第20話:夏休みを削る覚悟
夏休みに入って数日が過ぎたある日。
連日の猛暑を避けつつ、拓実の学力を鍛えるために、市民図書館の学習室を訪れていた。
須藤と美咲は不在。ここにいるのは、学年トップ10常連の結城と私、そして赤点常連の幼馴染の三人だけだ。
「……う、うーん……っ」
向かいの席で、拓実がシャーペンを握りしめたまま、頭を抱えて唸っている。
結城が用意した中学生向けの総復習プリント。
制限時間を設けて解かせているのだけど、あいつのポンコツCPUは開始たった十分で完全にショートし、沈黙していた。
まだ名前を書いて最初の数問しか進んでないのに、もうフリーズかしら。
どんだけ低スペックなのよ。
「はい、そこまで。時間終了」
結城が容赦なくプリントを回収し、赤ペンを走らせていくのを、隣から覗き込む。
真っ赤……じゃなくて空欄だらけじゃないの。マイナス計算も基本スペルも全滅って、これ、義務教育の完全なる敗北だわ。
「よし、現状の実力はだいたい分かった」
結城がペンを置き、図書館の静かな空気に合わせて声を潜めた。
「二学期の中間テスト、目標は『全教科で平均点以上』って決めたよな?」
そう、次の目標は平均点。明確な『普通』のラインなんだけど……。
「現実的に考えてかなり厳しいぞ。期末試験は、赤点回避だけを考えて狙い目を絞ったから何とかなったけど、平均狙いならこの手は使えないからな」
「結城、何か作戦はあるの?」
私の問いかけに、結城がプリントをトントンと机で揃えながら、残酷な事実を突きつけた。
「基礎だな。期末の時にも思ったけど、基礎が相当ヤバい……中一の内容からやり直すべきだ」
ド正論だけど、『さんすう』と『こくご』から出直す方がお似合いじゃないかしら。
「中一から!? そこまでヤバかったのか……俺の頭」
「さすがに、嫌か?」
結城の問いかけに、自分の惨憺たるプリントを見つめ、唇を噛む拓実。
中一からやり直すなんて、屈辱でしょうね。
さあ、どうするのよ。変わったところを見せなさい。
「……それでいい。基礎から頼む」
拓実は真っ直ぐに結城の目を見て頷いた。
「でも、ごめん。中一の内容からやり直すとなると、結城たちにも無駄な時間を使わせちゃうな……」
嘘でしょ!? バカさを素直に認めるだけじゃなく、私たちの時間にまで気を遣うって……まともな人間みたいじゃないの。
さっきの勉強で脳がバグった結果、奇跡的にパズルがはまったのかしら。
「俺らはいいよ。全員で毎日教えるのは無理だけど、ローテーション組めば誰かは付き合えるだろうからさ」
結城は全く気にした様子もなく、あっさりと爽やかに笑った。
「それよりも、佐藤は大丈夫か? この遅れを取り戻すには、毎日数時間は必要になるぞ」
結城の言う通りね。
毎朝の筋トレ、基礎からの勉強、さらに外見指導やコミュ力特訓も必要なんだから、自分の時間なんてほとんど無くなるはずだわ。
これまでみたいな『オタクの黄金の夏休み』は消滅する。その覚悟が、こいつにあるかしら。
「いいんだ」
拓実は迷うことなく言い切った。
「これは俺の覚醒に必要なイベントだから。俺の趣味の時間を削るくらい、どうってことないよ」
覚醒って……未だに自分は主人公だと勘違いしてるのかしら。
ま、その心意気だけは買ってあげてもいいわね。
計画立案者として、村人としての覚醒に協力してあげようじゃないの。
「それなら、明日は私が見てあげるわ」
「えっ?」
驚いたようにこちらを見る拓実に、私はあえて冷酷な笑みを浮かべた。
「私は結城みたいに優しくないわよ。あんたの空っぽの脳みそに、基礎の基礎から完ッ璧に叩き込んであげるわ」
「ひぃっ……!!」
拓実の情けない悲鳴が静かな図書館に小さく響き、隣で結城が声を殺して笑っている。
明日からはスパルタカリキュラムを組ませてもらうわよ。
徹底的にしごいてやるんだから、覚悟してなさい。




