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精霊と少女との狭間

 迅は芯達が帰還してから、空気が変わったように感じていた。


 彰は芯に四日もなにをしていたのか、と聞いていたが、はぐらかされていた。他の連中の顔を見ても、後ろめたいことをしたとは思わないが、明らかに態度が変わった人間がいた。薮崎萌子だ。


 出発前の横柄な態度は鳴りを潜めて、言葉も少なくなっている。相変わらず不機嫌そうな顔をしているが、率先して邪魔をしたりはしなくなった。それが顕著に見えたのは帰還した日の夕食のことだった。


 食事を終えた後、萌子が帰ってきたことで気が大きくなった夢衣が、にやにやといやらしく笑いながら、麦に言った。


「麦、これ片しといてね」


 見るだけで苛立たせてくれる表情だ。迅は正義感が強い方ではないが、それでも思わず何か言ってしまいそうになるほどだった。


 しかしその前に、彰、巴が立ち上がり、何か言おうとした。だが、異変に気づくと彼等は閉口した。


 いつもなら同じように麦へ命令するはずの萌子が椅子から立ち上がり、食器を台所も持って行ったのだ。


 麦は一体何が起こっているのか理解できず、怯えた様子で状況を見守っていた。


「も、モエ?」


 萌子の行動に、夢衣は戸惑いを隠せなかった。


 しかし萌子は涼しい顔をして、夢衣に一言残す。


「もう、こういうのなしな。学校じゃないしさ。邪魔しても、百害あって一利なしじゃん?」


「え? あ、え!? ど、どうしたの!? なんでそんな」


「だーかーら、ここは日本じゃないんだっての。誰も守ってくれないわけ。もうそういうダサい真似するのやめ」


 夢衣の返答を待たず、萌子は玄関から外に出て行った。その後を夢衣が駆け足で追う。


 迅は驚きを隠せなかった。しかし、内心で誰が何をしたのかという見当はついていた。詳細はわからない。しかし、誰しもが芯によるものだろうと考えたに違いない。


 当の本人は、食事後、調理班の手伝いで、食器を洗い、悠李と談笑しているが、衆目を集めていた。



 一体何をしたんだ?



 その疑問に答えはない。しかしその瞬間、確かに迅の中で竜胆芯という男への信頼がより強くなった。


   ●●



 さらに数日が経過した。


 手狭な一室。壁は土と岩。天井は低く、窮屈だ。本棚や机、小さなベッドだけであとは何もない。それで十分なのだ。彼女、エミル・フォルシウヌ・イスラには食事は必要ない。暇つぶしのため、芯から貰った漫画や小説を読むことはある。精霊言語を扱う彼女にとっては日本語の読み書きもお手の物だ。


 ベッド以外の家具は元々、魔女の家にあったものだ。ベッドだけは芯の手作りだった。


 灯りは木枠の窓から漏れる水晶石の光だけ。その気になれば光球を生み出すことはできるので問題はない。


 しかし彼女は、窓の外へは行けない。そこは異界線、エミルと芯達を阻む境界が存在している。今までは芯が会いに来てくれることが多かったので気にはしていなかった。だが、最近はよく窓から白魔女の家を見ることが多くなった。


 日本の友人達が来てから、芯がエミルに会いに来る時間は少なくなった。それは仕方のないことだ。彼らは何も知らず、知識と経験がある芯に頼るのは必然だ。


 たった数日。けれど、今まではなかったこと。


 どうやら自分は寂しがり屋らしい。それも、芯と三年、ほぼ毎日一緒にいたという記憶があるからこそだ。白魔女に会う前、そして芯に会う前の自分と比べ、今の自分は弱くなったように思える。


「精霊である妾が他者に嫉妬とは、笑えん冗談だの」


 自嘲気味に笑いながら、窓から外を見た。


 そこにはレオンと鍛練をしている芯の姿が見えた。


 最初に比べ、本当に逞しくなった。どれほど努力をしたのか、ずっとそばにいたエミルにはそれが嬉しくもあり、寂しくもあった。いずれ彼らは自分から離れて行く。それがわかっているから、壁を造っていたのに。



 もう依存してしまっている。



 大丈夫。大丈夫だ。いざとなれば何とかなる。自分に言い聞かせていると、視界に入った少女に目を奪われた。悠李だ。


 彼女は自分と同じ性別であるはずなのに、まったく別の生物であるように思える。澄み切った笑顔と愛らしい所作と見目。それは自分にないものだった。


 声は聞こえないが、何やら休憩がてら二人で談笑している様子だった。芯も嬉

しそうに笑い対応している。


「ふん、でれでれしおってからに! いっつも妾の胸やら太腿やら見ておるくせに、知っておるのだぞ! 人間の小娘がそんなにいいか!」


 しばらく地団駄を踏むが、虚しくなり嘆息した。


 おかしな話だ。本来、寂しかったからこそ、芯が離れるのを嫌った。しかし、今は十人程度の人間がいるのだ。話し相手になってくれる人間もいるかもしれない。悠李という少女などは、心優しいように見えた。会話くらい喜んでしてくれそうなものだ。


 しかし、エミルは芯のことばかりを考えていた。この三年近く、一定の距離を互いに作っていたのは別れを前提とした付き合いだったからだ。それ以外にも、種族の差という理由もあったかもしれない。だから、身の上話も大して聞かず、日常会話やくだらないやり取りばかりで済ませた。


 しかしどうやらそんな日々でも、一緒に居たという事実が記憶に根差し、別の感情を生み出したらしい。


 エミルは窓の隙間から芯を見つめると、胸に刺すような痛みを感じた。これは寂しさから来るものではない。独占欲だ。


 それはエミルも自覚していた。しかし、その欲求は、恋愛感情とやらなのか、それとも単なる子供が玩具を取り上げられたという感覚なのか、はたまた単純な所有欲から来るものなのかはわからなかった。


 確実なのは、この感情が恋愛感情だったとしても芯に告げることはないだろうということ。精霊と人間では造りが違う。概念と生物。精霊は生物ではない。感情や性別があること自体、おかしなことなのだ。


「別に構わん」


 そう、そんなことは望んではいなかった。


 エミルは芯に生きていて欲しいと思っただけだ。


 家を作ってくれなくてもよかった。


 優しくしてくれなくてもよかったのだ。


 けれど、たまにでいい、少し話がしたかっただけ。



 そう思っていた。今までは。



 芯と自分との距離は遠い。きっとこれ以上近づくことはないだろう。


 だが、それでも少しは近づけたのだ。だったら、満足しなくては。


 悠李が笑顔で、芯の腕に触れた。それはほんの少しだけ。多分、会話の流れで、自然に起きた出来事だったに違いない。


 わかっている。わかっていたが、鼓動が早くなり、イヤな感情がとぐろを巻いた。


 芯と悠李の関係は希薄だ。恋人ではないし、友人に入るのかも微妙なほどの関係性だった、と芯から聞いている。それは間違いないだろう。芯の視点では。


 悠李は明らかに芯に好意を抱いている。それが兄のように慕ってのことか、それとも異性として見ているのかは判別がつかない。しかし、少なくともエミルに比べて、悠李の方が近くにいられるのだ。休息を共にし、より親密な関係を築くこともできるだろう。何より、同じ人間だ。


 レオンやリュウのように探索で、芯の力になることもエミルにはできない。力もなく、移動先さえも制限されている。


 他の連中のように、生活のために働くことも大してできない。迷宮を案内するくらいはできるが、戦闘能力はほとんどないのだ。


 移動用の泉、その精霊。ただそれだけの存在。これでは本当にただの役立たずだ。


 自分には何ができるだろうか。何をしてきたのだろうか。与えられるだけで、与えることはなかった。今も前も、これからも。きっと芯の役に立つことはできない。


 何のために生まれて来たのだろう。なぜ今ここにいるのだろう。


 やり場のない、複雑な感情が沸き起こりエミルは、衝動のままに扉から通路に出た。


 庭園内を照らす水晶石の光は、通路の手前までしか届いていない。


 エミルは庭園に入ろうとした。だが、途中で足が止まる。見えない壁に阻まれ、押し返される。触感はなく、ただ、その領域に入ることができない。体重をかけても、足裏に感覚がないままに空中で身体が静止する。


 途方に暮れていると、とことことリュウがやって来た。澄んだ瞳でエミルを見上げ、首を傾げる。


「……わかっておるよ。選択肢はないのだな」


 エミルは顔を見上げ、芯と悠李を見た。二人は水晶石に照らされてい

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