最強でドライな魔王、勇者パーティーに加わる。
翌朝。
ゼファは、眠り続けるコルディの額にそっと口づけを落とすと、静かに身支度を整えた。
そして――― ギルド前の食堂。
朝食をとる勇者一行の前に、何の前触れもなく姿を現す。
予期せぬ来訪者に、リックはパンをくわえたまま目を見開いた。
残る三人も手を止め、ただ黙ってその姿を見つめている。
ゼファの装いは、王家主催のパーティーに出席していた時と同じ―――騎士の姿だった。
「……さっさと任務を終わらせよう」
勇者たちに突きつけられた条件。
弱みを握られている今、ゼファは胸の奥に渦巻く不安を、一刻も早く消し去りたかった。
本来は、ヘレナに指定された日まで待つ必要がある。だが、そんなものは関係ない。
今すぐ、勇者たちの求める花を手に入れる。
「……私たちは、まだ行けないわ。装備も揃ってないし」
冷静に返したのはヘレナだった。
星降りの山脈――― そこは高難易度の探索領域。
今の装備では、出現する魔物に対抗することすら難しい。
だが。
「どうでもいい」
ゼファは一蹴する。
「僕がいれば、危険な目には遭わない」
その言葉に、空気がわずかに張りつめた。
「……ずいぶん余裕だな、魔王」
低く言い放つリック。
「その呼び方はやめろ」
ゼファの視線が鋭く突き刺さる。
「今は、見た目を装っているんだ。―――分かるだろう?」
ギロリと睨みつけられ、リックは言葉を詰まらせた。
周囲では、他の冒険者たちの喧騒が絶えない。
だがその一角だけが、切り取られたように静まり返っている。
朝の食堂には似つかわしくない、不穏な気配がゆっくりと広がっていた。
しかし、周囲の視線は次第にゼファへと集中していった。
隠しきれない、勇ましくも美しいオーラ。
「……どこの騎士だ?」
そんな声が、あちこちから上がる。
ウエイトレスは料理を運ぶ手を止め、ぽかんと立ち尽くしていた。
その目は、完全にハートになっていた。
この男が魔王だと、誰が想像するだろうか。
「……はぁ、あんたを信用するわよ」
注目を浴び始めていることに気づいたヘレナは、小さく息を吐き、諦めたように告げた。
「ああ、君たちは突っ立っていろ」
ゼファは淡々と言い放つ。
「あぁ!? 馬鹿にしてんのかてめぇ!」
その一言に、ダリドが食ってかかる。
今にも掴みかかりそうな勢いだ。
「ダリド、騒ぐな。目的を達成することだけを考えろ」
低く抑えた声でリックが制する。
その視線はゼファから外さないまま、冷静さを保っていた。
「チッ」
ダリドは舌打ちをひとつ鳴らし、不満げに顎をしゃくった。
険悪な空気が張りつめる中、ウィンズだけが一人、静かにフライドポテトをつまんでいた。
♦ ♦ ♦
ギルドのカウンターでパーティーへのメンバー登録を済ませたゼファは、転移魔法を発動し、その場にいた全員を一瞬で星降りの山脈へと転移させた。
本来なら一か月はかかる道のりを、たった一瞬で越えてみせた。
その規格外の魔力に、勇者一行は言葉を失う。
魔王でさえなければ、仲間にしたいと思える男だった。
不可能を可能にするその力に、手の届かぬ存在であることを再認識させられる。
「広いな」
星降りの山脈――― そこは、美しさと死が隣り合わせの地。
山一帯には、星のように光る鉱石が無数に散らばっていた。
足を踏み出すたび、きらりと光が跳ね、まるで本当に星の中を歩いているみたいだ。
だがその美しさとは裏腹に、空気は重く、ただならぬ危険を感じさせる。
安らぎとは程遠い。異様な静けさが支配している。
人の領域ではないことは確かだった。
「―――魔物だ!」
リックの叫びが、張りつめた空気を切り裂いた。
「ドラゴン!? しかも、数が多いわ!」
ヘレナが息を呑み、空を見上げる。
視界を覆うように、無数の影が旋回していた。
「俺さまに任せろ! この大剣でビビらせてやらぁ!!!」
ダリドが吠え、勢いよく大剣を振り上げる。
「君たちは突っ立っていろと言ったはずだ。余計な真似をすれば、置いていく」
戦闘態勢を取る勇者一行に、ゼファは冷ややかな視線を向けた。
次の瞬間、その姿は騎士のものから魔王のそれへと戻る。
ゆっくりと顔を上げると――― 空を覆う影が地上へ降りてきた。
その一体を残し、他のドラゴンたちは静かに巣へと引き返していった。
「いい子だ」
魔王ゼファ・ベーゼ。魔族を統べる存在。
ドラゴンが彼に向けるのは、牙ではなく――― 敬意だった。
まるで夜空を閉じ込めたかのような、深く輝く闇色の鱗。
光を受けるたびに色を変え、星屑のようなきらめきを散らす。
その巨体はゼファの前に静かに着地すると、まるで王に拝するかのように動きを止め、そっと目を伏せた。
「っ、恐ろしい男ね」
この場で生き延びるには、魔王に従うしかない。
それが無事に帰還するための唯一の道だ。
結論に至った瞬間、勇者一行は静かに武器を下ろした。
ゼファは目の前のドラゴンにも一切ひるむことなく、平然と口を開いた。
「幻の花はどこにある? 名前は―――」
「アストラヴォアよ」
花の名を思い出せなかったゼファがヘレナを横目で見ると、すぐに答えが返ってきた。
―――アストラヴォア。
その名が告げられた瞬間。
「グォォォォ……」
ドラゴンが、低く抑えた声で静かに唸った。
その双眸が、じっとゼファを見据える。
(……空気が変わった。それほどのものなのか?)
ゼファもまた、ドラゴンから目を一瞬もそらさなかった。
重苦しい沈黙が落ちる。
やがて―――
「……それは、我らセレディウスが永く見守り続けてきた花にございます。お渡しすることは、どうかご容赦願いたく存じます」
低く、品のある声が響く。
人の言葉を紡ぐドラゴン。セレディウスに、勇者一行は思わず息を呑んだ。
セレディウスはゆるやかに首をもたげると、その巨体をわずかに前へと傾けた。
「アストラヴォアは、光そのもの。ゆえに、極めて危険でございます。
魔王様、どうかお近づきになられませんよう」
その声には、揺るぎない意思が宿っていた。
(……面倒くさいな)
アストラヴォアを手に入れなければ、勇者たちの脅しが現実になってしまう。
コルディが危険に晒されることだけは、どうしても避けたい。
だが、セレディウスは花の所在を教える気配はない。
ゼファは視線を落とし、しばらく考え込んだ。
(やはり、この場でこいつらを消してしまおうか―――)
ルハの言葉が、頭をよぎる。
そうすれば、自分の抱える悩みは一瞬で消えるのだ。
(しかし……)
コルディは殺傷を好まない。
勇者たちを殺したこの手で、彼女を抱きしめるのは――― 気が引ける。
ゼファは再び、眉間に皺を寄せながら考え込んだ。
異変を感じ取ったセレディウスは、気遣うように声をかけた。
「魔王ともあろうお方が、勇者たちと手を組んでおられるのですか……? 何かご事情が?」
その声音は穏やかでありながら、底に揺るぎない真剣さを宿していた。
黄金の瞳が、静かにゼファを射抜く。
「弱みを握られている。花をこいつらに渡さなければならない」
「―――でしたら」
わずかに間を置き、
「わたくしが――― 今この場で、この者たちを喰らってしまいましょうか」
グルル、と喉の奥で低く唸る。
その一音だけで、空気が張り詰めた。
「……っ、俺たちを裏切るのか?」
リックは冷や汗を伝わせながらも、剣を構える。
だがその刃先は、わずかに震えていた。
「喰うな」
短く、断じる声。
「花の代わりになるものはないか?」
勇者たちは殺さない。コルディのためにも。
「……承知いたしました」
セレディウスはゆるやかに首を垂れる。
「それでしたら、わたくしの鱗を一枚、進呈いたしましょう。セレディウスの鱗は、きわめて希少にございます」
永遠の輝きを宿すその鱗は、未だ誰一人として手にしたことがない。
星喰いの花アストラヴォアと同等と謳われる、至高の代物。
持ち帰り、国王に献上すれば――― 名は瞬く間に広がるだろう。
「どうだ?」
ゼファの問いに、わずかな沈黙が落ちる。
「……悪くはないわね」
ヘレナが口元に笑みを浮かべた。
世界各地の希少素材に通じる彼女には、その鱗の価値は明らかだった。
「取ってもいいのか? 痛みはないのか?」
「問題ございません。一枚程度であれば、痛みも些細なものにございます」
静かに、促す。
「どうぞ、ご遠慮なく」
「……すまないな」
ゼファが鱗に手をかけた。
―――次の瞬間。
「―――“バード・イン・ザ・グレイス”。加護の中の鳥。闇を―――捉えよ」
抑揚のない、かすかに儚さを帯びた低い声。
聞き覚えのある、光属性の拘束魔法。
ゼファの足元に黄金の魔法陣が展開し、次の瞬間、天を衝く光の柱が立ち上がる。
ゼファは小さく息を吐き、セレディウスの鱗から手を離した。
「……逃げろ」
ただ一言、そう告げる。
セレディウスは一瞬だけゼファを見つめ、次の瞬間、空を裂くように舞い上がった。
巨体は風を巻き起こしながら、遥か高みへと消えていく。
後に残されたのは、沈黙。
静寂の中に、三つの影が佇んでいる。
漆黒のローブに身を包み、深くフードを被ったまま。
三人は音もなく、ただそこに立ち、場の空気を支配していた。




