そして誰もいなくなった
萌子と悠李は、疲労と眠気から、芯の自室にいつの間にか眠ってしまっていた。
唯一のベッドに二人で横になり、布団を被っている。
「ん? 朝……?」
寝ぼけ眼で上半身を起こし、周囲を見回す。そこは見慣れない場所で、一瞬だけぎょっとしたが、記憶を確認すると思い当たる。
そうだ、昨日は確か、竜胆がいなくなって、どうしようか考えていたけれど、眠くなって、そのままベッドに横になったんだった。
男の、しかも仲も良くない相手のベッドに入るのは抵抗があったが、背に腹は代えられなかった。
それに悠李が何の抵抗もなく、布団に潜り込んだものだから、忌避感が薄れてしまった。最終的に着地する場所は同じだったのだから、それはある意味、功を奏したように思える。
隣に眠っている悠李を見下ろす。幸せそうに寝入っている。庇護欲をそそられるが、萌子は頭を振った。
キャラじゃない。誰かを守ろうとするなんて。ウチは自分のため、自分だけのために頑張って来たんだ。それが誰かのために動こうとするなんて、らしくない。
それにしても、お腹が空いた。昨日は芯に貰ったサツマイモの燻製と水しか食べていなかった。夜も食事をせずに寝てしまった。おかげで起床間もないのにお腹が鳴った。
萌子は悠李を起こさないように、布団から出ると、通路に出た。
「……くらっ」
水晶石がないので暗い。松明はあるが、庭に置いてきてしまった。スマホは制服に入っているが、バッテリーがもったいないような気もする。しかし圏外であることを思い出すと、萌子はスマホのライトを起動した。
暗い。子供の頃、真夜中にトイレに行きたくなった日を思い出す。廊下にある電気のスイッチは遠く、暗闇の中を歩かなければならなかった。心細くて、闇の中から得体の知れない何かが蠢き現れそうな錯覚を覚えたものだ。
しかしそれは遥か昔。今は、大丈夫。大丈夫なはずだ。
悠李を起こそうかとも思ったが、気持ちよさそうに眠っているので、憚られて、結局一人で通路を歩いた。
庭まで行くと、水晶石の明かりで視界が広がる。転移間もなく、迅が明かりがなくなった時のことを危惧していた。何をバカなと思ってもいたが、今は身に染みてわかった。光がなければ安心することなんてできない。
萌子は湖畔に行き、置きっぱなしにしていた鞄の中を覗いた。
水筒やペットボトル、干し肉やイモ、サツマイモの燻製チップがあった。これならしばらくは持ちそうだ。それに、確かこの場所にある木の実の幾つかは食べられると芯が言っていた。
「つっても、どれが大丈夫なのか、わっかんないし」
保存食はあるのだからいいだろう。
とりあえず、自分と悠李の朝食分と、水晶石を持って、自室に戻った。
「は? え?」
いなかった。
今度は悠李がいなくなっていた。
「いやいや、え? なんで?」
おかしい。異常だ。だって、さっきまで寝ていたのだ。
これも芯の仕業? そんな、だって、もしそうなら、悠李は自分を置いて行ったということになる。あの娘がそんなことをするだろうか。
そもそも本当に芯が仕組んだのだろうか。もしも、仮に彼以外の別の存在が、悠李達を連れ去ったとしたら。
次はウチ……?
突然、自室内の空気が変わった気がした。見えない何かが萌子をじっと観察しているような、気持ち悪い感覚。肌に纏わりつくような粘っこい大気が、萌子の中に妄想を促す。
ドクンドクンと脈拍が早くなる。脳内の理性が掻き乱され、やがて感情が爆発しそうになる。
独りだ。誰もいない。自分だけになった。
「だ、誰かいるんでしょ!?」
叫んでも返答はない。無音が返って来たことで余計に焦燥感が膨らんだ。
「い、悪戯ならもういいって、つまんないっての!」
静まりかえった室内に、萌子の叫び声だけが反響した。
萌子は部屋から飛び出し、善次郎の部屋に向かった。
誰もいない。
庭にも誰もいない。
叫び、走り、誰かが反応してくれるのを待った。しかしそんな淡い希望は一瞬で露と消えた。
残りは異界線の向こう。しかし、その奥にいるのは人間はなく、魔物だ。
萌子はどうすることもできず、自室に戻ることしかできない。
「みんな、どこ、行ったんだよ……意味わかんねっての」
放心状態で天井を見上げた。
ふと突然恐ろしくなり、扉を閉め、正面にテーブルを置いて塞いだ。
これからどうしよう。
本当に閉じ込められた。この場所から離れられない。
しばらく呆然としていた萌子の頭には、竜胆芯の境遇が浮かんだ。彼も転移当初は同じ心境だったはずだ。むしろ、完全な孤独で、誰も何も教えてくれなかったのだから、萌子はまだ恵まれている方だろう。
しかし、だからといって慰めにもならない。段々と湧き上がる苛立ちのままに、萌子は舌打ちをし、顔をしかめた。しかし、恐怖が邪魔をし、部屋から出ることもできない。
もし、お風呂に入りたいなんてわがままを言わずにいれば、こんなことにはならなかったんだろうか。それとも一人で安易に行動したのが間違いだったのだろうか。
道を違えたのはいつだ。
独りになったのは久しぶりだ。中学の時、以来だった。
「イヤなこと、思い出しちゃったじゃん」
忘れたくても忘れられない。最悪の記憶。
一念発起し、高校では同じ轍を踏まないように努力した。それが今の自分。
はっきり言って性格を変えることは失敗したと思う。けれど、昔よりは良くなっている。少なくとも自信がなく、いつも地面を見つめていた頃とは違う。
そもそもなんで麦をいじめているんだろう。理由は自分でも思い当たらない。別に、何をされたでもなく、彼女の姿を見るだけで腹が立つ。昔の自分を見ているみたいだからだろうか。それともまったく努力しないで、自分は不幸だと主張しているように見えたからだろうか。
どうでもいい、か。結局、そんなことを考えても、現状は変わらないのだから。
いじめられて孤独になるのと、自分の性格の悪さから孤独になるのと、突然、未曾有の事態に巻き込まれて孤独になるのでは、どれが一番辛いんだろうか。
そのすべての経験がある萌子は、自嘲気味に小さく笑った。
答えは決まっている。どれも同じくらいに辛かったのだから。
●●
一日が経過した。誰も来なかった。
萌子はベッドから這い出ることなく、じっと時間が過ぎるのを待った。
庭を拠点とするか迷ったが、開けた場所は危ないと思い、部屋を使っている。
何とか芯が持っていた鞄を部屋に持ち運び、できるだけ部屋から出ないようにした。これなら安全だ。もし、芯達を連れて行った何者かが現れても部屋には入って来られないだろう。
何でこんなことしてるんだろう。
自分が何をしたと言うんだろうか。
麦をいじめていたから?
それとも学校で偉そうにしていたから?
男を翻弄したから?
友人を友人とも思わず、良いように扱ったから?
それの何が悪い。
いじめられる方にだって原因がある。あんな、いじめてくださいって風に振る舞う方にも非がある。貧乏でも、制服を手洗いするくらいはできる。髪だって最低限櫛で梳かせるし、長ったらしければ切ればいい。散髪代くらい高校生ならバイトで稼げる。
家庭の事情がある? 知ったことじゃない。
自分の家だって離婚だなんだといつも喧嘩して、結局離婚した。親が浮気している現場だって見た。その上、いじめられた過去があっても、努力したのだ。見返してやるという思いを持ち、自力でのし上がった。
コミュ障? 甘えだ。話す努力をしたか? 笑顔を作る努力は? 恥ずかしい、怖い、馬鹿にされたくない。そんな感情は誰にだってある。けれど直したいと思うなら、どうにでもできる。話す相手がいないなら、作ればいい。話しかければいい。できない? 違う。やらないだけだ。
自分には向いてない。できない。才能がない。素質がない。言い訳だ。
どれだけできなくとも、向いてなくとも、努力をすれば才能がある人間と同じ、とはいかないまでも、何もしない人間と同等、それ以上にはなれる。
それができないのは、していないだけ。
本当に完全に向いていない分野はあるが、それは長い間、労力を注ぎ、真剣に取り組んだ人間が言える言葉だ。大概、そんな努力はしていない。簡単に諦めただけ。
確かに、精神が荒むこともある。けれど、どうしてもそこから抜け出したいなら、自分でどうにかするしかない。それをせず、現状に甘え、あまつさえヒロイズムに浸っている連中を見ていると腹が立ってしょうがない。
立ち向かわなくても逃げることはできるはずだ。それさえもしない連中ばかり。奴らは選択しない。他人に選択を委ね、奇跡的に助かると信じている。
友人に対して横柄だと、自分でも思う。むしろそうしているのだ。
気弱にしている人間を見れば、多くの人間は格下だと評価する。逆に自信満々であれば、格上だと思う。もちろんそんな単純なものではない。条件も色々あるし、他の要素も絡む。けれど心持ち一つで大きく周囲の評価は変動する。
そうすることで、自分の周りの人間を守ることもできる。当然、自分のためだけに努力をしていた萌子にとって、彼女達のことなんて眼中にない。けれど甘い汁を吸っているのだから、とやかく言われたくはない。
イヤならば離れればいいのだ。それをしないのは、そうしたい、もしくはそうすることしかできない環境に自ら飛び込んだということ。自己責任の領域だ。
男も同じ。奴らは単純で、プライドが高い。その男心をそそるような行動をして、満足させてあげているのだ。あくまで精神だけだが。
正しさを主張する気はない。けれど、誰かに間違いだと言われたくもない。
もし麦が毅然とした態度をとり、身なりを整えれば、いじめることはないだろう。
媚びへつらい、群がってこなければ友人にも偉そうに指示したりはしない。
男にも自分から関わったことはない。群がるから媚びてやっているのだ。
友達に優しくしなければならない理由がない。友達や家族、恋人、それら周囲の人間関係、その立ち位置や態度を他人に決められたくはない。なぜ、曖昧な常識や正しさを押し付けられなくてはならないのか。そんなものが自分を助けてくれたことはない。
結局は自分。自分の力でどうにかするしかない。
今までもそうだった。だったら、これからも同じだ。
めぐみに、他の人達が助けてくれるのが当たり前だと思っているのか、と言われた。そんなことは思ってない。むしろ他人は助けてくれなくて当たり前だと思っている。
だから、利用する。下心があり、偽善であり、同情であり、色々だが、人は親切にするように見せかける。そこに純粋さは、ほとんどない。
ならばその心を利用した方が合理的だ。なんせ、優しくしてあげているという満足感を相手は得られるし、こちらは実利がある。媚びるとはそういうことだ。
しかし、芯に対してはそういう気持ちにならなかった。多分、大人な対応に苛立っていたのだ。当然のように助け、優しくし、世話をしていた彼に胡散臭さを感じていた。しかし、それは正しかったのだろうか。
彼は、なぜここに自分を連れて来た。本当に、お風呂に入りたいという希望を叶えてくれただけなのか。
考えても答えは見えてこない。
萌子は、漫然と時間が過ぎるのを待った。それは過去の、何も出来ないで泣いてばかりいた自分を思い出させた。




