◇33.竜に喧嘩を売るタイプの淑やかな姫
黒竜がピシリと固まった。
私は上品な笑みで続けた。
「あらあ、よく見たら竜? そら失礼おま。元気なわんちゃんが空から降ってきたんかと思いましたわあ~」
「……!」
ちっこい人間の小娘に全力で喧嘩を売られていることに気が付いた黒竜が、わなわなと怒りで震えだす。直近まで淑女の皮を被っていた姫が全力でブチギレていることに気が付いたモリスさんが、ぷるぷると恐れで震えだす。
「ト、トレイシア様、どうかお心をお鎮めに……」
「あのいけすかねえ竜野郎がキレて襲い掛かりしとも、モリス氏が守ってくれると、わて、信じておま」
「今日一番の清らかな笑顔!」
私とて命は惜しいので、何の保険もなく黒竜に喧嘩など売らない。全てはこの頼れる宰相がいれば我が身は安全と確信できるからこそである。頑張れモリスさん。
「あら~? でっけえわんちゃん、さっきまでの威勢はどこにおでかけあそばせ~? お強い黒竜様が人間相手に小心翼々の震える乙女ムーブとか、まさかそないなことあらへんわなあ~?」
「っ、てめえ、ざっけんな!」
激高した黒竜が爪を振り上げた。すかさずモリスさんが「ひええトレイシア様が生き生きしてるー……」と嘆きながらも勇ましくレイピアを構えたが、竜ⅤS執事第二ラウンドが開幕するよりも早く、私は声を張り上げる。
「おやまあ? ご覧の通りの温室育ちなる手弱女に、お口で勝てぬからと腕力勝負たぁ、なっっっさけない話でんなあ!」
黒竜の動きが止まった。
ぎらぎらとした怒りを湛えた双眸で見下ろしてくるものの、爪を振り下ろす気配はない。プライドを刺激する形で挑発すれば、この黒竜は必ず乗るはずだという予想が当たったようだ。
「はああああ? お前くらい口で勝てるっつーの!」
黒竜が吠え、降り下ろせなかった爪の代わりとばかりにその場で羽ばたいた。
その一度の羽ばたきで丘の上を突風が吹き荒れ、煽られてひっくり返りかけ、モリスさんがすかさず支えてくれ、すぐに風が止み、目を開けると。
「人間の分際できゃんきゃん吠えやがって!」
――黒い髪に赤い瞳、褐色の肌をした十歳くらいの男の子が、きゃんきゃん吠えていた。
キョロキョロと周囲を見回してみたが黒竜の姿はない。ツンと顎を上げて私を見上げるちっこい男の子しかいない。つまり。
「……えっと、貴様、黒竜でございます?」
「はあ? 俺以外に誰がいんだよ。目ぇ悪いんじゃねえのお前。眼科でしっかり視力検査して目的と度数に合った眼鏡作れば?」
「おおう……」
赤い瞳を不機嫌そうに釣り上げ、悪態を吐くちっこい少年。
どうやら黒竜はモリスさんと同様、姿の切り替えができる魔族だったらしい。もこもこ生物=おじさま執事の変化にも驚かされたが、ごつくて怖い竜=ちんまい十歳男児のギャップもまた動揺が激しい。
黒竜は重厚な声音と荘厳な見た目に対し、乱暴な口調がどうにも微妙に合ってないなあと違和感を抱いていたのだが、なるほど幼い少年の見た目と声なら、この言葉遣いもしっくりくる。
たぶん今の外見の方が、彼の精神年齢に近い姿なのではないだろうか。いやまあ子どもの竜を見たことがないので断定はできないけども。
そして急速に黒竜への戦意が喪失していくのを感じた。だって子どもである。お子様の失言に対して本気で怒るのは大人げない。
あと「おい! 聞いてんのか!」と、その場でぴょんぴょん跳ねてぷりぷり怒る黒竜少年には、正直、微笑ましさしか感じなかった。
「おい! ぼーっしやがって! 聞いてんのか人間!」
「へ、へい。ごめんください。ちゃんと聞いておま」
うーん、売り言葉に買い言葉でここまできちゃったなあ、この子どうやって宥めようかなあ、と悩んでいたら、黒竜少年は訝しげな顔になり、跳ねるのをやめた。
「なっ……なんだよ。急にしおらしくなりやがって」
こちらにもう戦意がないことが伝わったらしく、黒竜少年は困惑しているようだ。この様子なら、また問答無用でパクっとはこなさそうである。よし、初対面の挨拶を仕切り直すことによう。
「遅ればせながら、はじめまして」
カーテシーを披露すると、黒竜少年はぎょっとした顔で身を引いた。
「ほ、本物のお姫様みたいだ……」
「へい、ガチの姫です。わて、トレイシア申します」
黒竜少年は私をまじまじと上から下まで見て、それから「ふ、ふーん」と動揺しまくった声で、全く動揺してない感を装った相槌を打った。
「別に人間如きの名前とか覚えてやるつもりないけど。トレイシアね。今初めて知った。別に魔王城の皆がトレイシア様トレイシア様言ってて実は名前知ってたとかそういうの別にないから」
ありありと虚勢と分かる態度でうっかり内情を暴露するスタイルの黒竜少年。なんだろう、あれだ、ペローネと同じ系統の波動を感じる。
なぜこうも素直な人材しか揃わないんだ魔王城……と内心で感嘆していたら、私たちの間に立っているモリスさんが「ラグド殿」と、心持ち小声で黒竜少年に呼び掛けた。




