第16話:オタク、現実を知る
さて、あのバカは今日の放課後、どう動くつもりかしら。
須藤の地道な努力を目撃した、翌日の放課後。
昨日の朝の時点で、あいつが一番厄介な『他責思考』のバグを自覚したことは確認できた。
結城たちには『反省したみたいだから、見捨てるのは保留』とだけ伝えてある。
あとは直接あいつの態度を見て、彼らに最終判定を下してもらうだけだわ。
いつもの空き教室に着くと、少しだけ開いたドアの隙間から話し声が聞こえてきた。
「おう、佐藤。五十嵐と氷室はまだ来てないみたいだけど、どうしたんだ改まって」
結城の声だった。どうやら須藤と拓実の三人だけが先に集まっているらしかった。
私はドアの陰に身を潜め、こっそりと中の様子をうかがった。
「……結城、須藤。俺が間違ってた」
隙間から覗き見ると、拓実が結城と須藤に対して真っ直ぐに向き合っていた。
「環境のせいにして被害者ぶってたし、『本気を出せばできる』なんて、ダサい言い訳をしてごめん……自分が恥ずかしい」
あら。普通の人間みたいな謝罪ができるじゃない。
あいつの脳内にも、ようやく『羞恥心』という概念が実装されたのかしら。
ところが、そんな感動的な謝罪から数秒後。
拓実は突如、腰を九十度に曲げて勢いよく頭を下げた。
「だから頼む! 俺に勉強を教えてくれ!」
「おいおい、急にどうしたんだよ佐藤」
「昨夜、心を入れ替えて徹夜で勉強しようと意気込んだんだが……一ページ目で脳がフリーズして、開始五分で寝落ちした……」
開始五分で寝落ちですって!?
どんだけ集中力ないのよ。カップ麺すらろくに作れない時間じゃない。
……膝の力が抜けたわ。三流のコントでも、もう少しマシなオチをつけるでしょうに。
さっきまでの感心を全額、利子付けて返してほしいわ。
さらに拓実はカバンから一冊の教科書を取り出し、泣きそうな顔で見せつけた。
「頼む! 俺にはこの教科書に書かれている魔法陣が全く解読できないんだ!」
「魔法陣って……お前、それただの数学の教科書だろ」
呆れたような須藤の指摘が聞こえてくる。
頭が痛いわ……。
ただの数式を魔法陣扱いするなんて、ファンタジー世界に転生しても魔法が理解できずに即死するんじゃないかしら。
拓実の絶望的な基礎学力のなさを目の当たりにした結城は、さすがに呆れたように苦笑しながら教卓に寄りかかった。
「……よし。とりあえず、目標は『全教科、赤点脱出』からだな……」
「え? 平均点とかじゃなくていいのか?」
「馬鹿言え。開始五分で寝落ちする奴が、一週間で平均点なんて取れるわけないだろ。高望みはせずに、絶対に落としちゃいけない基礎問題だけを徹底的に叩き込むぞ」
「お、おう。わかった。赤点回避が目標な」
拓実のやつ、ぐうの音も出てないじゃない。
結城、あんた教師の才能あるわね。
あのバカに言い訳すらさせず、一瞬で『現実的な目標』を認めさせるなんて。マネジメント能力、高すぎだわ。
結城の現実的すぎる目標設定に、拓実は真剣な顔で頷くと、ふと思い出したように結城と須藤に尋ねた。
「そういえば……お前らって、学年で何位くらいなんだ?」
「ん? ああ、成績か」
須藤はあっさりと答えた。
「俺は部活やりながらだから、大体学年で上位20%ってとこかな」
「えっ!? 毎日ガチで部活やってて上位20%!?」
「で、あとの三人はトップテンの常連。まあ、特に結城と氷室は、だいたい首位争いをしてるな」
「…………は?」
はい、フリーズ。
あいつの脳内辞書には存在しない『首位争い』なんて単語を聞かされて、処理エラーを起こしたようね。
「しゅ、首位争い!? トップテン!? お前ら、どんだけハイスペックなんだよ……! 五十嵐なんてギャルなのに……天才だったのかよ」
このバカ、いつの時代からタイムスリップしてきたのかしら。
ギャルなら馬鹿だなんて、カビの生えたステレオタイプだわ。呆れた思考回路ね。
「おいおい、才能じゃないぞ。お前が家でラノベ読んでる間、俺たちは教科書を開いてただけだ」
須藤がサラッと言ってのけた。
「……マジかよ。俺は、とんでもない最強パーティーに拾われたレベル1の村人だったのか……!」
拓実は、頭を抱えしゃがみ込んだ。
気づくのが遅いのよ。
あんたは学年トップクラスのハイスペック集団の貴重な時間を奪って、生ゴミ錬成したりエロ本テロ起こしたりしてたのよ。
校内一贅沢な指導をされてるって自覚を持ってほしいわね。
「ははっ! ビビってんなよ。俺たちが教えてやるんだから、赤点くらい余裕で回避させてやるって!」
結城が笑いながら、丸まる拓実の背中をバンバンと叩いた。
他責思考という最大のバグは消え去り、少しだけ素直になったものの、この低スペックすぎる幼馴染の教育、まだまだ終わる気配はなさそうだわ。
赤点回避すら果てしない道のりに感じるなんて。……まったく、先が思いやられるわね。




