第28話:ちょっとイラッとするわね
十月下旬。ついに迎えた文化祭当日。
校内は一般公開の来場者も入り交じり、非日常のお祭りの熱気と喧騒に包まれていた。
廊下には、どこかの教室から流れる重低音が鳴り響き、不器用に切り貼りされた段ボールのアーチや、油性マジックの匂いが残る極彩色のポスターが壁を埋め尽くしている。
すれ違う他クラスの生徒たちも、普段の制服とは違うお揃いのクラスTシャツや衣装を羽織り、手に持ったメガホンを叩きながら浮き足立った声を上げていた。
私たちのクラスのお化け屋敷は大盛況で、私と美咲は前半のシフトを終えてようやく休憩をもらえたところだった。
「あー、疲れたー! お客さん途切れないし、ずっとお化け役をやってたから喉カラカラ! 凛子、ちょっと甘いものでも買いにいこっか」
「そうね。ずっと暗いところにいたから目が痛いわ」
賑わう廊下を歩き出し、隣のクラス――拓実のクラスの前を通りかかった。
拓実のクラスは喫茶店をやっているようで、廊下ではエプロン姿の女子生徒が数人、忙しそうに宣伝用のチラシを配って呼び込みをしている。
「はい、喫茶店やってまーす。お願いしまーす!」
押し付けられた手書きのチラシを片手に歩いていると、美咲がふと前方を指差した。
「あ、佐藤じゃん」
廊下の奥から、備品の入った段ボールを抱えた拓実が歩いてくるのが見えた。
今日もちゃんと真面目に裏方をやってるじゃないの。
私たちの教育の賜物だから、良いことなんだけど……昨日からツッコむところがないわね。
あいつ、調子に乗ってないかしら。
声をかけようとした、そのときだった。
「きゃっ!」
通りがかったお客さんとすれ違いざまに肩がぶつかり、拓実のすぐ近くで呼び込みをしていた女子の一人がバランスを崩した。
転びはしなかったものの、彼女が抱えていた大量のチラシが、バサバサと音を立てて廊下の床に散らばってしまう。
あー、これは大惨事ね。
ぶつかった人は……逃げたわね。
「あっ、もう……!」
慌ててしゃがみ込む女子。
私が手伝おうと一歩踏み出した瞬間、それよりも早く、拓実が動いた。
あいつは散らばったチラシを見るや否や、持っていた段ボールを壁際にスッと置き、すぐに女子のそばにしゃがみ込んだ。
そして、無言でチラシを拾い集め始めたのだ。
「あ、佐藤くん! ごめん、ありがとう」
「いや、いいよ。はい、これ」
拓実からチラシを受け取った女子が、ホッとしたように、そして少しだけ頬を染めて「ありがとう、助かったよ」と微笑んだ。
――は?
なに今のスマートな対応。
あんたなら、オタクCPUがショートしてフリーズするか、痛い言い訳をしてスルーするところでしょ!?
それなのに……まるで、結城の対応そのものじゃないの。
「おおー、佐藤やるじゃん。今のはスマートだったねー。あの女子、ちょっとときめいてたんじゃない?」
美咲が感心したように、そして少しニヤニヤしながら口笛を吹く。
……なんだか、ちょっとイラッとするわね。
再び段ボールを抱えて教室の裏方へと戻っていく拓実の姿を、じっと目で追ってしまっていた。
今頃どうせ、『フラグが立った』とか言って、だらしなく鼻の下を伸ばしてるんでしょ。
陰キャぼっちだったくせに、いいご身分ね。
あんたは、私に見捨てられないように『普通の人間』になる。それだけでいいのよ。
なのに、結城の真似事して女子の好感度を稼げなんて、誰も求めてないわよ。
せっかくここまで、私が手塩にかけてプロデュースしてやったっていうのに、女子にいい顔して、調子に乗りやがって。
そうよ。それだわ。あいつが調子に乗ってるのがムカつくんだわ……ええ、絶対そう。あんな結城のパクリ男、見ててもつまんないのよ。
「ちょっと凛子、目! 目! 怖いから! 絶対零度どころじゃないよ、それ!」
隣で美咲が引きつった声を上げ、私の制服の袖をグイグイと引っ張った。
「……別に、普通よ」
「いやいや、その声のトーンが一番怖いから」
「ふん……行くわよ、美咲。甘いもの、早く食べたいから」
「えっ、あ、うん。ちょっと凛子、歩くの早いってばー!」
手のひらの中では、さっき通りすがりに受け取ったばかりのチラシが、無残にひしゃげてクシャクシャの塊に変わっていた。
背中越しに聞こえる文化祭の喧騒が、今の私には少しだけ鬱陶しく感じられた。




