一先ずの終焉と新たな始まり
五月雨の剣戟の中、俺は冷静に一つ一つの流れを視界に入れた。
地面に伝わる振動を足裏から感じ、それは獅子の白刃によるものだと理解した。いい加減、何度地面を抉ったのか数えきれない。
俺は、身体を回転させながら獅子の攻撃を回避した所だった。
大剣が生み出す副産物の風は、俺の伸ばしっぱなしになった髪を巻き上げる。腰付近まで垂れた黒髪は、逆立ち、俺の首筋まで刺激を伝播させる。
一瞬の隙を見逃さず、俺は長剣を、獅子の頭上に向けて力の限り振り払う。だが、獅子は俺の意思を読んでいたらしく、始動と共に、姿勢を低くした。
だが、俺も読んでいる。右手だけで振るった長剣はそのまま右方に流れる。その中で、左手は腰から長剣の軌道を追う。手には短剣。切っ先を真っ直ぐ獅子の首筋に向けた。
「シッ!」
鋭い呼気と共に、刃光は寸分の狂いなく直線を描く。
先の長剣の攻撃を回避するため一瞬、獅子の低姿勢の状態は硬直していた。だが、獣の速度で短剣の攻撃を、半身を起こすことで回避した。しかしさすがに強引な躱し方だったのかほんの少しだけ、頬を削った。
それでも一撃目を屈んで避け、二撃目を、背を反り避けたのだ。その反応速度に俺は目を疑った。
慣性のままに俺の身体はその場でコマのように回る。
獅子は大剣をその場で振り上げる心づもりらしい。そうなれば俺の右手、左手の肘から先は吹き飛ぶだろう。
俺は刹那的な時間の中で瞬時に判断する。
半ば無意識、俺は真横に振っていた腕を、腰を落とし肩を入れることで強引に斜めに軌道を変える。
同時に、地面を蹴りその場で側宙し、両手で大剣の刀身に長剣と短剣の刀身を重ねた。逆立ちした体勢だ。
瞬間的に獅子が鉄塊を振り上げた。ほぼ同時に俺は刀身の根元を、大剣に接地させて体重を移動。膂力を、時期を見て加え、バランスをとった。
そのまま空中に飛びあがった俺は、空中で体勢を整え、腰からナイフを取り出し投擲。獅子は軽々と手のひらで弾くと、柄を片手に持ち替えた。
大剣を振り上げた状態から、片足を起点に回転しつつ、横一文字。当然、落下中の俺には逃げる場所はない。
「ヒュッ!」
滑る大剣の軌道を読み、触れる数瞬前、俺は長剣を両手で持ち、全力で振り下す。僅かに落下速度が和らぐと、俺は前方斜めに体重を移動し、宙で回転した。
前方宙返り中、頭頂部ぎりぎりの距離を大剣が流れる。ブワッと心地いい風音を生んだ。
俺は勢いのままに踵を獅子へと落とす。だが、獅子は左手を払うだけで俺の攻撃をいなした。
「ちっ!」
体勢を崩した俺は、一旦地面に下りようとしたが、目論見は覆される。
地面に届く前に、俺の身体は宙で停止した。足元を見ると、獅子が俺の足首を掴んでいた。どんな腕力だよ、こいつは。
「え、えと、手加減してくれる?」
獅子はそのまま、俺を振りかぶって投げた。
真横ならばまだよかった、地面に向けて斜めに放られたおかげで、受け身が満足にとれず、俺は地面に背中を打ちつけ、そのままゴロゴロと転がった。
「が、はっ……ってぇ、な、くっ!」
毎度、背中を打っている気がする。痛みには慣れたが、できるなら回避したい。
息を整える暇もなく、獅子の猛攻は続く。
俺へと疾走し、大剣を縦横無尽に繰り出す。俺は長剣でなんとか受け流すが、背中の走る痛みが邪魔をした。
どうやら肩甲骨にヒビが入っているらしい。
全快でも厳しいのに、こんな状態なら満足に防御できるはずもない。
「くっ!?」
痛みによる一瞬の油断。剣ごとかち上げられ、俺の両手は上方へと弾かれた。まるで降参の意を表しているようだった。それは数秒後に現実となる。
俺は壁に叩きつけられた。回し蹴りで吹き飛ばされたようだ。
「ぎっ、が!」
意識が混濁する。痛みと怒りと諦めがないまぜになる、俺はその場で地に付し、意識を失った。
●●
「あちこちがいてぇ……」
目を覚ますと、獅子は定位置に戻っていた。相変わらず涼しい顔をしている。
今日も負けだ。百二十一戦、〇勝、百二十一敗。
しかし、かすり傷は与えた。最初の頃と比べると大進歩だ。体力も十分だし、身体能力も対応できるくらいには向上している。体格も成長しているので、膂力も上昇中だ。痩躯だったが、今はかなり筋力もついた。無駄に頑丈にもなった。
175センチだった身体は181センチ程度に伸びた。ついでに髪も伸びた。面倒なので伸ばしっぱなしだ。どうせ伸びるからな。
この階層で足踏みをして早二年。メシュテリアに転移してから二年と半年程度が経過している。ほぼ毎日鍛練し、獅子と戦い、怪我をしたら休息。そしてまた鍛練、という日々を送っているがまだ勝利していない。
「やれやれ、どうしたら勝てるんだろうな」
俺は軽快に立ち上がり、獅子に近づいた。
「お疲れさん、レオン」
挨拶しても返答はない。ただ、敵意がなければ獅子は攻撃して来ない。無理やり背後の扉へ向かっても攻撃して来るけど。
俺は獅子にレオンと名付けた。獅子だと味気ないからだ。
最初は俺を邪魔する魔物だという認識のため、敵愾心が強かった。
今となっては日々の鍛錬に付き合って貰っているという意識が強く、俺はどこか親近感を抱いていた。レオンは俺の態度に対し、興味がないのか特に反応はない。たまに半眼で俺を見るくらいだ。
最初に感じていた見下すような視線はない。というか、多分俺が勝手に勘違いしていただけだ。負かされた相手に対して鬱屈した感情をぶつけていたんだろう。
ただ、レオンを倒さないとここは通れない。倒すといっても、殺すつもりはない。なんせ、レオンが本気を出していれば、俺は既に百回以上死んでいるのだから。
魔物と人間、門番と探索者、その間に、殺生という要素を除外したからこそ、奇妙な関係性ができあがっていた。
最近は多少、勝てるという手ごたえが垣間見える。だから、爽快な気分でいられるのかも。それに自分が強くなる感覚というのは、言いようのない快感を得られる。スポーツ選手、格闘家の気持ちがわかった気がした。
俺はレオンに手を振り、階下へ降りた。
「また、負けたのだな」
呆れ顔でエミルが迎えてくれた。二年が経過しても、彼女の見た目は変わらない。精霊だから成長しないのは当然なのだが。
「ご名答。こてんぱんにやられた。背中が痛い」
このやり取りも毎度のことだ。エミルはやれやれと肩を竦めるが、どこか安堵したような顔をする。彼女は長い間、ずっと一人だったのだ。その心情を慮ると、理由は自ずとわかった。
ただ、俺はエミルを放置する気はないし、むしろこの階層を拠点にするつもりだ。それは今後、上階へ向かったとしても変わらない。それは彼女にも伝えてあるのだが、どうもそれはそれこれはこれ、みたいな心情らしい。
「見せてみぃ」
俺はその場に座り込み、シャツを脱いで、上半身裸になると、背中をエミルに向けた。
「打撲だの。骨は……問題ない。数日休めば問題なかろう」
「そうか、そりゃよかった」
「お主、体つきが変わったの。背も伸びたし、顔つきも変わった。もう少年とは言えんの」
「お褒めに与り光栄だよ」
俺はシャツを着直した。
今の装備は七分袖のシャツとジーパン。ブーツに長剣、小剣、短剣という簡素な格好だ。背が伸びて、体格が変わった分、細身の服は着られなくなった。
そのため、ある程度サイズに余裕のある服しか着られない。自分でできる範囲で、縫い直したりはしているが限界があった。
迷宮内の気温は低いが、戦いに赴くのであれば薄着でも問題はない。
レオンを倒した後は、厚着が必要だが今は軽装だ。
「しかし、この髪は野暮ったくないかの? 戦いにも邪魔であろ? せめて括った方がいいのではないか?」
エミルは俺の髪をクイクイと引っ張ると苦笑を浮かべた。
一応前髪だけは適当に切っているが、それ以外は伸びっぱなし。背中まで伸びた髪は自由に揺らいでいる。
「確かにそうだな……紐で括るか」
「ま、待て。じ、実はだな、その、妾が持っておる! というか作れるのだ。よ、よければやってもよいぞ?」
エミルは目を白黒させて、動揺を隠そうともせずに上ずった声を発した。
俺はエミルの表情を見て、笑みをこぼした。わかりやすい奴だ。それだけに好感が持てるし、ここ二年、共に過ごせてもいるのだろう。時間が俺達の関係をより深くした。けれどそれは一線をきっちりと引いた上での話だ。
彼女は俺を小僧、お主と呼び、一定の距離を保った。
俺は俺でここから脱出するという目的と、彼女が精霊であるという事実からエミル同様に距離感を作った。不安定な関係性の中、互いに互いの存在を望んでいるという思いが絡んでいる。
まあ、胸は見るけど。ばれないようにね。
「おお、そうか。じゃあ、貰おうかな」
「うむ。ではじっとしておれ」
エミルが俺の後ろに立った。すると、強い発光が背後で起こり、周囲を白く照らした。青蝋燭の光は弱く、それを塗り潰す何かの光に、俺は一瞬驚くが、振り向くことはなかった。
ふわっと髪が持ち上げられ、首後ろが空気に触れる。僅かに引っ張られる後ろ髪。後頭部に違和感が強くなると、ポンッと肩を叩かれた。
「終わったぞ。水面で見るといい」
言われて、頭に手を持っていくと、紐らしきものが巻き付いていた。何か野武士とかこういう髪型にしていたような。まあ、いいか。
泉の水面を覗くと、綺麗に結われていた。野暮ったさはかなり軽減されている。
「それは、妾の魔力で編んだものだ。かなり頑丈での、簡単には解けん。お主自身であれ解けるがの。ま、それだけだが」
「へぇ、便利だな」
「うむ。戦闘中だと普通の紐だと解ける可能性があるからの。感謝するがよい!」
「ああ、ありがとう、嬉しいよ」
俺はエミルの頭を撫でる。
彼女は唇を尖らせ明後日の方向を見ているが、逃げる気はない。いつものことだ。
俺の髪が伸びたのを見て、プレゼントを思い立ったのだろう。エミルの気遣いが嬉しかった。
「しかし、このまま獅子とやらに戦いを挑み続けるのか?」
「そのつもりだ。まあ、勝てるかもって思う時もあるし、その内、何とかなるだろ」
「なんとも、楽観的だの」
「でなけりゃ、人間やってらんねぇよ」
真面目な人間ほど精神を病みやすいとはよく言うもの。ある程度、適当で、適度に力を抜いて楽観的にならないと身が持たない。
それに、エミルとリュウがいるおかげでこの生活ができている。感謝しなくてはならない。
「そういえば、あやつはどこなのだ?」
「リュウか? 家にいるぞ。最近は寝てばかりなんだ」
「そうか。ふむ、あやつ、魔物とは違うようだが、何なのであろうな。精霊である妾は庭園に入れぬのに、奴は入れる。妙に賢いしのぉ」
「俺も色々考えたけど、答えは出なかった。まあ、リュウはリュウだろ。別に気にしなくていいかと思うけどな」
「……お主が言うなら」
エミルはまだ気にした風だったが、それ以上何か言うつもりはないようで閉口した。
俺は何となく天井を見上げて、この数年の日々を思い出した。
色々なことがあった。そしてこれからもそれは変わらないだろう。辛いことも嬉しいことも、すべてが今の俺に繋がっている。生きるために生きている毎日の中、俺は過去の自分よりも成長している実感があった。
環境は最悪だ。なのに、今の方が幸せだと思っている。
人間、よくわからないものだ。
もしかしたら多少なりとも不幸で不便な方が楽しいのかもしれない。裕福よりも貧乏な方が些末なことで幸福を得られるだろう。どちらが幸せかは断言できないが、俺は恵まれすぎていると堕落するタイプらしい。
ふと思い出す。日本のみんなはどうしているだろうか、と。
両親は失踪届を出しているだろうか。学校は、多分もう俺のことを忘れている奴らだけだろう。別に構わない。
それだけ誰かの心に残ろうとしたことはなかったのだから。俺は適当に生きて、日々をとりあえず過ごしただけだったのだから。
そこまで考えた時、突然地面が揺れた。
ゴンッ、と大音量で聞こえ、震動が強くなる。
「ひいぅ!? な、なな、なんだ!?」
エミルは狼狽しあたふたとしていた。
「動くな!」
俺はエミルを抱きしめた。落石が起きた時を考え、天井を見上げながら震動が収まるのを待った。しばらくすると、徐々に弱まり、次第に揺れは収まった。
「何だったんだ……?」
「あ、あのな、こ、小僧、わ、妾を離してはくれんかの……?」
言われて、腕の中を見ると、顔を紅潮させたエミルがいた。
一瞬、理解ができなかったが、すぐに把握した俺は、慌てて手を離した。
「わ、悪いッ!」
「い、いや、気にするでない。その、う、嬉しかった」
こういうことを言うのはやめて欲しい。突然、心臓が破裂しそうになる。
柄にもなく俺は体温が上がるのを感じた。互いに、視線を合わせて、反射的に逸らした。
動揺している中、影が見えた。リュウだ。
「ど、どうした?」
リュウはきょろきょろと周辺を見渡し、俺の隣にちょこんと座った。この二年でリュウも成長した。体長は一メートル程度。横幅も同様に成長し、愛玩動物のような愛らしさは薄れたが、代わりに野生動物の逞しさが備わっている。
揺れが収まったと思ったら、ギィと扉が開く音が聞こえた。
耳慣れた音だが、俺以外の誰が開閉しているのかという疑問が残る。俺は見上げ、階段を下りる足音の主を見た。
「お、おい、どういうことだ、レオンがなぜ」
獅子、レオンが階段を下りて来ていた。まさか、俺を狙って? だが、なぜ今更?
俺は思考が定まらないままに、エミルを背後に隠し、警戒した。何が起こってる? こんなことは今までなかったのに。
レオンは泉の近くまで来ると、俺を見据えた。そして自分の背中を指差し、そして顎で階上を差した。これはどういう意味かと思っていたら、エミルがおずおずと口火を切った。
「に、荷物を持って来い、と言っておるのではないか?」
「荷物……? 探索用の?」
「お、恐らく」
俺は意図が掴めないまま、自宅に戻り、鞄に食料や衣服など探索に必要なものをすべて用意した。装備も盤石だ。拳銃は持ち歩かないようにしている。段数の少なさが理由だ。
コートを着て、遠出も可能なようにした。
泉の間に戻り、エミルと再び合流する。
「あやつ、何か知っておる様子だった。もしかしたらそのまま階上へ行くのかもしれんな」
「そうだろうな。なんで今なのか、どういう心境の変化があったのかはわからねぇけど」
「あるいは……あるいは決まっておったのやもしれん」
「どういう意味だ?」
「いや、すまん。ただの思い付きだ。なあに、ここまでやってきたお主だ。多少の試練は軽々とこなすであろ。何があろうと、小僧ならば大丈夫」
「そうだといいな。じゃあ、行ってくる」
「ああ、行ってらっしゃい」
俺はエミルに手を振り、リュウと共に上階へ向かった。
彼女の寂しそうな表情が印象的だったが、今生の別れではない。ここに必ず帰ってくる、そう決意してレオンの待つ扉前へと向かった。
いつもはレオンが立ちはだかる巨大な門だったが、今日は遮る者はいない。レオンは扉横に立ち、俺の姿を見つけると、悠然と扉へ向かい開けた。
ゴゴッと重厚な音を漏らし、巨大な扉は開く。震動を伴い、地面を削りつつ、開かれた扉の先へ俺は踏み出した。リュウは俺の横に、レオンも同様に俺の横に並んだ。どうやら、こいつもついて来るらしい。
人は俺だけというなんともユニークなパーティーになってしまった。
レオンは何を考えているのか。言葉を紡いでも彼には届かない。ならば信じるしかないだろう。この二年が俺の勘違いでなかったと。
何が待ち受けるのか、その正体も知らずに、無謀にも俺達は進んだ。




