第4話:髪を切っても世界は変わらない
私たちは美咲の先導で、駅前にある美容室――美咲の実家へと拓実を強制連行した。もちろん、このキモオタには拒否権などない。
「いらっしゃーい。あら、美咲。凛子ちゃんも。それと……お友達?」
明るい声とともにキラキラしたオーラを放ちながら現れたのは、美咲の面影がある、超絶綺麗な大人の女性。美咲のお姉さんだ。
「お姉ちゃん、ごめんね急に。さっき説明した『大工事』が必要なヤツ、連れてきたから」
「ふふっ、いいわよ。さあ、そこの彼、こっちの席に座ってね」
ふんわりとした笑顔で拓実を手招きする女神のようなお姉さん。
しかし、当の拓実は店の入り口で、見えない壁に跳ね返されたかのように立ち往生していた。
出たわね。洗練された空間と輝く大人の女性に対する、陰キャ特有の拒絶反応。
ガラス張りの店内に充満する「お洒落」という名の高濃度な空気。あいつの貧弱な肺には、少々刺激が強すぎたかしら。
まるで「聖域に迷い込んだスライム」みたいな顔をして震えている拓実。
千円カットしか知らない男には、ここは足を踏み入れるだけでHPが削られていく高難易度マップに見えているんでしょうね。
陰キャオタクの考えていることなんて、手に取るようにわかるのよ。
「な、なあ凛子……やっぱり俺、帰っていいか? こういうキラキラした場所は俺の肌に合わないというか、見えない結界が張られている気が……」
「……結界? 寝言は寝て言いなさい。それはあんたが勝手に、自分の卑屈さで心のバリアを張ってるだけでしょ。そんな安っぽいプライド、お姉さんにさっさと『浄化』してもらいなさい」
準備をしてくれているのに、帰るなどという選択肢はない。
逃げ出そうとする拓実の背中を須藤と一緒に押し込み、そのままカットチェアに座らせた。
「さて、今日はどうしよっか?」
お姉さんが、眩しい笑顔で鏡越しの拓実へ問いかける。
「え? あ、えっと……こ、この世界に……あ、いや、違う。その……あの……愚民どもに擬態というか……ふひっ」
ふひっ!?
てか、なによ「この世界」とか「愚民に擬態」って。ラノベ語じゃなくて日本語を喋りなさいよね。
来日したての外国人労働者でも、もう少しマシな意思疎通を試みるわよ。
「……あ、えーっと、普通にスッキリさせる感じでいいのかな?」
ほら、会話のキャッチボールをしようとして、相手から泥団子を投げつけられたみたいにお姉さんの顔が引きつってるじゃない。
「お姉さん。こいつの妄言は聞き流していいです。ウザい前髪ごとバッサリいっちゃってください」
「お、おい凛子! 俺の意見は――」
「黙りなさい。あんたの意見は聞いてないから」
私の即断に、お姉さんは「あはは」と苦笑いしながら頷いた。
「オッケー。それじゃあ、まずはシャンプーからいこっか」
お姉さんが手際よく、首元にケープを巻いていく。
「っ……!」
首元に布が触れただけで、電気ショックでも受けたみたいに身を固くする拓実。
その後も、イスを倒せば崖から突き落とされたような顔で体を跳ねさせ、顔にタオルを置けば暗闇への恐怖からか謎の奇声を漏らす始末。
お姉さんが「リラックスしてねー」と声をかけても、全身を鋼鉄のように強張らせている。
ただ髪を洗われるだけなのに、人体実験のモルモットを見ている気分だわ。
まったく……女性に対する免疫がゼロどころかマイナスなのよ、こいつ。
これで、よくもまあ、私に告白なんていう『特攻』ができたものだわ。
後ろの待合ソファから腕を組んで監視していると、シャンプーを終えてハサミを入れ始めたお姉さんが、ふと明るい声で話しかけた。
「髪の量が多くて羨ましいなー。これなら色んな髪型にできるわよ。素材は悪くないしね」
お姉さんの何気ない、プロとしてのリップサービス。
その瞬間、拓実の耳がピクッと動いた。鏡越しに見える顔が、みるみるうちに恥ずかしさで赤く染まっていく。
……出た。
こいつ、お姉さんの社交辞令を「俺の隠れた魅力に気づいた!」と脳内変換しているわね。
その恥ずかしいドヤ顔を晒すよりも、ラノベの読みすぎで脳みそまでファンタジーに侵食されてる事実に気づいてくれないかしら。
すかさず拓実の背後へ回り込み、耳元で氷点下の釘を刺した。
「……勘違いしないように」
「いっ!?」
「お姉さんが優しいのは『ビジネス』。これはあんたの頭に生い茂った雑草を刈り取っているだけの『ただの草刈り』。いちいちキョドらない、心ときめかせない」
「っ、と、ときめいたりしてないし! 俺はただ、大人の女性の余裕に少しばかり感心していただけで――」
「はいはい、口答えしない。お姉さん、手加減抜きでいっちゃってください。一ミリの未練も残さないくらいバッサリと」
私の合図とともに、お姉さんのハサミが迷いなく動く。
その後、鬱陶しかった前髪を切り落とされ、隠れていた両目が露わになった拓実は、自分の顔を直視できずに最後までひたすらキョドり続けていた。
***
翌日の朝。
隣のクラスのドアの前で、スッキリと短くなった髪の拓実が無駄に深呼吸をしていた。
少し離れた後ろで監視している私には、『ラノベ勘違い野郎』の脳内が手に取るようにわかる。
『ドアを開けた瞬間、クラス中が静まり返り、女子たちが「えっ、あのかっこいい人誰?」とざわめき出す』
そんな、都合のいいラノベ展開を期待してるのよね。
まったく……いつまで夢見てるんだか。現実はそんなに甘くないってこと、今から思い知るといいわ。
『満を持して』というドヤ顔を作り、勢いよくドアを開け放つ拓実。
――
「あはは、マジで!? それ超ウケるんだけどー」
「おーい、今日の小テストの範囲どこだっけ?」
「やべっ、俺ノート忘れた。見せて!」
教室の空気は、1ミリも動かない。
誰もドアの方なんて見ていない。
見事なまでの無風。
当然だ。陰キャのイメチェンなんて、これっぽっちも気にかけるわけがない。
これが現実よ。
「……え?」
予想外すぎる現実に、拓実がドアを開けたポーズのまま完全に石化している。
その背後からツカツカと歩み寄り、冷ややかな声で背中越しに言い放った。
「邪魔よ。いつまで入り口で突っ立ってんの」
「ひっ!? り、凛子!?」
「教室がざわめくイベントでも期待してたわけ? バカじゃないの。自意識過剰も甚だしいわ」
凍りつく拓実の前に回り込み、容赦なく現実のナイフを突きつけた。
「いい? あんたが髪を切ったかどうかなんて、クラスのみんなにとっては『今日の給食、何かな?』ってことよりどうでもいいの。髪型を変えたくらいで世界が変わるなんて、ラノベの読みすぎよ」
「うっ……」
「現実に主人公補正なんて存在しないわ。それに、髪を整えただけで、あんたの中身は陰キャのままなんだから。期待を裏切られた被害者みたいな顔をしてないで、さっさと自分の席に座りなさい」
「……う、ううっ」
完璧に論破された拓実は、この世の終わりのような顔で、逃げるように自分の席へと消えていった。
勘違いもここまでくると恐ろしいわね。本当に、身の程を知りなさい。
教室の隅の席について、小さく丸く縮こまる拓実の背中を見つめながら、再び冷たい溜息をこぼした。
とりあえず、髪をどうにかして『視界に入っていい生き物』の最低ラインには乗せた。
だが、あのヨレヨレでシワシワの制服と、休日の小汚い私服をどうにかしなければ、次へは進めない。
それにしても……たった一個の矯正で、この徒労感。
自分で言い出した計画だけど、先が思いやられるわね。




