第19話:開始五分で瀕死の村人
終業式の夜。須藤から一通のメッセージが届いた。
『実はさ、明日から佐藤が俺の朝のランニングと筋トレについてくることになったんだわ』
――は?
拓実がトレーニング?
四度見しても、何度目をこすっても画面上の文字列は一文字も変わらなかった。
須藤によれば、あいつの方から直談判してきたらしい。
理由は「ヒョロガリで体力のない奴は普通なんて言えない」から。
いや、冗談でしょ。
志だけはご立派だけど、自分の現状が見えてなさすぎる。
須藤のトレーニングなんて、現役サッカー部エースが自分を追い込むためのガチメニューよ?
体育の時間は常に日陰で光合成してたスライム以下のオタクが、Lv99の勇者についていけるとでも思ってるのかしら。
とはいえ、「普通の人間になれ」と焚き付けたのは私なんだから、現状確認する義務くらいはあるわね……。
***
翌日の早朝。
初日の様子を確認しに河川敷へ足を運ぶと、そこには早くも無様にひっくり返っているポンコツ幼馴染の姿があった。
ちょっと待って。もう死にかけてるじゃない。
芝生の上で大の字になり、文字通り虫の息。そのすぐ横では、須藤が汗一つかかずに涼しい顔で屈伸運動をしている。温度差がひどすぎるわ。
「おお、氷室。おはよう」
「おはよう、須藤。……これ、どういう状況?」
「はは、まだウォーミングアップのジョギングなんだけどな。五分でこれだ」
五分!?
たった五分走っただけで瀕死状態って、どんだけ体力ないのよ。
視線に気づいたのか、拓実がかすれた声で何やら呟き始めた。
「俺って……こんなに、体力なかったのか……。まるで、HPが1の村人だ……」
村人に失礼ね。村人だって五分くらいの運動は余裕でこなすはずだわ。
足元でピクピクしている虚弱オタクを見下ろし、私は短く息を吐いた。
「今までクーラーの効いた部屋でラノベ読んでゴロゴロしてただけなんだから、当然よね。自分のミジンコ以下の体力を呪いなさい」
「ミジンコって……でも、凛子の言う通りだ。自分のクソみたいな体力のなさに絶望してる。ウォーミングアップだけで、このザマだし……」
拓実がフラフラと上体を起こし、力なく頷いた。
あら? 素直に認めるのね。
被害妄想のバリケードをぶっ壊したからかしら。いい傾向だわ。
「ま、最初はそんなもんだ。ちなみに、まだウォーミングアップも終わってないからな」
須藤が爽やかな笑顔で、拓実の肩をポンと叩いた。
「俺だって最初は全然走れなかったしな。けど、体力と筋力はやった分だけ確実につくからさ。努力は裏切らねぇよ」
須藤のスポーツマンらしい真っ直ぐな言葉に、拓実の死んだ魚のような目に少しだけ光が宿った。
「そうだな……よし、もう一回だ。俺はここで限界を超えてみせる……!」
また漫画の主人公みたいな痛いこと言ってる。このファンタジー脳は消えないのかしら。
って、そんなことより、ちょっと危ないわね。
生まれたての小鹿のように脚をガクガクと震わせながら立ち上がろうとする拓実。
すかさず、須藤がその肩をガシッと抑え込んだ。
「ダメだ。一旦はここまでだ、休め。初心者が一番怖いのは、無理してケガすることだからな。過度なペースでやるなら、明日から俺は付き合わねぇぞ」
「す、須藤……」
「そうよ」
須藤の真っ当すぎる意見に頷き、私は腕を組んだ。
「一日だけ無理して倒れても何の意味もないの。大切なのは、自分のペースで毎日継続すること。あんたの場合、まずは『朝起きて外に出る』だけでも十分なトレーニングなんだから」
「その『続ける』っていうことが一番難しいんだ。だから、焦らずに少しずつレベルを上げていこうぜ、佐藤」
「……そうなのか。じゃあ、まずは出来ることをするしかないな……そのかわり毎日続けるよ」
へぇ、ちゃんと人のアドバイスも聞けるようになってるじゃない。
他責思考のバグは消滅したと思って良さそうね。
「心意気だけは評価してあげるわ」
私は小さく息を吐いた。
「サボってないか、週に一度は抜き打ちで監視しに来るから、せいぜい三日坊主にならないようにちゃんと続けなさいよね」
「み、見に来てくれるのか! よっしゃ! 絶対に『普通』の体力を手に入れてみせるからな!」
監視って言ってるのに、なんでそんなに嬉しそうなのよ……バカじゃないの。
でもまあ、初めて自分の意志で這い上がろうと動き出したその事実だけは、正当に評価してあげるべきかしら。
問題は、この絶望的な体力のなさを自覚した上で、いつまで心が折れずにいられるかだけど。
私は河川敷のベンチに腰掛け、この無謀すぎる夏休みの挑戦を、特等席で観察してやることにした。




