優秀で天然な魔法使い、剣術は拙い。
ゼファは、酔いつぶれて足取りのおぼつかないコルディを支えながら、噴水の水音だけが響く園庭へと足を運んだ。
コルディをそっとベンチに寝かせる。
その頭が硬い木に触れないよう、自らの太ももを差し入れた。
即席の枕。
安らかな寝息を立てるコルディを見つめる瞳は、どこまでも優しかった。
「……まったく」
指先で髪をすくい、乱れた前髪をそっと整える。 半開きの唇には、軽く指先を添えた。
無防備な寝顔だった。
(……悪くない時間だ)
ゼファは、このゆるやかなひとときに静かな満足を覚えていた。
だが。
「―――あんた、魔王でしょ?」
背後から投げかけられた声が、その空気を無遠慮に切り裂いた。
ゼファの目が、わずかに細められる。
気配で分かった。勇者パーティーだ。
彼らもパーティー会場にいた。
最初から、コルディの隣に立つゼファには、どこか違和感があり、警戒していたのだ。
「私はコルディ様の専属騎士―――」
「コルディに仲間はいなかったはずだ」
言い終える前に、リックが遮った。
突如現れた“騎士”。
それも、あまりに不自然なタイミングで。
髪色も服装も、魔王のそれとはかけ離れている。
ヘレナは淡々とした調子で口を開く。
「変装は完璧。でもね、声で分かるのよ」
その言葉は、確信に満ちていた。
―――沈黙が落ちる。
ウィンズは下を向いている。
背後で仁王立ちしていたダリドが一歩踏み出し、ゼファを見下ろした。
「何を企んでやがる?」
(……面倒だ)
ゼファは内心で舌打ちをした。
(ここで消すか?)
一瞬、闇の魔力が脳裏をよぎるが、冷静になり、今いる場所を改めて認識した。
(騒ぎは起こしたくない)
闇魔法を使えば、国王に正体がばれてしまう。
それに、せっかく眠っているコルディを、起こしたくはなかった。
―――魔王が、動けない状況。
膝の上で眠るコルディを見つめる、その眼差し。
隠す気すらない、明確な想い。
誰が見ても、その理由は明らかだった。
「あんた、分かりやすすぎ」
ヘレナが冷ややかに笑う。
そして―――
「取引、しましょうか」
空気が変わる。
「星降りの山脈に咲く―――アストラヴォア。
別名、“星喰い花”。
それを手に入れるのを手伝いなさい。
そうすれば、あんたたちの関係は黙っててあげる」
それは、脅しに近い条件だった。
当初、魔王を討伐して名を上げようと意気込んでいた彼らも、圧倒的な力の差を前にしては、諦めるしかなかった。
さすがに勝てない相手だと悟り、仕方なく新しい目標を考えることにしたのだ。
自分たちが話題となり、一躍有名人になる方法―――
それは、誰も成し遂げたことのない功績を残すことだった。
しかし、それを成し遂げるには、並外れた力を持つ者の助力が不可欠だった。
ゼファはゆっくりと視線を上げ、低く抑えた声を落とす。
「……それだけでいいのか」
アストラヴォア。
星降りの山脈にのみ咲くとされる幻の花。
見た者はいない。
記録すら、残っていない。
存在そのものが疑われている代物。
もちろん、魔王ゼファ・ベーゼ自身でさえ、それを知らなかった。
「指定の日に、ここへ来なさい」
ヘレナは淡々と続ける。
「もし破れば―――」
一拍置いて、笑った。
「“魔王は光の魔法使いに溺愛中”って、全世界に広めるから」
「……っ」
ゼファの眉が、わずかに動く。
自分の評判など、どうでもいい。
恐れる理由にはならない。
だが。
(コルディが狙われる)
それだけは、許容できない。
短い沈黙。
そして―――
「……分かった」
渋々ながら、勇者たちに手を貸すことを承諾した。
(まさかこいつらに、僕の弱みを握られるとは…)
氷のように冷え切った瞳。
一人ひとりを見据え、脅し返すように言葉を放つ。
「忘れるな」
低く、静かに。
「お前たちは――― コルディに生かされている」
闇の奥よりも深い、恐怖を孕んだ視線。
勇者たちの脳裏に蘇るのは、あの時の光景―――
最上級攻撃魔法、終わりなき拷問によって、死の淵を覗いた記憶。
思い出しただけで、冷や汗が頬を伝った。
お互いに下手には出られない。
絶妙な均衡だ。
張り詰めた空気の中で、
コルディだけが、何も知らずに安らかな眠りに落ちていた。
♦ ♦ ♦
魔王城に戻ったゼファは、ベッドの上でコルディをそっと抱きしめ、深く息を吐いて目を閉じた。
窮屈なのか、水槽の中で身をよじる人魚。
それでも、逃がすつもりはない。
力強く、しかし決して乱暴ではない腕で、コルディを抱きしめる。
やっと、二人きりになれた。
城の静寂の中で、ゼファはその小さな幸福に浸り、やがて深い眠りに落ちた。
翌朝。
ゼファは静かに起き上がり、まだ眠るコルディをそっと見つめた。
はだけたドレスから、ほんのわずかに覗く胸。
(……可愛い)
無意識の甘い誘惑が、ゼファの意識をざわつかせる。
ご馳走とも言えるコルディの寝姿に、危うい妄想がひそかに広がった。
触れたい―――。
コルディの肌の感触、敏感な部分に指を伸ばしたい。
心の奥で、許されない欲望が微かに疼く。
(……また、僕は…良からぬことを考えている…)
だが、深く息をつき、ゼファはなんとか理性を取り戻した。
着替えを終えたゼファは、そっとコルディの頭を撫で、静かに部屋を後にした。
♦ ♦ ♦
ルハに声を掛け、ゼファは訓練所にやってきた。
いつもは冷静な魔王だが、今日はどこか落ち着かない。
ルハはその様子に首をかしげる。
ここ最近、ゼファの顔つきに微かな揺らぎが感じられるようになっていた。
その変化を感じ取っていたのはルハだけではなく、城に仕える者たちも同じだった。
「そんなにピリピリして、どうしたのですか?」
ルハが声を掛けると、ゼファは短く答える。
「僕の相手をしてくれ」
「久しぶりに戦闘心がうずいちゃいましたか~」
楽しげに口角を上げ、ゼファを挑発するように笑った。
「落ち着かないんだ。迷いがある」
迷い―――
常に余裕を持って行動してきた魔王ゼファ・ベーゼの心が、今は乱れている。
ルハはその様子を楽しむようにさらに口元を緩めた。
「恋の悩みですか?それとも別の悩み?」
「両方だ」
ゼファは訓練所の壁際に置かれた練習剣に手を伸ばした。
一本をルハに投げ渡し、もう一本を自分で握りしめる。
二人は互いの動きを鋭く見つめながら、同時に床を蹴って間合いを詰めた。
キィンッッッ
鋭い金属音が訓練所全体に響く―――。
魔法の扱いだけでなく、剣術にも優れた魔王と従者。
二人は斬りかかりながらも互いの足運びや体の傾きを細かく観察する。
互角の戦い。
一瞬たりとも気を抜けない駆け引きが続いた。
「なぁ、星喰いの花は実在するのか?」
互いの刃を押し合う力の中で、ゼファは静かに尋ねた。
もしその花が存在しないのなら、勇者たちに手を貸す必要はない。
まずは、知識豊富なルハに実在するかどうかを確かめたかったのだ。
「…光を吸収し続ける花ですか。星降りの山脈に咲いていますよ。一輪だけ。
フフ、もしかしてコルディさんへのプレゼントですか?」
ルハは剣を巧みにかわしながら答える。
「いや、勇者たちに脅されている。その花を手に入れるために協力を求められたんだ。
断れば、僕がコルディのことを…愛していると、世界中に言いふらす、と」
わずかに瞳を揺らすゼファを見て、ルハは脇腹を狙う。
しかしゼファは素早く横に跳び、刃は空を切った。
「っぷ、弱点を握られちゃいましたかぁ。ぱぱっと手伝って帰ってくればいいんですよ!
それか――― 勇者たちをその場で抹消するとか?」
「本来は魔族の敵なのだから―――」
その意味ありげな笑みを見て、ゼファははっとして目を見開いた。
(―――そうするか。だが…)
そのとき、訓練所にふわりと朗らかな気配が流れ込む。
「おはようございます、ゼファと師匠!」
張り詰めた空気の中、剣を握った二人の間に小さな和らぎが生まれた。
「コルディ……おはよう」
「コルディさん、おはようございます!」
コルディが大人の姿のルハを目にするのは二度目だ。
ゼファと並ぶ姿は絵になる光景で、思わず息を呑む。
しかしすぐに表情を引き締め、真剣な目でゼファを見つめた。
「昨日は…ご迷惑をおかけしてすみません」
酔いつぶれた自分の面倒を見てくれたのは、ゼファ以外にはいない。
コルディの声には反省の色がにじむ。
「君の面倒を見るのは僕の役割だ。謝る必要はない」
ゼファは淡々と答える。
「…本当に優しいですね」
何度もゼファの思いやりに触れてきたコルディにとって、もはや彼は敵ではなかった。
友達――― あるいはそれ以上の存在かもしれない。
しかし、恋愛経験のないコルディには、その複雑な感情を整理する余裕はなかった。
手合わせ中のゼファに、小さな声で申し出る。
「あの、よかったら私もお相手しますよ…!」
「おお! 魔王様とコルディさんの再戦ですか!
光と闇の衝突!!! これは見ものです!!!」
ゼファはコルディを傷つけるつもりはないが、好意を寄せる相手との訓練は胸を高鳴らせるものだった。
コルディの汗、息遣い、剣の動き―――
すべてをこの目で見たいという欲求が、静かに胸に膨らむ。
「いいだろう」―――ゼファが静かに構えを取ると、コルディは右手を前に突き出し、魔法を唱え始めた。
「……行きますよ、ゼファ」
「ああ、おいで」
どんな攻撃も受け入れる覚悟。斬られても構わない。
今のゼファには、そんな覚悟があった。
「“マーシー・ブリンガー” 慈愛の執行人、レイピアよ、闇を照らせ―――」
輝く純白のレイピアが召喚されると、コルディは地面を蹴って突撃する。
「レイピアか。なら僕も―――
破滅の絞首人、“スカル・クリーバー”」
ゼファは漆黒の剣を握り、光の剣を受け止める。
煌めく光と深い闇の激突。
―――キィィンッ
ルハは目を輝かせ、口を大きく開いて声を弾ませた。
「光と闇の剣のぶつかり合い!? 素晴らしすぎます!!!」
拳を握りしめ、思わず体を前のめりにして見入っていた。
だが。
「っは!」
「たぁ!」
「えい!」
(―――コルディ、こいつ…)
コルディが勢いよく剣を振るうのを、ゼファは静かに見守る。
拙い剣さばき。動きは隙だらけで、まるで剣を握るのが初めての素人のようだった。
ゼファの戦闘心が胸の奥でうずく。
負かしたいという衝動と、逆に負けてみたいという欲望が、互いに交錯して心をかき乱す。
試しに斬りかかることもできたが、もしコルディに傷がつけば、その後悔は生涯消えない。
ゼファは一切攻撃せず、交わすことだけに神経を集中させた。
「―――全然当たらないじゃないですか! 疲れたぁぁあああ!!!」
体力の限界まで動き回ったコルディは、床にドサリと座り込み、荒い息をつく。
「…これは、僕の勝ちだな」
ゼファが呟くと、コルディはしょんぼりした顔で答える。
「……剣術は苦手です…」
「覚える必要はない。君は僕が守るから」
「へ?」
さらりと言われたその言葉に、コルディは思わずきょとんと目を見開いた。
ゼファの強い意思に圧倒され、言葉が出てこない。
「光を護る闇…ですか。実にロマンチックですね〜!」
ルハがくすくすと笑いながら拍手をすると、二人は恥ずかしそうに目を伏せ、頬を赤く染めた。
揺るがぬ誓い。
普段感じない胸のざわめきに、コルディは困惑し、どう反応すればいいのか迷っていた。
♦今日の魔法♦
【“マーシー・ブリンガー” 慈愛の執行人】
光の召喚魔法。
光の魔力を纏ったレイピア。
【破滅の絞首人、“スカル・クリーバー”】
闇の召喚魔法。
闇を宿した漆黒の剣。




