優秀で天然な魔法使い、酔っぱらう。
果てしない青空の下、塔の先に掲げられた旗が風にはためく。
魔法大国フォルトゥーナ―――
その首都の中央に、王城は威厳ある姿でそびえ立っていた。
長い歴史を背負うその佇まいは、どこか神聖ですらある。
禍々しい気配を放つ魔王城とは対照的に、この城からは清らかな空気が漂っていた。
―――次の瞬間、門前の空間がわずかに歪む。
転移魔法。
淡い光とともに現れたのは、二人の男女だった。
コルディとゼファ。
「わ、眩しい……」
久しぶりに浴びる太陽の光に、コルディは思わず目を細めた。
その様子を見て、ゼファが口を開く。
「光の魔法使いでも、そう思うことがあるのか?」
「ありますよ~」
魔王城の周囲は、いつも曇り空だ。
晴れる日もあるが、ここまで眩しい光に包まれることはない。
「ねえ……あの方たちって、どなた?」
突然現れた二人は、瞬く間に周囲の注目を集めていた。
視線の理由。
一つは、転移魔法でここへ現れたという上位魔法使いへの好奇の眼差し。
そしてもう一つは、
まるで物語から抜け出してきたかのような、優美な二人の姿に、誰もが目を奪われていたのだ。
「行きましょう。ゼファ!」
コルディは美しく、明るい。だが、どこか儚げだ。
「…嫌じゃなければ、僕の腕に手を回してくれないか?」
隣に立つゼファもまた美しく、たくましい。
だが、その端正な顔立ちの奥には、どこか怪しげな気配が潜んでいる。
まるで姫君と王子。
そう言われても違和感のない二人に、周囲の人々はただただ見惚れていた。
「……まさか、勇者の方?」
「お強そうね」
「あの令嬢は、いったいどなたなんだ?」
「どこの国から来たのかしら……」
貴族たちのひそひそ声が、あちこちから聞こえてくる。
ゼファはそんな視線など気にも留めず、優雅な仕草でコルディをエスコートしながら歩き出した。
コルディは、まんざらでもない様子だ。
まるで本物のお姫様になったかのような気分で、ほんの少しだけ胸を張っていた。
♦ ♦ ♦
「光の英雄、コルディ・ホープよ!
そなたに会うのを、ずっと楽しみにしておった。
魔王城は、もうそなたのものになったのだろう?
―――魔王は、どこにおる? 封印か、それとも牢獄か?」
「え!? あ、その~、魔王はですねぇ…」
普段なら聞かれたことは何でも素直に答えてしまうコルディだが、珍しく言葉を濁した。
隣に佇む騎士こそが、その“魔王”である―――
そんな事実を、さすがに明かすわけにはいかない。
助けを求めるように、ちらりと視線を向ける。
すると、ゼファが一歩前へ出た。
「横から失礼いたします。
私はコルディ様の専属騎士、ゼイン・フェーゼと申します。
魔王は現在、コルディ様の光の拘束下にございますゆえ、どうかご安心くださいませ」
低く落ち着いた、揺るぎない口調。
その声音には、わずかな隙もない。
見慣れているはずの彼が、まるで別人のように思え、コルディは思わず感心し、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「おぉ、その佇まい…… 腕利きの騎士のようだな。ふむ、コルディへの協力、感謝する」
国王は深く頷き、満足げに目を細めると、隣に控える従者の手元へと目線を移した。
そこにあるのは――― ずしりとした、金の鞄。
「コルディよ、報酬を受け取るがよい」
鞄が開かれる。
中には、整然と積まれた札束――― 百億モンドが、隙間なく詰め込まれていた。
表情ひとつ変えぬまま、コルディはそれを見つめる。
しかし内心はひどく焦っていた。
(百億モンド……!? ちょ、ちょっと待って……!
私、魔王……ゼファのこと、本当は倒してないのに……。
こんな大金、もらっちゃダメよね……でも……半分くらいなら……いい、のかな……?)
「や、やっぱり百億は気が引けますので……
半分の五十億モンドだけ、いただきますね!」
悪になり切れない――― それもまた、彼女らしさだった。
ゼファはその様子を見て、わずかに微笑む。
国王は一瞬、眉をひそめたが、すぐにその表情を緩めた。
「ふむ……そなた、欲がないとな。
多くの者であれば、この額を前にして手を伸ばさずにはおれまい。
勇者コルディ、実に清々しい心根を持っておるな。
―――よし、それならこの半分はゼイン、そなたに捧げる。光を支える忠実な騎士にふさわしい」
「私に……でございますか」
ゼファは一瞬だけ思案する。
(……ここで断る方が怪しいな)
「―――恐れ入ります。
この資金を、訓練所の拡張に充てさせていただきます」
「ふむ、よい使い道じゃな。
祝宴は間もなく始まる。思う存分楽しむがよい」
言葉を受け、二人は一歩退き、深々と頭を下げた。
「―――はい!」
♦ ♦ ♦
大広間にて、王家の主催する華やかな宴が始まった。
「魔王ゼファ・ベーゼを自らの手で制し、世界に希望をもたらした光の英雄―――
コルディ・ホープに、皆の者、盛大なる拍手を!!!
コルディ、そなたからも一言頼む」
国王の声が高らかに響き渡る。
一斉にコルディへと注がれる視線。
これほどの規模の宴は、初めてだった。
王の隣という立場も相まって、胸が張り裂けそうなほどに緊張する。
少しばかり後ろめたさもあった。
自分がここに立っているのは魔王を討った――― ことになっているからだ。
ここにいる全員を騙しているこの状況。
コルディの胸の奥に、小さな痛みが走った。
しかし、この場が自分のために用意されたことに違いはない。
コルディはぐっと気持ちを切り替え、顔を上げた。
「……皆さま、本日はこのように祝福いただき、ありがとうございます!
えっと、そうですね……
せっかくの機会ですので、ここで私の魔法を少し披露させていただきたいと思います!」
かつて、路上で魔法のパフォーマンスをして生計を立てていたコルディ。
小さな街で人を集めていたその技を、今、王城の大広間で披露する。
息を吸い、指先を掲げる。
次の瞬間――― 空間いっぱいに光の粒が舞い広がった。
「―――こ、これが、光魔法…」
「―――っな、なんと―――」
「美しいですわ。まるで、奇跡の光…」
柔らかな光が宙を舞い、花のように広がる。
大広間は一瞬にして幻想の空間へと変わり、誰もが息を呑んだ。
コルディの表情からは、もはや緊張は消えていた。
ただ純粋に、“見せること”を楽しんでいる顔。
一方―――
(はぁ……)
ゼファは、わずかに視線を細める。
(僕のコルディが、注目を浴びている……)
賞賛の視線。
羨望。好意。あるいは――― 敵意。
それらが彼女へ向けられることに、言いようのない苛立ちが湧き上がる。
(……連れて帰りたい)
今すぐ、この場から。
誰の目にも触れぬ場所へ。
だが、光の中で笑うコルディは、心からこの場を楽しんでいた。
連れ去ることは容易だったが、ゼファはコルディの想いを選んだ。
「ゼファ、どうでした?」
披露を終えたコルディは、無邪気な笑みでゼファに問いかけた。
ゼファはひとつ息をつき、口を開く。
「こら、コルディ様。私の名はゼインです」
声音を切り替える。
騎士としての口調へ。
「魔法は見事でした。ですが、あまり目立ちすぎるのは感心しませんね。
どこに、あなたの敵が潜んでいるか分からない」
「え?」
「その力は、軽々しく晒すべきものではありません」
「わ、分かりました……!」
どこか真剣さを帯びたゼファの口調に、コルディは素直に頷いた。
王家主催の宴。
光魔法という希少な力。
それを求める者が、この場にいないはずがない。
(近付く者がいれば――― 始末する)
静かな殺意。
その胸中には、いつになく強い独占欲が芽生えていた。
「さあ、乾杯といきましょう」
何事もなかったかのように、コルディへグラスを差し出す。
「はい! 乾杯、しましょう!」
嬉しそうにそれを受け取るコルディ。
コルディの騎士――― ゼイン・フェーゼ。
それは、仮初めの役割に過ぎないのだが。
彼女を守ろうとするその在り方は、すでに、偽りではなかった。
♦ ♦ ♦
「コルディよ、酔っぱらっておるのか!!!
ふはははは!!! そなたの光魔法、誠に見事であった!」
「……パーティー、ひっく……んん、楽しかった、です~……」
コルディは、酒に弱かった。
ふらふらとした足取りのまま、国王の前へと歩み寄ると―――
その立派なひげを、無遠慮にこちょこちょと弄り始める。
「おおっ、くすぐったいではないか! はははははっ!」
止める者は、いない。
なぜなら国王もまた、同じだからだ。
酒が入れば威厳は消え、陽気な男に変わってしまう。
「いやしかし……二人が並んでおる姿、実にお似合いじゃな!!
コルディにわしの息子を紹介しようかとも思ったが……これは控えておこう!
はははははっ!!!」
「ゼファは、うっ……ひひ……いい人、ですからぁ……」
―――ゼファ。
無意識に零れたその名を、国王は聞き逃さなかった。
笑みが、すっと消える。
静かにワイングラスが置かれ、鋭い視線が向けられる。
「―――今、ゼファと言ったか?」
(……コルディ)
ゼファは内心で小さく息をつき、即座に一歩前へ出た。
「コルディ様は、酔われると大嫌いな魔王の名を口にしてしまわれるのです。
どうかお気になさらず」
淀みのない口調。
まるで用意していたかのような自然さだった。
「さあ、コルディ様。そろそろ酔いを覚ましましょう」
背に手を添え、やんわりと支える。
―――が。
その手はやんわり支えているようで、しっかりと捕まえていた。
(ご、ごめんなさい……!)
青ざめたコルディは、必死に目で謝意を伝える。
「ふむ……そういうことか」
国王はしばし考え込むように顎に手を当てたのち、ふっと息を吐く。
「ゼインよ。そなたにも期待しておるぞ。
魔王の復活だけは、何としても阻止せねばならぬ」
「―――ご心配には及びません。
魔王は、コルディ様の光には決して逆らえませんので」
それは――― 紛れもなく、自分自身のことだった。
コルディの手の内にあることを、認める言葉。
だが同時に。
(……いずれは)
視線をわずかに落とす。
その先にいるのは、失言の重みを理解し、緊張に身を固くしたコルディ。
(必ず)
胸の奥で、静かに誓う。
―――彼女を、手に入れると。




