異変はそこから始まった
間宮花凛はアラームの音で目を覚ました。
枕元に手を伸ばすと、スマホを手に取り時刻を確認する。午前七時三十分だった。
上半身を起こして背中を伸ばす。
「んっ、んんーーっ! ふぅ」
ググッと凝り固まった身体が解されていく。
花凛は朝が嫌いだったが、眠気に勝てるくらいには得意だ。寝起きは良い方だろう。それに学校をサボる勇気は彼女にはなかったため寝坊したことはない。
部屋はパステル調の家具に彩られている。
ぬいぐるみや丸みがある小物、可愛らしい雑貨が並んでいる。女の子らしい部屋の造りだったが、それは個性に欠けているということでもあった。
花凛は毛布から抜け出て、パジャマから制服に着替え、身なりを整えた。
姿見に映る自分の姿を見る。
足元から頭頂部までじっくり観察して、頷いた。いつも通りだ。
代わり映えしない分、悪くもない外見。
目立ちもしないし、影が薄くもない。長くも短くもなく、中途半端に染めた髪。胸の大きさも平均的、背も同様。
どこにでもいる女子高生だ。
十月に入り、すでに冬服に衣替えしている。気温はまだ微妙に高いが問題はない。
特徴がない容姿だよね、と花凛は自嘲気味に笑った。
花凛は鞄を持ち、部屋を出て階下へと降りる。洗面所で歯磨きをして、洗顔と軽く手入れをした。次にリビングに入ると、すでに両親と妹がテーブルについていた。
「おはよっ、お姉ちゃんっ」
元気一杯にはつらつとしている妹、悠李を前に、花凛は隠そうともせず不快そうに眉を顰めた。
平均的な容姿の花凛に比べ、悠李はかなり整っている顔立ちをしている。やや丸顔で幼い印象が強いが、間違いなく美少女といって差障りないだろう。
ふにゃっとした表情を見れば、同性も異性も庇護欲をそそられる。
髪質も柔らかく、自然にふんわりとしている。
誰しも触りたいという衝動に駆られるだろう。唯一の欠点は胸が小さいことくらいだが、それも数年経てば成長するに違いない。
花凛はそんな個性と魅力の塊である妹が気に食わない。その上、性格がいいなんて、天は二物を与えるのだと思い知らされた。
妹を横目で見て、素っ気なく答える。
「おはよ」
そそくさと挨拶をして、椅子に座る。
悠李は花凛の態度を見ても、嬉しそうににこにことしているだけだ。かなり冷たい対応だったが、妹には通じない。花凛は妹のそんな姿を見ると、内心苛立ってしまう。
しかし朝から嫌味ったらしく話せば両親に咎められることは目に見えている。辟易とした心を押し黙らせて、パンとサラダをさっさと飲み込み、牛乳を一気飲みすると食事を終えた。
「ごちそうさま」
「ま、まっふぇ、お姉ちゃんっ!」
「花凛、悠李を待ってあげなさい。お姉ちゃんでしょ」
花凛は妹を無視して、さっさとリビングを出ようとしたが、母に止められてしまう。
定例になっている、定番の文句を受けて、花凛は余計に苛立った。
花凛は母親に似ている。それは容姿だけでなく内面も、だ。
特別優秀でもなく、専業主婦をしており、優秀な父のおかげで多少裕福な家庭を築けていることに気づいていない。
普通なのに自分は特別だと勘違いしているタイプだ。
近所の奥様方に父の仕事先、収入、子供、家庭のことを自慢する、そんな性格だ、と花凛は評価していた。
だから、妹を世話しろという。姉なのだから、という大した理由もないのに押し付ける。そんな典型的な思考停止の親だ。
花凛は、なんとなく自分も将来、結婚相手の条件を高く見積もることで、自分の存在価値を高くすることに躍起になってしまうのかな、と思っていた。
「ご、ごめんなさい、待たせちゃって」
どうやら考え事をしていたらしい。
我に返ると妹が申し訳なさそうにしながら花凛を見上げていた。気を遣っているのが明確に伝わる。その微妙に卑屈な態度も気に入らなかった。
花凛はこれ見よがしに嘆息すると、玄関で靴を履き、外に出た。
悠李は靴を履くだけなのにもたもたしている。行動が遅く、行動が鈍い妹を見るだけで、ストレスが溜まってしまう。
花凛は妹を置いて、通学路を歩いた。
「あっ、おはようございますっ!」
後方で妹の声が聞こえ、思わず振り向いた。しかし、すぐに後悔した。
最近、苛立っている原因その二がそこにいた。隣人で同級生の男子だ。名前は、なんだっけ、覚えてない。覚える気もないけどね、と花凛は内心で深い溜息を漏らす。
部屋の窓からたまに少年の姿が見える。
運が悪いことに、私室の正面に彼の部屋があるらしい。
日が昇っている間は、カーテンを閉めるわけにはいかないので我慢しているが、たまに目が合うことがあり、その度に不快だった。
同じクラスの仲良くもない男子が隣に住んでいるのだ。今まではクラスが違っていたし接点がなかったのでよかったが、今年は同じクラスになってしまった。
その上、別段イケメンでもないし、人気があるわけでもない。
むしろ影が薄く、魅力はまったくない男子だ。
そんな男子と仲が良いとか勘ぐられてはたまらない。
隣に住んでいるなんて知られたら変な噂が流れる可能性もある。だから必要以上に忌避しているし、近づくなという空気を出している。
彼は間違いなく自分に好意を持っている、と花凛は確信していた。
自意識過剰だとは思わない。
どちらかと言えば、慎重派だし、普段男子から好意を持たれていることに気づかないことばかりだった。
数人に告白されたこともあるが、え? そんな様子なかったよね、と思うことしかなかったほどだ。だが、今回に至っては間違いないと思っている。
今もちらちらとこちらを見ているし、普段もよく視線を感じる。話しかけられたこともあった。
第一声で好意があるかどうか結構わかることもある、とその時、始めて知った。それ以来、大概は無視している。そうでなくとも、隣人というデメリットがあるのだから、話したくはない。
男子はへらへらと笑い、悠李に挨拶し、何やら話していたが、花凛は無視して先を急いだ。
「ま、待ってよぉ」
悠李は小走りで花凛の隣に並んだ。
別に一緒に歩かなくていいのに、と思いつつも悠李に悪態は吐かない。
一々、文句を言っても疲れるし、何を言っても妹はへこたれない。
一人で登校しろと言っても無駄なのだ。
きっと、妹はちょっとおかしい、と花凛は思っていた。
冷たく接してもいつもニコニコしているし、距離をとろうともしない。最近ではできるだけ無視するようにしている。
「私じゃなくて、あの男子と一緒に行けば?」
「わ、わたしはおねぇちゃんと行きたいんだっ」
「そ」
会話は終わりとばかりに素っ気なく返答した。しかし悠李は諦めず、会話を続けた。
「え、えと、あの人、いつも挨拶してくれて優しいんだよ」
「ふーん。何、好きなの?」
「えぇ!? ち、違うよっ!」
まあ、そりゃそうか、と花凛は即座に納得した。
「あんたならもっと良い男を捕まえられるもんね」
「そ、そんなことないよっ。そ、それにあの人はその、いい人だよっ?」
これが中途半端なフォローなのか、それとも好意的な感情から出た言葉なのか判ずるには情報が少なかった。
しかし花凛にとってはどうでもいいことだったため、すぐに考えを止めた。
返答することさえ億劫になった花凛は、すたすたと歩く。その隣を悠李が歩調を合わせて並んでいる。いつもの光景だ。居心地は互いに悪い。なのに毎日続いている。
生徒達の登校姿が目に入る。
住宅街を抜け、商店街前を通り、坂道を上ると東桜花大学付属高等学校が見える。中学校も隣り合って建っている。悠李はそこの中学三年生だ。
花凛は高校二年、進学に向けて勉学に励まなければならない時期だが、偏差値が高い大学を受ける気もない彼女にとっては、適度な勉強で十分だった。
校門を抜けた後、悠李と別れた。
学校二階、二―C。そこが花凛の教室だ。中に入ると、すでに生徒の大半が揃っていた。
席について鞄を置くと一息ついた。まだHRまで時間があった。
「おーっす」
花凛の友人、中条巴が嫌味なんて微塵もない笑みを浮かべて、挨拶して来た。
短髪黒髪、明朗快活で典型的なスポーツ少女だ。
空手をしているのに筋肉質ではなく、出るところは出ており引っ込むべきところは引っ込んでいる。スタイルは抜群で、男子の視線を独り占めしたりもするが、本人は嫌がっている。
「おはようございます」
御身屋瑠璃。
巴と同様、同じクラスで花凛の友人だ。物腰は丁寧で、性格は穏やか。長い黒髪は艶やかで手入れが行き届いている。
常に穏やかな空気を醸し出しているため、周囲の人間を笑顔にする魅力を持っている。
小柄で幼児体型だが、白い肌と清廉さから生まれる高貴な雰囲気と相まって守りたい系女子の最たる存在である。
何もかも普通である花凛とは両極端な彼女達と仲が良いのは、単なる腐れ縁のおかげだろう。なぜか小学校から一緒に過ごしている。
劣等感を抱くこともあるが、二人を嫌ったことは一度もない。それが、花凛にとって小さな自慢でもあった。
「おはよー」
「なんだよ、元気ないな」
「んー、ちょっと朝からつまんないことがあったからねー」
「あら、それは大変ですね。一日の始まりである朝にイヤなことがあると、元気もなくなりますから。わたくしも今朝、それはもう大変でした」
「あ、ああ。瑠璃は朝やばいからな、は、ははっ」
乾いた笑いを浮かべる巴に、花凛は全く同感だった。初めて、アレを見た時は驚いたものだ。思い出してしまいそうになったが、寸前で意識を逸らした。
「それより、アレ見たか?」
「アレって?」
「ウロボだよ、ウロボ。海の上に現れた奴」
記憶の中には思い当たるワードがなかった。瑠璃に目線で尋ねると、彼女も首を横に振った。
「あ、あれ? かなり騒ぎになってるらしいんだけど、おかしいな」
「私、ネットもテレビも見ないからね」
「わたくしも世論には疎いので」
「おぉい! 若者っ! 情報取り入れようよ!? 二人ともLIMEもスカイポもしないしさぁ」
「私、スマホに縛られる人生なんてイヤだから。ってかメールと電話があればいいかなって」
「わたしくは機械に疎いので」
「淡泊と機械音痴、コラッ! はぁ、もういいや。えーと、あたし説明下手だし……あ、丁度いい所に。ネコやん!」
巴は猫背で小柄な男子に声をかけた。
猫村一紀。
名前通り、なんとなく猫を連想させる見た目と言動をしている。あだ名もネコ、ネコっち、ネコやん、とそのままだ。名は体を表すんだな、と花凛は過去に感嘆したものだ。
彼はコミュニケーション能力が高く、誰とでもある程度は仲良くなる性格だ。軽快な口調と立ち振る舞いでありながら、軽薄ではない、らしい。特に仲が良いとは言えないが、男子の仲では比較的話す方だ。
巴に呼ばれて猫村が軽快な足取りで近寄ってきた。
「ん? どしたん? オイラに用?」
「うん。ななっ、ネコやん、アレ知ってるだろ? ウロボ」
「ああ、うん。昨日、6chでも祭りだったからね」
「だよな! ってことで説明よろしく! 二人、知らないんだってさ」
「マジで? え、うそ、テレビでも一日中ニュースになってたでしょ?」
猫村は驚愕しながら、花凛と瑠璃を交互に見たが、反応を見てすぐに苦笑を浮かべた。
「オッケ。まあ、簡単に言うとさ。日本海上に突然、巨大な像が現れたんだよね」
「像?」
花凛は反射的に疑問を口にした。
「うん。相当でかいらしい。昨日、脈絡なく浮かぶでもなく、落ちるでもなく、本当に突然出現したんだ。
見た目が蛇と竜っぽかったし、あまりに不可思議な現象だったから終末の兆しだ、なんて考える人も結構いてさ、『ウロボロス』って名前がついたみたいだよ。
更に不思議なのが、ウロボには誰も近づけないんだ。色々な方法で近づこうとしたけれど、見えない壁があるみたいに一定の距離以上は接近が不可能なんだよね。周辺にヘリとか船とかがいるけど、離れて観察してるだけ」
猫村は、まるで自分のことであるかのように饒舌に語った。
花凛は大した興味はなかったが、気持ちよく説明する猫村と、すごいだろ? とばかりに目を爛々と輝かせる巴を前にしては、つまらなくはできなかった。
愛想笑いを浮かべて、瑠璃を横目で見ると、きょとんとしたままだ。おっとりとしたお姫様は好奇心を抱かなかったらしい。
「それで、そのウロボロス? だっけ、結局なんなの?」
「さあ?」
「さあって……」
猫村の返答に、花凛は呆れることしかできない。
「だって本当にわからないんだ。今、解明中だからね。その内、色々わかるんじゃないかな。でも、不思議なことばかりだから、みんな色めきだってるよ」
言われて、教室内の会話に耳を傾けると、みんなウロボロスとやらの話をしている。
ただ巨大な像が現れただけでそれ以上何も起こっていない。なのに話すことがあるんだろうか、と花凛は疑問符を浮かべた。
「なんか、あれだな。こう、テンション上がるよな!」
「だよね! なんか、色々ありそうな気がするじゃん?
ネットでも色んな意見があってさ。『宇宙からの贈り物』『古代文明の遺物』『ファンタジー世界の到来』『タイムマシン』『人間に対する神の怒り』とか言われてるんだ。刺激に飢えてる現代の人間にとっては、格好の的だよね」
巴と猫村は共感しているが、花凛と瑠璃も別の意味で共感していた。特に興味がない、という意味合いで。
しかし、花凛とは違い、瑠璃はニコニコと笑いながら二人の様子を楽しそうに見守っている。自分が興味ないのに、楽しそうにしている人を見ると、瑠璃は嬉しそうにするのだ。なんて性格がいいんだろうか、と花凛は劣等感を抱いてしまう。
会話に花を咲かせていたが、教室に入って来た人物を見て、猫村は巴に断った。
「あ、ごめ、オイラ行くね」
猫村は、登校してきた隣人の男子と話している。そう言えば、仲が良いらしい。影が薄いあの名前も知らない男子と猫村という組み合わせに、花凛は首を捻った。
「あの二人仲良いんだよな、なぜか」
花凛の視線の先に気づいた巴が話す。その意見に花凛も同意だった。
「そうでしょうか。わたくしはお似合いだと思いますが」
別の意味に聞こえなくもないが、純粋な巴と瑠璃は気づかない。あえて指摘すると巴が怒りそうなのでやめておいた。彼女はかなりそっち方面には弱い。
花凛は余計なことは言わないようにしようと知らぬ存ぜぬを通しながら、さりげなく問い返した。
「えー? どこが? 影薄くて、根暗系の奴と、人当たりが良くて友達多い猫村君とじゃ、やっぱり変じゃない?」
「まあ、そこまでは言わないけど、あたしもちょっと違和感はあるかな。ネコやんなら、もっと別の男子と付き合いそうなもんだけど」
「わたくしもどこが、とは言えないのですが。なんとなく、でしょうか」
「瑠璃ちゃんにしては珍しいね」
花凛は口に出してから本当にそうだと思った。瑠璃は曖昧なことを普段あまり言わない。真面目な彼女らしいと思っていたが、今回に限っては例外らしい。
「ま、瑠璃にもそういうことがあるってことだね」
ほんの少し引きつったような笑顔を浮かべた瑠璃を見て、花凛は小さな違和感を覚えたが、追求する気にはならず、そのまま談笑を続けた。花凛にとって、いつもの通りの生活がまた始まっただけだった。
しかし、その日から日常に亀裂が入り始めた。




