優秀で天然な魔法使い、魔王を守りたい。
活気と酒の香りに包まれた、冒険者御用達の酒場。
勇者一行は木製のテーブルを囲み、例の件について、真剣な顔つきで意見を交わしていた。
「まさか魔王がコルディに惚れていたとはな……そんなことがあり得るのか?」
勇者リックの疑念は消えなかった。
魔王が誰かに心を奪われる――― そんなことが起こるはずがない、と彼は固く信じていた。
だが、それは紛れもない事実だった。
「ただの非道なやつかと思ってたけど、人並みの感情はあるみたいね。
……まあ、私たちは次の目的に向けて装備を揃えましょう」
ヘレナは、園庭で魔王の姿を目にした瞬間、その事実にすぐ気づいた。
魔王が確実に、コルディに夢中であることを。
自分の太ももを枕代わりにして寝かせる仕草。
寝顔を見つめる、柔らかく温かな瞳。
その視線には、戦いの影は一切なかった。
間違いない。魔王は、確かに、光に包まれている。
「星降りの山脈か。……かなり長い旅になりそうだな」
「何言ってるのよ。魔王の転移魔法があるでしょ? 使えるものは使い倒すの」
「よっしゃああ! さっさと幻の花ゲットして、有名になるぞぉぉ!!!」
称賛されたいという強烈な願望に駆られ、ダリドはジョッキを掴むと、一息に酒を飲み干した。
「………」
ウィンズはフライドポテトを手に取り、一本ずつ丁寧に口へ運んでいる。
魔法王国フォルトゥーナからおよそ二百キロ離れた山脈。
その険しい峰々には、厄介な飛行型の魔物が生息しており、凄腕の冒険者ですら足を踏み入れることを躊躇する場所だった。
人跡はほとんどなく、勇気ある者だけが命懸けで挑む秘境である。
ヘレナの作戦は明快だった。
魔王の転移魔法を使い、一気に山脈へ飛び、例の花を探し出す。
そして見つけたらすぐに転移魔法で戻り、その功績を国王に報告する―――というものだ。
四人だけでは、到底成し遂げられない任務。
しかし、魔王が加われば話は違う。
コルディ・ホープという弱点を抱える存在。
利用せざるを得ない。
勇者一行の顔には、意外にも邪悪な影が潜んでいたのだ。
「――へえ……面白そうな話をしてるじゃないか、君たち」
気配を一切感じさせず、そっと忍び寄ってくる影のような人物。
深く被ったフードの下から覗くのは、妖しくもどこか優美な赤い唇。
その不穏なオーラに、勇者たちの視線は一瞬で鋭く変わる。
背筋にぞくりと冷たい緊張が走り、思わず腰の武器に手が伸びる。
この女――― 上位魔族に違いない、と直感が告げていた。
空気が一変し、周囲のざわめきも、まるで遠くへ消えてしまったかのように感じられる。
逃れようのない危険。
だが、魔族の女は場の空気を一変させるような、予想外の言葉を吐き出した。
「私と一緒に、星降りの山脈で――魔王を滅さないか?
お前たちは英雄として称えられる。私はその手助けをするだけだ。
……悪くない話だと思うが?」
「「「「っ!?」」」」
その提案に、勇者一行は思わず息を呑む。
頭の中の常識が一気に打ち消された瞬間だった。
魔族は皆、魔王の手先であると信じて疑わなかったのに―――
まさか、魔王を憎む者が存在するなんて。
女は、勇者たちの瞳に、ほんのわずかな揺らぎが宿ったのを見逃さない。
勇者たちの野心―――
名声を欲する心を正確に突いた提案。
その誘惑に対して、断る理由など彼らには微塵も残されていなかった。
誰もが無意識に頷き、心の中で「やるしかない」と呟いた。
「―――お前の、名は?」
リックの声は慎重だが、わずかに震えていた。
女はゆっくりとフードを外す。
血の色を思わせる濃紅の髪。
酒場の温かな照明に照らされた顔から、妖しくも優美な微笑みがこぼれる。
「セレーネ」
「当日は、よろしく」―――その言葉を柔らかく落とすように告げると、彼女は静かに姿を消した。
♦ ♦ ♦
中央階段の掃除を終え、部屋に戻ったコルディは、国王から受け取った五十億モンドの詰まった鞄を開き、にたにたと頬を緩めていた。
「……その金、何に使うつもりだ?」
大金を嬉しそうに見つめるコルディの様子を見て、ゼファは問いかけた。
コルディは少し考え込み、微笑を浮かべながら答える。
「家を建てようかしら?」
憧れていた贅沢な暮らし。豪華な家を建て、そこでのんびりと優雅に過ごす。
そんな願いは、今も変わらない。
「家―――だと? ここから離れたいのか?」
その言葉に、ゼファの表情がふと曇った。
「ずっとここにお世話になるのも気が引けますし、近くに家を建てて、そこから通おうかなって思ってるんです」
魔王城での暮らしには大満足していた。
一流料理人の手による食事、ふかふかな寝具、そして質のいい衣服。
無償の施しに、いつまでも頼るわけにはいかない。
「だが――― 僕は…君と一緒にいたい」
寂しげなゼファの瞳に、コルディの心は大きく揺さぶられた。
(また、この感じ…! 胸がむずむずする…!)
頬がほんのり赤く染まる。
「…ここが、窮屈だったか?」
誤解されたくないと、コルディは慌てて声を張り上げた。
「―――ち、違います!
最近、ゼファと一緒にいるとドキドキして、緊張しちゃって…。居心地はすごくいいんですけど、その…夜とか、ゼファ、抱きしめるでしょう? もう、心臓が爆発しそうで…!」
「―――な、それって…」
(コルディも、僕のこと意識してるのか?)
ゼファの胸が跳ねた。
本心を隠すことなくさらけ出したコルディの瞳をじっと見つめ、ゆっくりと息を整える。
もしかしたら――― 恋愛対象として、見てもらえるかもしれない。
その淡い期待が、胸の奥を焼くように熱くする。
ゼファはゆっくりとコルディの前に立ち、逃がさぬように肩へ手を置いた。
「よし、試してみよう」
「え!?」
ゼファはにっこりと微笑むと、コルディを包み込むように腕を伸ばし、小さな体をそっと引き寄せた。
「爆発しそうになったら教えて」
「なるほど! 謎の症状を確かめるんですね! わ、分かりました!」
(コルディは…恋をしたことがないのか。僕と同じ…)
重なる二人の体。
触れ合う鼓動が重なり合い、空気は甘く張り詰めていく。
コルディの頬がほんのりと染まるのを見て、ゼファは満足げに腕に力を込めた。
「どうだ?」
ゼファの低く穏やかな声が、耳元で響く。
その距離に、コルディの心臓は爆発しそうだった。
「嬉しいような、恥ずかしいような……変な気持ちです。爆発しそうなくらいで……でも、私も抱きしめ返したいって思ってます」
緊張のにじむ声。
その言葉を聞いた瞬間、ゼファの胸に確かな手応えが生まれた。
―――間違いない。
コルディは、自分に惹かれ始めている。
「それは――― 嬉しいな。じゃあ、僕の腰に腕を回して」
優しい口調で指示を出すと、コルディは素直に従った。
腰に回された小さな手の感触を確かめながら、ゼファは静かに微笑む。
完全に重なり合った二人の距離。
互いの体温を、全身で感じている。
満ち足りた時間に身を委ねていると―――
「なんだか、私たち……夫婦みたいですね!」
「――ふ!?」
あまりにも率直な一言に、ゼファの胸に小さな衝撃が走る。
(――夫婦? 恋人を通り越して、夫婦?
……僕たち、もうそこまで進んでるのか?)
わずかに呼吸が乱れる。
「はぁ……今の僕、たまらなく興奮してる」
「―――ゼファ!?」
次の瞬間、ぐいと強く抱き寄せられる。
足が浮いたコルディは、戸惑いを隠せないままゼファを見上げた。
「家なんて建てるな。この城をやる。
ここが窮屈なら、いくらでも部屋を用意する。だが――― 毎日、抱きしめさせてほしい」
縋るようなゼファの声に、コルディの胸がさらにざわめく。
「もう、ゼファは甘えん坊さんですね」
「君にだけだ」
「ふふ、可愛い」
子どもをあやすように、ふわふわの髪を撫でる。
その温もりに触れながら、コルディは彼を守りたいと強く思った。
♦ ♦ ♦
ゼファの私室。その扉の前に、ひとりの男が音もなく立っていた。
魔王の側近、エリオット・ローズ。
彼は息をひそめ、扉一枚隔てた向こうから漏れ聞こえる声に、そっと耳を澄ませていた。
低く甘やかな声。
それに応じる、柔らかく弾む声。
二人の親密な会話に、エリオットの眉がわずかに動いた。
(……これはいったい)
一拍の沈黙。
(魔王様とコルディさん――― すでに、そういう関係だったのですね)
静かに目を伏せる。
主の私事に口を挟むつもりはない。
ましてや、恋情などという繊細なものに。
だが―――
(応援して、いいものなのだろうか……)
胸の内で、小さく葛藤が揺れる。
光と闇。
決して相容れぬ対極の存在。
それでも、あの方は―――
(……溺れていらっしゃる)
ゼファの執着にも似た想い。
エリオットは抗うことを諦めたように、小さく息を吐いた。
止めることはできない。
否、止めるべきでもないのだろう。
ならば―――
(これもまた、試練の一つ)
そう結論づけると、彼は何事もなかったかのように背筋を伸ばす。
忠誠は揺るがない。
たとえその行き着く先が、どれほど危ういものであろうとも。
エリオット・ローズは、静かにその場を離れた。
♦今日の登場人物♦
セレーネ(?)
・上位魔族。
・艶やかな血のような赤髪と、妖艶な美貌を持つ女。
・コルディに対して、露骨な敵意を見せている。




