奈落の教室より
――迅達が転移して、二週間が過ぎた。
芯は今日から探索を始めることなった。迅達の様子を見て、とりあえず問題なさそうだと判断したのだ。それは単に日々の生活が、という部分だけで人間関係が円滑になっているということではない。
萌子と夢衣、麦との間柄は微妙なバランスを保っている。ただ今までのように一方的にいじめたりはなくなったし、夢衣も萌子が何もしないので何もできなくなっている。
元々交流がなかったためか、岩次、彰、めぐみ、巴、瑠璃、若林達とはあまり会話がない。基本的に迅が間に入り、話し通す形になっている。三年間の差異と、元々の関係性が影響を及ぼしているようだ。花凛とは特に話していない。芯は、むしろ避けられている気がしていた。
今、芯は花凛に対して好意を持ってはいない。多少なりとも好きだった女の子だったはずなのに、まったく気にしてもいない。芯は思った。多分、あの時の自分は本当の意味で花凛を好きだったわけではなかったのだろう、と。
悠李とは相変わらず。慕ってくれているように思えるが、どうだろうか。
以前の自分なら、女の子に親しげにされたら動揺していただろう。エミルのおかげか免疫がついているというのもあるし、長年の修羅場が芯の精神を著しく強化していた。
現在、芯は準備を終え、家を出ていた。武器は小剣とナイフ、ゴーレムが落とした蒼い剣。拳銃は置いておく。手入れはしているので、迅達にも扱えるだろうと伝えている。
ボウ系は使わなくなっている。様々な武器を扱ってみたが、やはり剣が最も適していた。
衣服は瑠璃に頼んで、縫い直して貰っているためサイズもぴったりだった。鎧のような防具はないため、カジュアルな服装に、外套を纏っている感じだ。
レオンとリュウ、エミルは芯を待つように通路前に立っている。
「じゃあ、行ってくる。数日中には帰ると思うけど。何があるかわからないってことは念頭に置いておいてくれ」
「わかったよ。気を付けて」
見送りをしてくれた迅達に向かって、芯は淡々と述べた。
死ぬかもしれない。帰らないかもしれない。それを理解しておいてくれ、そう言っているのだ。
全員が自宅前で、芯に向かうように立ち並んでいた。その中で、悠李だけが芯に近づいてきた。
「た、大変だと思いますけど……いえ、こんなこと言うのは無神経ですよね」
「いや、声をかけてくれるだけで嬉しいよ」
「……自分を大事にしてください。何も得られなくてもいいので、絶対帰って来てくださいっ」
悠李はぎゅっと拳を握り、唇を絞りながら言う。真摯な視線を受け、芯は鷹揚に頷いた。
「ああ、頑張るよ」
次いで悠李の隣に立ったのは萌子だった。
相変わらず、顔を顰めて何もかもを受け入れたくないと思っていそうな顔だ。しかし、ほんのりと気色ばんでいる。表情と心情は真逆のようだ。
しばらくむすっとしていたが、何も言う気配はなかった。
芯は萌子の態度を見て、苦笑を浮かべる。
「薮崎も、ありがとう。行ってくる」
言わなくとも、気遣ってくれていることはわかる。だから礼を言ったのだが、それが不服だったらしい。萌子はキッと睨み付けて来た。
「ばぁぁぁかっ!」
顔を真っ赤にしながら悪態を吐いた萌子は、足音をけたたましく鳴らしながら家の中に入ってしまった。普段なら夢衣が後に続くのだが、距離感が変わってしまったのか、その場から動こうとはしなかった。彼女は色々と逡巡している様子だった。
花凛は別の意味合いで迷っている様子だったが、行動を起こすことはなかった。
挨拶は終わり、芯は全員に軽く手を振るとエミル達の元へ向かった。
「もうよいのか?」
「ああ。今生の別れってわけでもないからな。それに、正直、仲が良い人間はいないし」
「……そうかの」
何やら含みがありそうな言葉だった。芯は聞き返そうとしたが、遮るようにエミルが二の句を繋げた。
「というか、じ、実は話したいことがあってだな」
「うん? なんだよ藪から棒に」
「ほら、泉を解放したであろ? そのおかげで力が増幅したと話したのを覚えておるか?」
「ああ、言ってたな。それで一部の異界線を超えられるようになったんだろ?」
「うむ。それが勘違いでの、どうやら『異界線の全てを超えられるようになった』らしい。ほれ、見てみ?」
エミルは庭園と通路の境にあるはずの、見えない境、異界線を軽々と越えると、庭に入った。確かに、以前は間違いなく入れなかったはずなのに、抵抗なく足を踏み入れている。
「じゃあ、なんで二週間入らなかったんだ?」
「そ、それはだな、まさかこんな風に入れるとは思わなかったのだ」
「事前に、二個目の泉を解放したら一階層から八階層までは移動できるとわかってたのに?」
「う、うむっ!」
「俺の部屋と善次郎の部屋には入れなかったよな? というか一階層の庭にも入らなかったような」
「た、多分あれだ、その二つの部屋は特殊なのではないか? ほら、転移した場所であろ? それに以前言ったように、異界人に強く干渉する場所だからだと思うぞ。庭には入ろうともしなかったのでな。実際には多分入れるのだっ!」
明らかに、目を泳がせているエミルだった。当然、芯は彼女の異変に気づいている。何かを隠しているらしいが、追及するつもりはなかった。
「ふーん……まあ、行動が制限されなくなったのは良いことだよな」
「そ、そうであろ!? ふふ、そういうことだから、これからは妾もお主に同行することにした。いいな?」
「戦えるのか? それに危険だぞ?」
「補助くらいはできるぞ。泉解放で魔力もそれなりに増えておるし、魔力量が増えれば使える魔術の種類も増えるからの。危険は承知の上よ。後、精霊は簡単には死なん。余程、強い魔術を使われたりすれば話は別だがの」
「……でも」
「小僧らしくないぞ。いつもならば、そうか、で済ますであろ。そんなに妾は頼りないか? それとも足手まといなのか?」
エミルは芯を直視する。瞳には確固たる意志が見えた。
「そんなことはないに決まってるだろ。エミルがいてくれたら嬉しいし、心強い」
「ならばいいではないか。妾は決めたのだ。もう、ただ見ているだけは……イヤなのだ」
眉を八の字にし、悲しげに表情を歪ませた。そこには彼女の苦痛や悩みが浮かんでいる。
この三年近く、エミルと共に過ごした。その間に、エミルも色々考えていたのだろう。そして、制限はなくなり、力も得た。それを期に思い立ったのかもしれない。
一定の距離を保って共に時間を費やした。そして重ねた記憶が関係性を変えた。それを芯は認識している。彼女の考えは何となくはわかったが、その根底にある感情は判然としない。
知り合い、顔見知りという希薄な関係では決してない。
相棒、仲間という特殊な関係でもない。
友人が近い気がするが、どこか違う。
想い人であるかと聞かれたら、よくわからない。
ただ一つだけわかっているのは、もうエミルという存在を精霊だとか人間だとかの枠組みに入れてはいないということ。以前は距離を感じ、あえて作っていた。しかし、最近はそれも難しくなっているのだ。
エミルも恐らく、戸惑っているのだ。それでも近くにいてくれたし、これからもそうあろうとしている。その気持ちが嬉しかった。
芯は、エミルを異性と見ている。しかし異性として好きなのかはわからない。
じっとエミルを見つめると、濡れた瞳に吸い込まれそうになった。ほんの少しだけ、こみ上げる感情に戸惑いながらも、平静を保ちながら芯は答えた。
「わかった。じゃあ、一緒に行こう」
芯の返事を聞き、エミルは一転して相好を崩した。
「そうかっ! では、これからよろしく頼むぞ!」
嬉しそうにレオンやリュウに話しかけるエミルを見て、芯は笑みをこぼした。
敵わないな、そう思った。
●
三階層の泉を通り、八階層に到着した芯は階段の見上げた。
探索は久しぶりだ。油断は禁物。いつでも死と隣り合わせだということを忘れてはいけない。
泉の間から出てしばらく歩けばゴーレムがいた大広間がある。その先には教室への道があるらしい。特に、何があるわけでもないだろうが、一度、確認はしておいた方がいいかもしれない。それに、ゴーレムが本当にいなくなったかも見ておきたい。まさかないだろうが、復活していたりして。
パーティーの隊列は、前衛に芯とリュウ。芯はレオンに比べて機動力がある。オールラウンダーなのであらゆる状況に対応できる。リュウはブレスと武器へのエンチャント、つまり属性付与だ。基本的に芯と連携するので隣り合った位置に固定。
中衛にレオン。本来、中衛には遠距離攻撃ができる存在が位置する。この場合、芯が適任でもあるが、ダンジョンのように突発的な出来事に見舞われる可能性が高い場所では、指示を飛ばせ判断ができ、攻防に長けた人間が前衛に出るべきだ。
後衛にエミル。魔術による遠距離攻撃、明かり担当などのため後衛に位置している。後方からの襲撃が不安だが、彼女にはその点に関してだけは注意を払ってもらうことにした。
念のため、教室も探索する。
ゴーレムがいた大部屋には何もなかった。
教室までの道中も同様に何もなく、芯は教室に入った。
木造の古臭い部屋。天井には電灯が等間隔であった。黒板、丸時計、棚、机、教壇など、郷愁に駆られるものばかりが並んでいた。
「ここが、お主の世界の学校とやらか?」
「ああ、懐かしいな」
使えそうな物は大してなさそうだ。カーテンや木材は使えそうだが、ここから持ち帰る労力を考えると釣り合いそうにない。
教室前方の扉を開けようとしたが、動かない。迅から聞いていたが、やはりこの先に道はないようだ。
芯は、教室の外で待っていたエミル達の元に戻る。
「一応見てみたけど、何もないみたいだ」
「そうか。では九階層に行くとするかの」
「ああ、そうしよう」
芯は教室を後にした。ふと振り返ると郷愁に駆られた。
帰りたいという思いはまだある。だが、必死さは以前と比べるとなくなっている。
前に進むことはやめるつもりはない。しかし、頂上に到達した時、迷いなく帰ることを選択するかはわからなかった。
両親を思い出すこともある。けれど、どうやら芯は深い愛情を抱いてはいなかったらしい。薄情だと自身でも思う。だが、こうも思うのだ。
もし帰っても、きっと今のように生きるために必死にはなれない。環境が変われば心も変わる。また戻ってしまう、と芯は胸中で断じた
後ろ髪引かれる思いはまったくなかった。あったのは、記憶の片隅に、そういう過去を通ってきたという無感情な事実だけだった。




