇ……ずいぶん女子と楽しそうにしてたし、どうせ『フラグが立った』って鼻の下を伸ばして喜んでたんじゃないの?」
私がさらに冷え込んだ視線を向けると、拓実は慌てて両手を振って後ずさりした。
「ほ、ほんとに違うんだ!! す、少しは『女子とも喋れるようになった』って伝えたかっただけで……っ」
……え? 私に成長をアピールしたかっただけってこと!?
そんなの……疑ってイラついてた私が、馬鹿みたいじゃない。
でもね。そもそも、あんたがドヤ顔なんてかましてくるのが悪いのよ。
「……まったく。すぐに調子に乗るんだから。反省しなさいよね」
拓実のくせに……なんでこんなにイライラさせてくるのよ。
でも、今日の本題はこれじゃないわ。
「まぁいいわ。本題は別よ」
クールな仮面を強引に貼りつけながら話を進めた。
「最近、クラスでも結構馴染んでるじゃない。《《女子とも》》よく話してるみたいだしね」
「あ、ああ、結城たちに散々しごかれたおかげで、なんとか会話のパス回しはできるようになってきたよ」
「……そう。まあ、春先のキモかった頃に比べれば、外見も含めて少しはマシになったわね」
わざとらしくコホンと咳払いをして、本題を切り出した。
「だから……その、なんというか……。あれよ。もう、拓実は十分に基準はクリアしてると思うの」
「え?」
「だから! 私が春に言った『普通の人間になるまで話しかけるな』っていう命令は、もう解除してあげるって言ってるの! 明日からは、普通に私に話しかけてきても……いいわよ」
一気に言い切り、少しだけ顔を背けた。
ふん。言ってやったわ。
あんたが言い出さないから譲歩してあげたのよ。感謝しなさい。
これで拓実は「本当か!? ありがとう凛子!」と尻尾を振って喜ぶはずだわ。
チラリと視線を戻すと、案の定、拓実の肩がピクリと跳ねていた。
その口元が、嬉しさを隠しきれないように僅かに綻んでいるのが見える。
ほらね、やっぱり喜んでるじゃない。ま、私から折れてあげたんだから当然よね。
さぁ、あとはあんたが感謝を述べて、私に――
「……いや、ダメだ」
…………は?
綻んでいたはずの拓実の口元が、スッと引き締まる。
「え……? な、なんで?」
「凛子が俺の成長を認めてくれようとしたのは嬉しいけど、俺はまだ、結城にも、須藤にも、五十嵐にも追いついてない」
ちょっと……なに言ってるの? あいつらは学年トップの超絶ハイスペック集団よ!?
あれが『普通』だったら、全校生徒の九割以上が底辺になっちゃうでしょ!?
「ちょ、ちょっと待っ――」
「あいつらを見て、俺は自分がどれだけ底辺だったか理解したよ。頑張ってみたけど、まだまだ凄い差があるのがわかる」
拓実は真っ直ぐに私の目を見た。
「だから、あいつらと対等に肩を並べるようになるまで、俺はまだ『普通』になれてない」
えぇぇぇぇぇぇぇっ!? なんでここでそんなクソ真面目さ発揮するのよ!?
見本が良すぎた弊害が、こんな形でも爆発するなんて!
紹介したのは私だけど! こんな展開を予想できるわけないでしょ!!
「だから、凛子。お前の隣を堂々と歩けるようになるまで、俺からは話しかけない。約束は、ちゃんと守るから」
拓実は、清々しいほどの笑顔を浮かべた。
そして、軽い足取りで旧校舎の裏から去っていく。
……待ちなさい……まだ行かないでよ。
伸ばしかけた手は宙を掻き、私はその場に縫い付けられたように動けない。
バカ! 拓実のバカ!
私が話しかけていいって言ってるんだから、素直に従いなさいよ!
折れたのに! 譲ったのに! なんでこうなるのよ……。
自ら掘った深すぎる墓穴の底で、私はただ一人、夕焼け空を見上げて声なき絶叫を上げるしかなかった。




