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大丈夫か?

 先頭には岩次と彰が、モップの先端を外した『棒』を持って歩いている。


 続いて迅、萌子、夢衣、花凛、悠李、瑠璃、麦、若林、巴の順に並んでいる。結局、萌子と夢衣も、少数で残ることを良しとせず、ついて来ることになった。


 全員が各々の鞄を持っている。中には私物が入っているだけで、教科書の類はない。重いだけだからだ。


 教室外の通路は、地面、壁、天井すべてが土に塗れて、まるで洞窟の様だった。


 若林は一応我に戻ったが、瞳に光がない。そのため巴が介護することになった。


 麦は萌子達を離し、若林の介護補助とした。


 不気味だ。足音だけが反響している。閑寂で不穏な空間は、都心部では見られない。自然的な内観は、教室から歩いて十数分の距離とは思えなかった。


 花凛は脈動を感じつつ、額に滲む汗を拭った。気温は低いのに、冷や汗が溢れる。


 革靴ではなく上履きのせいで、少しだけ靴底が薄い。大きな石を踏むと違和感が生まれる。妙にすえた大気が鼻をくすぐり、花凛は顔を顰めた。


 一本道が続いている。細道は、全員が横に広がるには狭い。閉塞感と共に圧迫感があり、息がつまりそうだった。


 出発して二十分程度。短くも長くもない距離を歩いて、徐々に不安が顔を出した。


「いつまで続くんだよ、これ。やっぱ、教室にいた方がよかったんじゃん」


 萌子の言葉に賛同する人間はいなかったが、花凛は内心そう思い始めていた。実際、このままどこまで行けばいいのか、という不安ばかりが浮かぶ。


 しかし、あのまま教室にいたら、闇の帳のせいで身動きが取れなくなっただろうということもわかる。そうなった場合、ここまで来れはしなかったと思う。


 萌子の舌打ちだけが響いた。


 一時間が経過した。緊張の上、視界の悪い中、しかも上履きで歩いていた面々は、明らかに疲弊していた。


 元々、夕方ということもあって、多少なりとも疲労は蓄積している。運悪く体育がある日だった。その分、体力の消費も激しい。特に迅、悠李、麦の三人のスタミナはかなり消耗している。


「ああ、もう! なんなわけ!? うっざ、なんでこんなことになってんの! 霧山のせいだろ! なんとかしろよ!」


「そ、そうだよ! モエの言う通りじゃん!」


 萌子と夢衣の不満は最もではあったが、一方的に責任を転嫁していた。


 皆、何が起こっているのかわからないという中で、何とか自制し、行動していたのだ。それが一々、萌子が文句を言うものだから、他の連中も苛立ちを露わにし始めた。


「おまえ、さっきからうるせぇんだよ。迅の意見に従ったのはおまえも同じだろうが。誰かの意見に従ったんなら、それはもうお前の責任なんだよ、いやなら黙って、教室にいりゃよかっただろうがよ!」


「はああああ!? マジ、なんなの、あんた。いつも偉そうにしてっけどさぁ、自分が正しいとか勘違いしてるだけだから。何、正義感とかいうやつ? はっ、ばっかじゃん? 正しいかどうかちゃんと考える頭もないくせに!」


「んだとコラァッ!」


「何、殴るの? そうやって力で抑えつけるってわけ? いいよ、やりなよ。ウチは非力な女子だから、反撃できないからさぁ、暴力で訴えられたら何もできないもんね?」


「く、こ、この!」


「二人ともいい加減に」


 見かねた岩次が仲裁に入ろうとした時だった。


「ねえ、あれ」


 花凛は思わず、口を開いていた。


 震える指先が指し示す方向には、現実感の乏しいものがそびえ立っていた。

 花凛同様に、迅も目の前に屹立するものに、生唾を飲み込んだ。


 それは扉。


 しかし現代に散見する扉とは違い。重く、厚く、古い。観音開きの鉄扉。


 花凛は記憶の片隅にある、ゲームの一場面を思い出した。RPGで見たことがある扉によく似ていた。それは中世を想起させるデザインだったからだ。


「お、おい冗談じゃねぇぞ」


「扉、だな」


 彰と岩次が狼狽を隠しもせずに言葉を紡ぐ。明らかに場違いな存在の出現に全員が息を飲んだ。

 道は一本。分岐はなかった。だったら、この扉を進むか戻るかの選択しかない。


 全員が、先ほどの諍いを忘れて顔を見合わせる。


「どうするの?」


「ここまで来たら開けるしかないよ」


「でも、明らかにここまでの様子と違うよ」


 花凛と迅の会話に全員が耳をすませる。否定も肯定もない。ただ黙して、みんな思案している。指針がないのだ。どっちが正解なのか確率が常に二分の一。情報が欠如している。



 行動するか、しないか。



 コンコルド効果にも似た心情に陥ったのか、迅は扉へと近づいた。


 誰も制止しない。それが正しいかどうかわからない。ただ彼は責任を自ら被ろうという意思の元、行動した。そんな彼を責められるのは、彼の行動を止めた人間だけだ。しかしそんな人間はここにはいなかった。


 迅が力を込めると、扉はすんなりと開く。迅は驚いた様子で、扉から離れた。つまり自動的に動いているということになる。


 全員が声を出さない。否、出せなかった。


 緩慢に進む、状況の把握に集中し、尚受け入れることはできない。飲み込んだ時にはすでに時は遅れ、事態は切迫する。


 今が過去になる時に、今を受け入れる。その場その場での思考に苛まれ、皆が行きついたのは、無心と本能のせめぎ合いだ。


 未知へ抱いた恐怖の中、扉はギギッと開く。


 奥に見えたのは広場だった。それがわかったのは、青い光に照らされていたからだ。スマホの光に比べると一つ一つは弱い篝火だったが、その数は数十を超している。床から壁に至るまで燭台があり、蝋燭は青い炎を宿していた。


 誘われるように中へと入った。


 明るい。それが安堵を与えるはずなのに、どうしようもなく心は揺らいだ。





 ここにいてはいけない。





 その、心の底から生まれた警告は花凛にしか伝わっていない。


「こ、ここに居ちゃダメッ!」


 そう叫んだ花凛に、全員が視線を集める。その瞬間、扉は勢いよく閉じた。


 刹那の出来事で、全員が感じた思いは、口に出さずとも理解できた。


 これから起こること、未知への恐怖だ。


「あ、開かない!」


「ふっざけんな、開けろよっ!」


「ぬううっ!」


 男子三人は力を込め、扉を開こうと必死だった。しかし重厚な扉は微動だにせず、厳然と花凛達を閉じ込めた。


「さっさと開けろっての! あんた達のせいだろ!」


「ど、どうすりゃいいの!?」


「いやあっ! もう、いやだよぉ、帰りたい、帰りたい!」


 萌子は叫び、夢衣は狼狽し、若林は悲観に暮れる。

 麦はぎゅっとスカートを握って、光ない瞳を扉へ向けるだけ。


 巴は唇を引き絞り、瑠璃は恐怖に耐え、悠李は泣きそうになりながら花凛の服の袖を握った。


 ゴウンと何かが唸る。同時に、地響きが聞こえた。


 全員が後ろを振り向いた。


 轟音が聞こえた。その正体は視界に入らない。


 扉正面には同じような扉が見えた。シンメトリーの造りになっている。もしかしたらあそこが出口なのかもしれない。



 走るか?



 しかし、この音の正体が気になる。あるいはここにいる方が危険なのかもしれない。わからない、わからないが、どうにかしなければ。


『花凛、悠李を待ってあげなさい。お姉ちゃんでしょ』


 そんな母の声が聞こえた。どうして、こんな時に。


 姉だから妹を助けなければならないのか。


 姉だから我慢しなければならないのか。


 こんな妹のために、どうして。



 ――こんな?



 なぜ、悠李が疎ましいと思っているんだろうか。


 自分と違って、個性があり、優秀で人に好かれる妹が妬ましいから? 


 けれどそれはいつから始まったのだろうか。


 わからない。わからないが。その時は、こう思った。



 私が助けなければ!



 花凛は悠李の手を払い、走り始めた。


「お姉ちゃんっ!」


 制止を振り切り、奥へと走った。


 後方から聞こえる叫び声は耳朶に届かない。


 久しぶりに全力疾走した。肺がすぐに痛苦という警告音を鳴らす。断続的な痛みに、花凛は顔を顰めながらも足を動かす。


 距離は四百メートルはある。聞けば短く、走れば長い。全力で走るには長いが、速度を緩めてはならないという直感に従った。


 ゴウンと聞こえた、轟然とした音は上空からのものだった。


 広場の中央を超え、数秒の間隔。その後に聞こえたのは地面が破裂する音、そして震動。激震の中で、花凛は体勢を整えることに終始する。転ばずに済んだのは奇跡だった。肩口に振り返ると、その対象が見えた。


 高さは十五メートルはある。厚みがあり、土くれの塊が微細に揺れ、それが大きくなった瞬間、体躯が浮かんだ。立ち上がったのだと気づいた時に、花凛の身体の震えが激しくなった。



 あれは、何?



 疑問は口には出ず。脳内でグルグルと回るだけだったが、本能的な思考という名のカーテンを被せることで、優先順位を変えた。


 走れ! 走れ!


「走れぇっ!」


 自身への叱咤は自然、口をついた。


 花凛は床の震動が収まると同時に、地を蹴り、身体を走らせた。


 扉まで百メートル。しかし背後に迫る気配はすぐそばに来ている。

 振り向く余裕はない。恐怖に駆られる自分を奮い立たせ、走力へと変換する。


 扉が僅かに開いた。花凛が近づいたことで反応したのか。


 掴まったらどうなるか。


 死ぬのか。


 殺されるのか。


 死にたくない。




 死にたくない!




 衝動のままに走った。何もかもを受け入れられていない。何が起こったのか、何をすべきなのか、なぜ今走っているのか、自分に迫るあれは何なのか、他のみんなは無事なのか、このまま扉へ辿り着いたらどうなるのか。


 何もかもわからないのだ。なのに足は動く。弛みはない。気力も活力も脚力も体力もすべてを費やして身体を動かしている。何を礎としているのか自分でもわからない。


 ただ、あそこへ行けば、助かる。そう思っただけだった。


 扉まで五十メートル。もう、すぐだ。


 扉が半分開いた。このまま滑り込めば、化け物は通れない。


 だが、


「はぁ、はっ、んぐっ!」


 準備運動もなく、徒歩と、夕方までの疲労、精神的疲弊、それらが蓄積し、肉体的な影響を及ぼし、足がもつれた。


「あぐっ!」


 全力で走っていた中での転倒だ。そのまま倒れ込みそうになるのを、転がって勢いを殺すことしかできない。前転から横転に変わり、勢いは弱まる。しかしそれは速力が0になったことでもあった。


「あ、ああ、あぁ……」


 顔を上げた花凛の眼前には、土くれの姿があった。


 巨躯はすぐ近く、一歩踏み出せば花凛は虫のように踏みつぶされる。それほどの体格の差があった。


 土くれには、四肢があった。人型だが、頭部はただの突起物で眼や鼻の類はない。手は指が四本。足は指がない。胴体はぼってりとしており、肥満な男性を連想させる。


 それは花凛の中でゴーレムという名称をイメージさせた。


 ゴーレムが腕を伸ばす。腕の表面がボロボロと崩れ、地面に落ちると、うねうねと動き始める。それは土自体が意思を持つように塊になり、やがて小さなゴーレムとなった。


 花凛は後ずさりした。巨大なゴーレムの手のひらが迫る。ゆっくりと流れる時間の中で、花凛は明確な死の輪郭を見た。自身を握りつぶす手から逃れるように、這いずるが、巨大な影に覆われることで、絶望を自覚させられる。


 ああ、終わった。


「お姉ちゃぁぁぁぁぁんっ! いやああああああぁぁっッッ!」


 あれだけ冷たくしたのに、自分のために叫んでくれた妹。


 なんで優しくできなかったんだろう。きっと簡単なことだったのに。


 一瞥すると、悠李はこちらに走って来ている。


 来てはいけない。そう口にする時間もないのだと悟り、花凛は後悔を胸に瞳を閉じた。



 瞬間。



 暴風。



 舞い上がる風の渦の中、花凛は強く瞼を閉じたままだった。


 何かに抱えられた。しかし、されるがままに花凛は身動きをとらない。


 重力の流れ、そして静止。


 状況がわからず花凛は委縮したまま沈黙を守った。




「よぉ、大丈夫か?」




 聞き覚えのない声音に、花凛は瞼を開く。


 そこには男が立っていた。



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