◇16.魔界の宰相 モリス
色々と敗北した感のある朝食を終え、魔王は政務へ、暇人である私は食後の散歩がてら中庭へ向かった。
暇人。そう、魔王が政務をしている間、私は基本的に暇なのである。
来年には結婚が確定しているとはいえ、婚約者として魔界に滞在している私は、まだ「お客様」扱いであり、特に役割も仕事も振られていない。しいて言えば、毎日を平穏に過ごすことが役目である。
役目に従い、今日も暇を持て余してぷらぷらと歩いていた私は、もこっもこっと無駄に弾力のありそうな足取りの、見知った純白の後ろ姿を見つけた。
「よっ、モリス氏」
「おや、トレイシア様。おはようございます」
声を掛けると、モリスさんは朗らかに振り向いてくれた。
モリスさんとは、初日に現れたあの純白もこもこ魔族のことである。
魔王から「余が最も信頼している存在だ。右腕と言っていい」と紹介されたので、魔界でやっていくために取り入るべき存在として真っ先に声を掛け、仲良くなった。
モリスさんはその癒し系可愛いに振り切った見かけに反し、魔王のペットではなく、まさかの宰相である。国の重要ポジションがあんな健気で柔らかそうな生物で大丈夫かと心配になるが、これでも仕事のできる敏腕もこもこらしい。
ちなみに「犬ではなく羊ですぞ。羊魔のモリスでございます」とのことだ。だが私には二足歩行する犬のぬいぐるみにしか見えない。「ちゃんと魔族ですぞ。見てくだされこの立派な角を」と、ちっちゃい角が一応生えているのを見せてくれたのだが、もこもこの毛並みに隠れてしまっているので、やっぱり犬のぬいぐるみにしか見えない。
「モリス氏、ちょっと面貸せ。貴様の毛に用がある」
「ブラッシングのお誘いですか。それは是非とも」
中庭のベンチに移動し、モリスさんを膝に載せる。専用のブラシで背をひと撫ですれば、モリスさんはゴロゴロと気持ちよさそうに喉を鳴らした。犬か羊か猫か要素を統一しろと言いたい。
初めてモリスさんに声を掛けた時には、いかに見た目がふんわり柔らかだろうと宰相は宰相、一筋縄では懐柔できまい……と覚悟していたのだが、「えっ、わたくしめがもこもこで可愛いですと? そ、そんな、もう、お上手ですなあ! この老骨をおだてても何も出ませんぞお!」と、出会って数分で籠絡できてしまった。早い。こんなにちょろい宰相でこの国は大丈夫だろうか。
ともあれ、モリスさんは初対面ですぐに打ち解けてくれ、こうして暇さえあればブラッシングをしつつ世間話をする仲になった。毎回すごい量の毛が取れる。
「いやあ、いつも申し訳ないですなあ、トレイシア様」
「気にするなし。わての趣味なる。暇やしな」
モリスさんの高密度な白い毛並みをせっせと整えながら答える。今日もすごい量の毛が取れる。
「そうですかあ……。いつも申し訳ないですなあ、トレイシア様」
「だから気にするなし言うとるやろがい」
「いえ、その、わたくしめくらいしか話し相手がおらず。どうにも他の魔族たちはトレイシア様に遠慮をしているのです。なにせ魔王様の婚約者ですから」
モリスさんが言った通り、今のところ魔王城で私に話しかけてくる魔王以外の魔族は、モリスさんだけだった。
私が滞在しているのは城の中でも、魔王の生活用の敷地らしい。
そのためか、そもそも他の魔族を見かける機会が少ない。使用人らしき魔族たち(モップを担いで二足歩行で歩く猫だったり、ウサギの耳を生やしたメイドだったり)は一応見かけるものの、目が合ってもサッと逸らされてしまう。
おそらく「人間」という種族に「魔王の婚約者」という肩書きが足された結果、ものすごく敬遠されているものと思われる。気持ちは分かる。だって人間界で言ったら、国王の婚約者として魔王の娘がやってきた、という感じなのだ。どう接していいのか分からないのだろう。
人間が基本的に魔族を厭うように、魔族だって人間を快く思っていないだろうことは想定済みだったので、こうして敬遠されても特に悲しくはなかった。
まあ一年間も過ごしていれば、さすがに私の存在にも慣れてくれるだろうと思っている。それまで精いっぱい、無害な人間として愛嬌を振り撒こう。わざわざこんな人目につく場所でモリスさんとキャッキャしているのも無害アピールの一環である。
ちなみに使用人以外の魔族はどうかというと、これも接する機会がなかった。
王族の婚約者ともなれば、普通なら社交パーティーやお茶会で大忙しになるものだが、今のところ一切そういう声が掛からない。魔王からもそんな話は出ない。
私が人間だから遠ざけられているのか、そもそも魔界にはそういった場を開く文化がないのか、その辺のこともよく分からない。魔界で人脈を作るぞと意気込んでみても、このように社交界の勝手が違うので、今のところお手上げ状態だった。
そんなわけで、現状で私が交流を持てる魔族は、だいたい魔王の近くにいて、声を掛ければ素直に応じてくれる、このモリスさんだけなのだ。
「気にするなし。アウェイな空気は先刻ご承知。貴様こそ、毎度わてに付き合って大丈夫でござんす? 宰相の割に暇過ぎんか?」
「ほっほっほ、ご心配なさらず。魔界に来たばかりで心細いトレイシア様に寄り添うよう、魔王様からのお達しですから」
「魔王様から……」
「はい! 魔王様はいつも、トレイシア様を気にされておりますぞ!」
モリスさんは勢いよく私の膝から起き上がり、それは嬉しそうに「我らが魔王様はですなあ……」と語り始めた。




