一時の営み
四日間。初めての作業に四苦八苦しながらも、迅達は何とか日々を過ごしていた。
迅は採取作業をしながらも、各担当部分の状況を確認していた。
――予想以上に食料の減りが早い。
芯が用意してくれていた保存食量は半年分。それも一人分。
精霊であるエミルは食事が必要ない。リュウは食事を必要とするが、レオンは食べないらしい。その違いが何なのかはわからないが、一先ず、食事が必要なのは十三人と一体ということになる。
芯は鞄を持って行った。その中に恐らく多少の食料は入っていただろうが、数ヶ月分はないはずだ。
さて、一人で百八十日分、これを十三人で分けると、約十三日分となる。毎日、狩猟採取に勤しんでいるがかなり厳しい。具体的に数値化してみた。
まず農耕。サツマイモとジャガイモ。双方とも繁殖力が高いが苗がまだ少ない。畑の規模も小さく、すべて実が成っても二ヶ月分くらいだろう。岩次には畑を増やすように指示した。
だが、この世界ではどうも成長が早いらしく、芯の話では半年で一度実が成るらしい。一年に二度、収穫できるのはかなり助かる。しかもイモは保存性に富み、芽が出れば苗として活用すればいい。保存食に加工もしやすい。まさに一石三鳥。
同じ食材ばかりだと偏るが、食事ができるだけ有難い。
そして採取だが、三階層の庭園は直径二、三百メートルほどの半円状。思いの外、広いが、可食性のある植物に限定すると数は少ない。木の実が主だ。野菜はない。栽培してもいいが、労力に量が伴わない。一応、地面を掘ったりして自然薯辺りを探してもいるが、今のところ発見していない。
狩猟は中々に難航していたが、リュウの手助けで何とかなった。しかしいつまでも頼るわけにはいかないのでどうにかしようと考えているところだ。だが、兎の数にも限りがある。そのため結局、彰と巴は狩猟というよりは力仕事、薪割り、家の修繕などの業務が主になっている。
家畜の担当の麦は立候補しただけあってかなり知識が豊富だ。迅も博識な方だが、飼育に関しては彼女に勝てる要素はない。どうやら、かなり動物が好きなようだが、ただの愛玩動物という考えを持っているようには思えない。育て、食べるという部分も受け入れているようだったからだ。
衣服も瑠璃の頑張りのおかげで、各自一枚ずつは着られる服が増えた。夢衣に関しては助力できているか微妙だ。そちらも問題だが、より大きな問題があった。
迅はカゴに入れた木の実を抱えて、家に戻っていた。
玄関を入ると、サボっていた若林の姿が目に入る。
「先生、仕事してください」
「え、あ、はは、ごめーん」
悪びれている様子もなく、苦笑を浮かべている若林。
迅は嘆息するしかない。どうも、この教師、何をしても上手くできず足を引っ張る傾向にある。そのせいか、作業をすることがあまりなくなってしまった。必然的に、花凛の負担が増える、ように思えたが、
「間宮さんも」
テーブルの下に隠れていた花凛を見つけ、迅は呆れ顔を浮かべる。
「あ、あはは、ごめんね」
謝るくらいならしなければいいのに。
迅は不意に何か失敗し謝罪をすることはあっても、故意的に何かして謝ることはない。後者は自分が律すれば大体回避できるからだ。しかし、こうやって花凛達のようにサボって見つかって謝るという不毛な行動をとる人間が一定数いる。
結局、心から謝ってないのだ。それがわかりながらも迅は強くは言わない。こういうタイプは一時的に指示に従ってもすぐにあきらめるし、何なら不満が増える。面倒なタイプだが、一番多い人種だ。
「とにかく、清掃はしてください」
「で、でも毎日しなくてもいいんじゃないかなー?」
若林がおずおずと言う。その意見はある意味、わからなくもないが、サボったという出来事の後に言えば、ただサボりたいという心情が付随する。例え違ってもそう思われる。そんなことまで若林は考えが至らないだろうが。
「最初に言った通り、清潔にすることは大切です。確かに一日二日で激しく汚れないでしょうが、それでも一日サボれば汚れは溜まります。人が多い分、汚れも増えやすいですからね」
「そんなに汚れないと思うけど」
こちらは花凛だ。若林も堕落している人間だが、花凛も同じような性格だ。
本人は流されやすく、自意識が弱い。周囲に流されるタイプなのは簡単にわかる。面倒事を嫌い努力から逃れる。いつも多少マシなのは瑠璃や巴と一緒に居るからだ。それを迅はわかっていた。
「汚れるよ。日本と違ってすぐそこに植物や土があるんだし、みんな外で働いてるんだから。それに布団や服の洗濯もあるんだから、やってもらわないと困る」
二人はほぼ同時にあからさまにイヤそうな顔を浮かべると、肩を落とした。
ダメだ。本当にダメ人間だこの二人は。
迅は嘆息し、そのまま台所にカゴを置いた。その後、書斎の扉をノックした。
「どうぞ」
入ると、めぐみが蔵書に目を通しているところだった。といっても、確かあれは絵本のはずだ。幼児用学習本も隣に置いている。芯がトゥアム語を学習したやり方を踏襲している。
「どう、調子は」
「まだ四日だけど、大変ね、これは」
「一言語を習得するんだ。相当、大変だろうね」
「その通りだけど、簡単に言うわね」
めぐみは眼鏡を外して、目頭を指で押さえた。
眼鏡、三つ編みという委員長然としている彼女だが、少しフランクになっている気がする。学校での彼女とは少しイメージが変わっていた。数日一緒に過ごしたから、多少距離感が縮んでいるのかもしれない。
「彼、凄いわ。これを二ヶ月で習得するなんて」
「日常会話程度の読み書き、だったっけ? それくらいできるもんなのかな」
「どうかしら。必死にやればできるかも。日常会話程度、というレベルにも差があるでしょうし。ただ、彼の習得しているレベルは結構高い。書物をある程度読めるくらいだったし……」
「もしかして弱音吐いてる?」
めぐみは、はぁ、とこれ見よがしに溜息を洩らした。
「そこは優しく励まして欲しい所だったんだけど」
「ごめん」
「いえ、こっちもちょっとナーバスになってたわね。自分では結構こういうの得意だと思ってたから」
めぐみの成績は常にトップ5に入っている。迅も同じようなレベルで、学力は一二を争う。芯は普通よりは上、程度の成績だったはずだ。彼がトゥアム語を習得できたのは、必死さゆえか、それともこの迷宮に来て彼が本気を出したのか。
どっちにしても驚嘆を禁じ得ない。元々、迅はプライドが高い方じゃない。学力が高いと自負はあるが、自分より優秀な人間に嫉妬しないし、むしろ尊敬の念を抱いたり、何かを吸収できないか考える。
だがめぐみは逆で、プライドが高い。その誇りから、芯に対し嫉妬を抱いているように見えた。もちろんそれはまだ小さなものだが。
「とにかく結構時間がかかりそうよ」
「そっか、大変だろうけど、頼むよ」
書斎から出ると、迅は人知れず嘆息した。
気を回すのも簡単なことじゃない。このままでいいんだろうか。食料は問題ない、はずだ。このままいけば問題は解消できる。だが、みんなの精神的な問題はどうだ。
萌子を連れて行った芯。彼には何か算段があるみたいだったが、それで麦の問題は解決するのだろうか。正直、集団の中に萌子のような存在がいると邪魔で仕方がない。どうしようかと考えていたので、芯の行動は助かった。しかしそれが功を奏するかどうかは疑問だ。
最悪、萌子が改心しなければ、萌子や夢衣をグループから除外しなければならないかもしれない。それは、つまり見捨てると言うことだ。今はまだいいが、問題が肥大化すれば考えざるを得なくなる。
――一応、覚悟しておいた方がいいかもしれない。
花凛と若林がおざなりに清掃している姿を横目に、迅は外に出た。
「あれは」
通路の方向に、四人の姿が見えた。どうやら帰って来たらしい。
迅はその姿を複雑な心境で見据えた。
●●
「――いつでもいいぞ」
芯の声音には余裕があった。それは強い自信ではない。自然に構え、リラックスしている。彼に気負いはなかった。
両手を正面に出し、腰を落としている。構えはボクシングのファイティングポーズに似ているが、深くは考えていないようだ。ただ一番動きやすい姿勢を保っているだけだと思えた。
武器は持っていない。素手だ。
対峙しているのは、巴。彼女も同様に空手だ。
左手を前に出し、半身の状態で右拳を脇腹付近に置いている、堂に入っている。それは彼女が相当な鍛練を積んできたという証拠でもあった。
傍目から見れば、体格差は歴然。しかし、芯には格闘技経験はない。彼にあるのは三年間の死闘、剣術の鍛練、孤独を生きたその強さ。それがどれほどの強さを身に着けさせたのかは誰にもわからなかった。あるのはゴーレムと戦った彼の雄姿だけ。それは巴に不可能だと言わしめた記憶だ。
しかしそれは武器を用いての場合。では素手ではどうか。そういう疑問を抱いたのが巴だった。そこで組手をしたいと頼んで、芯が了承し今に至っている。
巴は幼い頃から空手をしている。父は毎日鍛練を欠かさず、巴も同じように厳しい鍛練を積み重ねて来た。様々な大会で優勝し、段位も年齢が十七でなければ相当な段位を得ているという自負がある。
相手は格闘技は素人。だったら勝てる要素しかない。
巴は単に自分のプライドを守るためだけに戦いを挑んだわけではなかった。ただ基準が欲しかった。今の自分が芯に勝てるのならば、この迷宮でもある程度、通用するのではないかという思い。そしてたった三年の月日で変貌した芯への羨望と妬み。その上での、自分の自信。それらがせめぎ合い、芯に対戦を挑んだ。
巴の力量は、父のおかげで得られたもの。負けるわけにはいかない。
巴と芯の距離は五歩程度。一足では届かない。そのため共ににじり寄るしかない。
二人の戦いを全員が見守っていた。そこには萌子もいたが、彼女はいつも以上に不満そうに顔を顰めている。
互いの距離が四歩、三歩、そして二歩となった。
一呼吸の合間。
巴がステップと共に足刀蹴りを繰り出した。真っ直ぐ芯の顔面に向かう。それは長年、相当数行われた所作で、一切の無駄がない。彼女の鍛練の質がうかがえる。
当たった! 巴は確信と共に芯の対応を観察する。
が、芯はその蹴りを首をひねるだけで避けた。
「なっ!?」
驚きを隠せない。会心の一撃だったのだ。この蹴りを避けられた人間は父くらいだった。だが、それも簡単に避けられた。しかし自信喪失する時間はない。
足を戻すと同時に左右の正拳突き。避けにくい水月を狙ったのに、芯は軽く一歩下がるだけで難なく回避した。
巴は更に踏み出すと同時に前蹴りと下段蹴りを繰り出したが、見事に躱される。それもすべて紙一重だった。
どうして避けられるのかわからない。彼は空手家と戦った経験はないはずだ。しかも避けにくい視覚外の攻撃も予測しているかのように、先んじて回避している。
巴は呆気にとられつつもすぐに我に返る。
芯を甘く見ていた。その事実は忘れてしまおう。
問題はどうすれば勝てるか、だ。
共にスタミナは膨大。攻防で体力が削れることはない。ではどうするか。
巴は体格差を考慮しながらも、敢えて、芯の懐に飛び込んだ。同時にグッと体勢を低くし、顎に向けて掌打を出す。下方からの攻撃、その上、これだけの近距離では避けるのも難しいはず。
だが、芯は身体を僅かにねじった。頬に巴の親指が掠った。
完全に避けられた。
体勢を崩した巴は、芯の意図が読めないながらも、左手で腹部を防御した。しかし、それは意味をなさない。
「がっ!?」
芯の肩が顔面に埋まった。否、顎と頬の間を打ち据えていた。
人間の顔面には歯がある。拳や頭突きなど何らかの攻撃をすれば欠けた歯が刺さることもあるのだ。かと言って鼻骨から額周辺は非常に硬い骨がある。攻撃側が安全且つ効果的に攻撃するには的確に急所を狙うしかない。
では大味の攻撃ではどうするか。顎だ。そうすれば脳が揺れ、脳震盪を起こす。本来、顎の先端に打撃を加え、脳を揺らすというのが常套手段であるが、体格差があればそれも必要ない。よほど首を鍛えていなければ脳は揺れる。
男女という差もあり、芯の肩打だけで巴の脳は揺れ、バランスを崩した。
「ぐ、くっ」
ダメージはほぼない。巴にとってこれしきの痛みは慣れっこだった。だが、足は言うことを聞かない。地面に伏し、芯を見上げた。
「大丈夫か?」
そして手を差し出された瞬間、この男には勝てない。そう思ってしまった。
「どうして避けられるんだ……?」
「殺気っていうか、そういうのがすげぇ出てるし」
何だそれは、そんな創作の世界で出るようなものが本当にあるというのか。
殺気なんてものを感じとっても攻撃を避けられるはずがない。確かに敵と対峙した時、そういう威圧を感じることはある。だがそれは目や姿勢、反応から得られるものだ。攻撃から出るものではない。
だが、芯はそれを感じとりすべてを避けた。だったら真実なのだろう。死線を掻い潜って来た彼だからできる芸当なのかもしれない。
巴は悔しさのあまり、歯を食いしばった。
しかし、その妬みは正しいとは思えなかった。鍛練に次ぐ鍛練、それを乗り越えてきた彼女も、芯のような生活を送ったことはない。ならば、この感情は驕りに他ならないのではないか。
そして、巴は大きく息を吐き、やがて小さく笑うと芯の手を握った。




