第13話:『本気を出せば』の痛い言い訳
六月末。
ジメジメとした梅雨の空気が漂う放課後の空き教室で、私たち五人は来月に迫った期末試験に向けて勉強会を開いていた。
この一か月半のスパルタ特訓の甲斐あって、拓実の外見はなんとか『無害な村人A』レベルに昇格したし、コミュ力に関しても、『挨拶』『パス回し』『相槌』という人間としての最低限の基本機能をインストールしたおかげで、多少はマシになってきていた。
結城たちの輪の中にいても、以前みたいに痛いラノベ発言で空気をシベリアの永久凍土にすることも減った。減っただけでゼロにはなってないけど。
以前のマイナス限界突破状態からすれば、奇跡的な進歩で、計画は順調に進んでいる。
……そう思って油断した私がバカだったわ。
「そういえば佐藤。お前、五月の中間試験の結果ってどうだったんだ?」
結城がノートを広げながら、ごく自然な流れで尋ねた。来月の期末に向けた、あまりに真っ当すぎる現状確認だ。
問いかけと同時に、フリーズする拓実。
「あー……まあ、ぼちぼち、というか……」
視線を天井へと逃がし、カバンを椅子の後ろへ隠そうとしている。
その見え透いた工作は、現場を押さえられた三流サスペンスの犯人そのもの。
聞くまでもなく平均点以下で確定ね。
「いいから見せなさい。どうせ大した点数じゃないんでしょ」
有無を言わせず手を差し出すと、拓実はカバンの奥から、クシャクシャになった答案用紙の束を引っ張り出してきた。
ちょっと、扱いが雑すぎるでしょ。なんでただのプリントが、アコーディオンみたいにシワシワになるわけ?
「……おいおい、マジかよ」
答案用紙を広げた結城が、引きつった声を上げた。
「佐藤、お前これ……数学9点って。他も全部赤点で、補習行きばっかりじゃないか……!」
9点!? ちょっと待って、三択の問題を適当に選んだって、もう少しまともな数字が出るはずよ。
「ちょっと佐藤! これヤバすぎっしょ! 英語なんて3点じゃん!」
美咲は引きつった顔で固まり、須藤は答案用紙から目を逸らしてこめかみを押さえている。
平均なんて甘い状況じゃなかった。
外見やコミュ力にばかり気を取られていたけど、こいつは学力も底辺を突き抜けて、マントルの奥底まで到達してたらしい。
「……佐藤。お前、普段の授業はどうしてるんだよ、寝てるのか?」
須藤の、逃げ道を塞ぐような低い声。
その真っ当な問いかけに対し、拓実はバツが悪そうにそっぽを向きながら、口を尖らせた。
「……授業は起きてるさ。だが、あの教師たちの教え方が絶望的に下手なんだよ。声は聞き取りにくいし、板書もセンスがない」
一体どの口が言っているのかしら。自分の名前すらまともに書けているか怪しい点数のくせに。
「だいたい、暗記偏重の日本の教育システム自体が、俺には合わないんだ。ただの記憶力ゲームなんて、真の思考力を測る指標にはならないだろ」
出たわね。
自分の無能を棚に上げて、環境やシステムのせいにする痛すぎるオタク特有の言い訳。
義務教育のレールにすら乗れていない脱線車両が、いっちょ前にレールの設計にケチをつけている。
その厚顔無恥っぷりが、私の脳内ゲージを振り切った。
「はいはい……もういいわよ」
机を叩く鋭い音が響く。
私は、泳いでいる拓実の視線を逃がさないよう、絶対零度の眼差しでその場に縫い止めた。
「な、なんだよ凛子……」
「教師の教え方が悪い? 教育システムが合わない? ふざけないで。みんな同じ条件で授業を受けて、同じテストを解いているの。あんたが赤点なのは、単にあんたが勉強から逃げている怠け者だからよ」
私の正論のナイフが、容赦なく拓実の痛いところをザクザクとえぐっていく。
「結果も出していないのに、勝手に被害者ぶって環境のせいにするな。それが今のあんたの『実力』なのよ。寝言は平均点取ってから言いなさい!」
しかし、メッタ刺しにされたはずの勘違い野郎は、あろうことかフッと鼻で笑ってみせた。
存在しない前髪を、何もない額のあたりでかき上げる。指先が虚しく空を切っていることにも気づかず、あいつはドヤ顔で嘯いた。
「別に、俺だって本気を出せば、平均点くらいすぐに取れるさ。今回はただ、本気を出すに値しなかったから出さなかっただけだ」
は? 何を言ってんの、こいつ。
出していない力は、存在しないのと同義よ。
出せなかった結果がその数字なのに、こいつはまだ脳内設定という名の、透けて見える防壁の中に逃げ込んでやがる。
「俺みたいな隠された才能は、いざという時にしか力を発揮しないんだよ。今はあえて『力』を抑えているだけだ」
出たわね、ギフテッド(笑)
いまだに自分が主人公だと勘違いしているのかしら。
ラノベに漬かりすぎて、脳細胞がアンデッド並みに死滅しているんじゃないの。
あまりの現実逃避っぷりに、空き教室にシベリアの永久凍土のような恐ろしい沈黙が再来した。
結城たちも、もはやかけるべき言葉が見出せていない。
「ふっ……分かればいいんだ。じゃあ、今日のところはこれで失礼するよ。俺には高次元の思考を巡らせるタスクがあるんでね」
再び空っぽの額をかき上げるフリをすると、拓実はドヤ顔のままカバンを肩に担ぎ、颯爽と去っていった。
「本気を出せばできる」なんて、世界で一番惨めでダサい言い訳。あれで私たちを論破したつもりかしら。
服や髪を直し、最低限の言葉を教えれば終わると思っていたのに。一箇所を塞げば別の場所から欠陥が噴き出す、終わりの見えない絶望モグラ叩きね。
こいつの仕様、一体どこまで致命的なバグが隠されているのかしら。
拓実が去り、教室のドアがパタンと閉まった瞬間、空き教室の空気は、一気に絶対零度まで冷え切った。
「……なぁ、氷室」
いつもの爽やかな笑顔を消した結城が、重く口を開いた。
「悪いけど……俺たち、もうあいつに勉強教えるの、無理かもしれない」
「結城……」
「基礎から教えるのは構わないんだ。でも、あの『環境のせいにして努力から逃げる』態度じゃ、俺たちが何を教えても、結局あいつのためにならないだろ。全部あいつが自分で捨てちまうんだから」
「だね……いくら凛子のお願いでも、あれじゃアタシらも付き合いきれないよ」
美咲は吐き捨てるように言い、須藤も深く頷いていた。
当然の反応だ。
いくら善意で動いてくれる彼らでも、仮にお金を積まれたってあんな他責100%の勘違い野郎の面倒なんて見きれないわよね。
「……ごめんね、みんなの言う通りよ」
私は彼らを止めることも、拓実を庇うこともしなかった。……そんな資格、今の私には一ミリも残されていないから。
「明日、私が確認する。もし、あいつが今日と同じ腐った態度で現れるようなら……私たちの特訓はこれで終わりにしましょう。私も、あいつのことは見限るわ」
これ以上、結城たちの貴重な時間をあのバカの現実逃避に付き合わせるわけにはいかない。
明日が、佐藤拓実という人間を見限るかどうかの、最終通告。
私は静かな決意とともに、ドアの向こうへと消えた幼馴染に、冷酷な処刑宣告を下した。




