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物語の世界のように

 白魔女がいなくなって一週間。エミルは日毎に膨らむ感情を持て余していた。


「暇だっ! 暇すぎるっ!」


 見慣れた光景は新鮮さを微塵も生み出さない。最早、目を閉じても三階層を歩き回ることもできそうだ。白魔女が去ったことで魔物も生まれなくなった。


 無音の空間。その中で音を発するのは自然か自分だけ。


 生き物は庭園にいるようだ。白魔女が狩猟したりしていたが、絶滅しないように配慮していたようだった。なるほど、生物との共存とは中々に思慮が必要なのだと思ったものだ。


 白魔女が訪れ、この地に根を張った数ヶ月、会話をしたり、白魔女の行動を見守ったり、魔物退治を手伝ったりもした。


 戦闘に特化した精霊ではないので、精々が灯り担当だったが、それでも協力関係というのは思いの外、充実感があった。


 それらは白魔女がいてこそ成り立ったもので、一人になってからはそれもない。


 暇だ。やることがない。やるべきことも、やりたいこともない。


 そも、白魔女がいた時も、エミルから何かしたいと言ったことはない。白魔女がこうしたい、こうしようと思う、という言葉を発端にエミルが手を貸したり、関わったりしただけだ。エミルには何かしたいという欲求はあまりなかった。


「恋、などと……一人でできぬではないか」


 こんなのは白魔女の戯言だ。しかし、妙に耳に残った。エミルはその言葉を反芻すると、気分が重くなる気がして、頭の中を一度空っぽにした。


 今は、暇をつぶすということが生きる目的に近い。無価値な生き方だと自身でも理解していたが精霊とはそういうものだとエミルは思い込んでいた。


 結局、白魔女と出会う前と同じように、ぼーっとしたり、しりとりのような一人遊びに興じることで時間を費やす日々が続いた。


   ●●


 白魔女がいなくなって二週間。


 次第に、エミルの心境に変化が訪れる。抱いたことのない感情に、彼女は戸惑い、動悸が激しくなった。


 寂しい、と思い始めていたのだ。


 精霊であるエミルには人間と同じような生理現象はない。食事も睡眠も必要ない。それらの欲求がないということは逆に飢餓感からの解放による快感もないということ。それは本来、生を実感する、幸福を蓄積する行為の一つだ。


 精霊には多幸感は必要ない。彼女達は精神を病んだりしないし、肉体も老化しない。死ぬ時は一瞬で、それなりの前兆はあるが、人間のように徐々に衰弱したり病気で死んだりするわけではない。


 そんな精霊である彼女が、寂しいと感じたのは別段、特殊な例でもない。精霊には感情がある。起伏は緩やかだが、人間と同様の感情を全て備えている。


 そしてそれは個々によって違う。エミルは他の精霊に比べて感情的な一面を色濃く持っていた。


 誰かと共に過ごすという楽しさ、面白さ、煩わしさ、面倒臭さ、正と負の感情を知ったエミルは、白魔女が去ったことで、それらの感情をすべて失った


 。その反動で、寂しいという感情を抱いてしまう。知らなければこんな感情は抱かなかったかもしれない。だが、もう遅かった。


 なるほど、白魔女の言葉は正しかった。彼女を名前で呼ばなかった理由がエミルにもよくわからなかったが、今に至って、明確になっていく。


 それは、白魔女を確固とした思い出にしたくなかったからだ。

 自分の中で大きな存在にしたくなかったからだ。


 ふとした出会い、すれ違う程度で、思い出せばそういうこともあったな程度の関係性でいたかった。失った時の反動をエミルは危惧していたのだ。


 曖昧であれば、今のような喪失感は抱かない。

 そんな軽率な浅慮の上で、白魔女と呼称した。

 それもあまり意味をなさなかったが、それでもエミルは決して名前で呼ぶことはしない。それは今後も変わらないだろう。


 しかし、すでに感情はどうにもならない。思いは膨らむばかりだった。



 寂しい。誰かと話したい。



 そんな欲望は次第に増大し、やがて別の感情が浮かぶ。

 現状への不満、疑問、理由の不明瞭さ、そして苛立ち。


 一定時間感情が膨らむと別の感情、という風に連綿と続く負の連鎖の中で、エミルは苛立ちの吐口を見つけられずにいた。


 泉で待っていても誰もこない。一人で何かするのも、もう限界だった。


「誰かおらんのかあ!? 誰でもいい、この際、魔物でも構わんぞぉ!」


 感情のままに叫んでみたり、走り回ったりもした。しかし誰もいない。庭園にも入れず、小動物と戯れることさえ許されていない。


 階段部屋の扉を押しても、階下へ向かう扉を引いても、動かず、閉じ込められているという事実を見せつけられるだけ。


 そうやって衝動的に行動して、諦め、泉でぼーっとするという日々が続いた。


   ●●


「むっ、そうだ!」


 ある日、エミルは妙案が浮かんだことで、瞳をキラキラと輝かせた。

 泉の水面に浮かんでいた身体を持ち上げて、そそくさと部屋を出た。


 迷いなく進んだ先には宝箱があった。これは白魔女が作ったものだ。


 他にも意味のない仕掛けを庭園に造ったらしい。

 なぜかと聞いた時、白魔女は『次にここを訪れた人間のためさ』と楽しそうに答えた。当初は、その意味はよくわからなかったが、今なら少しわかる。


 魔物と薄暗い環境、その中で探索者は絶望の中に希望を見出す。


 それが宝箱だったり、謎解きだったりするのだ。明らかに人為的だが、それでも高揚感はあるだろう。金銀財宝を用意できはしないが、せめて遊び心をくすぐるような仕掛けを作ってやろうではないか。


 試行錯誤した結果、簡単な謎解きの末、自分が登場するという演出を思いついた。


 さして難しい文言ではない。これならば、多少考えれば答えに行きつくだろう。そう思い、宝箱の底に白魔女が置いて行った羊皮紙を入れようとして思いとどまった。


「白魔女のように、突然声をかけられたり大声を出されたりしてはたまらんな」


 末尾に『言霊は不幸をもたらす』と追記した。これで声を出さないようにするだろう。


 エミルは、にひひっと、ほくそ笑むと仕掛け終えた。

 今日は久しぶりに楽しく時間を過ごせた。


 明日からはどうしよう?


 今後を考えると不安が押し寄せた。エミルは何度も頭をぶんぶんと振り、後ろ向きな感情を取っ払った。


   ●●


 数年が経過した。誰もこなかった。白魔女はどうしたのかとふと思った。彼女には、迷宮内で別の泉を見つけたなら水を満たして欲しいと頼んでいたのだが。


 しかし、その考えも静寂な時間の中に消えた。


   ●●

 

 薄手の服だと、露出が激しいかもしれないと思い始め、作り直した。一日は時間を潰せた。少し嬉しかったが、すぐに意気消沈した。


   ●●


 足音が聞こえた気がして、階層を走り回ったが、誰もいなかった。

 落胆し、泉に戻るとまた聞こえて、走り回った。


 幻聴だと気づいてからは、無駄なことをしないようにした。何か聞こえたら、慎重に耳をすますようにした。それからは足音らしきものは聞こえなくなった。


   ●●

 

 更に数年が経過した。誰もこなかった。


   ●●


「寂しい……」


 言葉に出してみたら、余計に寂しくなった。


 他の精霊はこんなに寂しい思いをしているんだろうか。それとも自分の環境が特殊なんだろうか。生態はなんとなくわかるけど、自分が特殊なのかどうかは判別がつかない。


「寂しい」


 もう一度言ってみた。生まれて初めて涙が出た。


   ●●


 暇つぶしに、日数を計算していたが、今日で十年目らしい。喜びは一切なく、感慨もなく、エミルは今日も泉で浮かぶ。


 人間の世界には牢獄というものがあるという知識があった。自分の状況も同じようなものかもしれない。


 白魔女との会話の中に、児童文学で塔に閉じ込められた姫様が王子様に助けて貰うという物語があった。

 なんとも都合がいいな、と思ったが羨ましいという感想も抱いた。


 しかし彼女はまだいい。何故なら、窓があったからだ。外の様子が見えるだけ幾分か気分は和らぐはずだ。


 空、海、大地それらは広大で端から端まで目視できないらしい。太陽は光を生みだし、夜には姿を隠す。本当にそんなことがあるのか、信じられなかった。


 人間に生まれればこんなことはなかったのかと、生まれの不幸を呪い始めた。これも精霊として当然の感情なのだろうか。


 水に浮かび続けていると、肉体も自我も融解しこの世から消失してしまいそうな錯覚を抱いた。それもいいか、と思いながらもそれは叶えられない願いなのだと気づく。


 人間は自殺することもあるという。少しだけ理解できた。


 けれど、人間達の考えとは厳密には違うかもしれない。絶望しているというよりは、この時間の無価値さに命を終える方が建設的だと思っているからだ。


 ただ、寂寞感は消えず、膨らむばかりだった。

 

   ●●

 

 十五年目。誕生部おめでとう、と人間らしい言葉を言ってみた。何も起こらなかった。


   ●●


 十七年と数ヶ月が過ぎた。

 エミルが、もし人間だったら発狂していただろうが、彼女は精霊。精神的に狂うこともなく、肉体的な衰弱もなく漫然と生を過ごすだけだった。


 五感も鈍麻し、僅かな刺激には反応さえしない。

 水に溶ける自分を想像し、ひたすらに時間を過ごすだけだ。


 エミルの瞳に光はない。失われた感情の波は、決して流れない。無だ。十七年以上の時間の中、彼女の感情は希薄になり、意識も同様だった。


 そんな中、小さな違和感が彼女に届いた。


 音。足音のような音だ。けれど水音以外の鼓膜への刺激は久しぶりで、エミルは勘違いだと思い込んだ。


 数回、耳朶に届く大気の震動を受け、ようやくエミルは訝しがった。


「な、んだ?」


 久しぶりに声を出したせいで、枯れていた。

 半身を起こし、再び静寂の中、じっと耳に神経を集中した。



 コツコツ。



 それは間違いなく、足音だった。仮に壁が崩れて、石が転がったのならもっと不規則だ。だが、この音には意思を感じる。


「に、人間、なのか?」


 いや、待て。早合点するな。まだ決まったわけではない。ぬか喜びは勘弁だ。そう思いながらも、エミルは思わず笑みがこぼれた。


 視界が色づき始める。眠っていた感情が強引にたたき起こされた。

 先ほどまでの様子が嘘のように、感情的になり、狼狽し、喜色を抑えきれない。


「おおおお、お、落ち着け! 落ち着くのだ!」


 久しぶりの来訪者だ。白魔女の時のような失態はしたくない。そうだ! そう言えば、探索者が訪れた時のために用意した仕掛けがあったではないか。


 エミルは自身の先見性に感嘆を禁じ得ない。


 順序が重要だ。

 まず、人間はこの階層を探索するだろう。

 先にここへ来たとしても、階層の隅々を調べるだろうから問題ない。


 ならば、一度隠れて、泉から水を抜いておこう。

 そうしないと、視覚的な効果が弱いからだ。庭園の仕掛けはただの出っ張りだが、音はここまで響く。それを合図に水を流せばいいだろう。


 エミルは脳内で色々と策を練った。


 うきうきしながらも、どんな人間なのかという不安も感じていた。だが、一人でいた寂しさに比べれば、多少性格の曲がった人間でも構わない。


 とにかく話すことさえできればいい。それで満足だった。


 泉は、エミルの手によって完全に水気をなくした。別に水がなくなろうと、一度満たされた泉であれば力の減退はない。つまり、水があろうがなかろうが関係ない。ただの見映えだ。


 エミルは姿を消して探索者を待った。


 彼女に与えられた能力はそう多くない。


 泉の水を操作する、水属性の魔術に近い形態の能力だ。特殊なのは水が光を発する魔術、魔力を使い衣服のような物質を構成する魔術、泉間移動の魔術、そして自身の姿を隠す魔術だ。


 特殊ではあるが、大して役に立たないと本人は思っている。魔力が少ないため他者に使えないので、対象は自分だけだ。


 他の泉を解放した時、彼女の力は増大するが、実際どうなるかはよくわかっていない。



 閑話休題。



 エミルは息を殺し、噴水の中で、じっと訪問者を待った。

 遠くでガコッと重低音が聞こえると、水瓶から水を流し、噴水内に水を満たした。



 来た、来た!



 ドキドキと心臓が高鳴り、イヤでも高揚感を自覚させられる。久しぶりなのだ。変化のない日々が変わったのは。期待するなという方が無理がある。


 どんな人だろうか。男? 女? どんな性格? 温厚か、粗暴か。見た目はどうだろうか。優男か、華奢な女か。筋骨隆々だったりして。一人なのか。それとも複数? 仲良くなれるだろうか。敵対したくはないが、もしかして、こんな仕掛けは神経を逆なでするだけで、喜んでくれないのではないか。


 今更になって、不安になってきた。今ならまだ間に合う。中止して、普通に登場してはどうか。友好的に接することが肝要なのでは。


 色々と考えていたエミルは気配に気づかなかった。


 すでに来訪者は部屋に足を踏み入れており、青蝋燭に火を灯していた。

 ふと正面を見ると、人影が立っていた。


 見目は若い。子供と言っていいだろう。顔はやや整っているが、今は緊張で歪んでいる。頼りなさはあまりない。年齢不相応の熟練差を感じた。


 彼は腕を組み、佇んでいた。


 見たことのない衣服を着ている。外国とやらの生まれらしい。エミルの知っている人間とは多少、目鼻立ちが違う。


 一人らしい。となると、ここまで自力で登って来たのだ。それだけでそれなりの手練れだとわかる。そして勇敢であることも兼ね備えているはずだ。白魔女のように得体の知れない威圧感はない。そのおかげで人間だという確信を抱かせてくれた。


 エミルは呆然と少年を観察した。彼は白魔女とは違う。男であるということに気づき、戸惑った。女とはこうも違うものなのかと驚愕した。


 まるで塔に閉じ込められた姫が自分で、この少年が王子なのではないかと思える状況だった。それは愚かな夢想であると思いつつも、エミルは心臓がとくんと鳴る音を聞いた。


 見惚れていたとは気づかない。エミルは呆然とただ少年を見ていた。そんな中、自分が姿を隠していることに気づいた。


 科白は決めてなかったけど、ここまで来たら場の流れに乗って行こう、と内心で決め、泉の中から立ち上がると同時に姿を現した。


「ふざけんなァァァー!」

「ひゃうぅゥゥ!?」


 突然、叫ばれてエミルはその場に座り込んでしまう。


 別の驚きが互いの顔に浮かぶ。片方は怯え、片方は憤っていた。しかし、双方が抱いていた思いはまったく同じだった。



 それが彼との出会いだった。



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