ターニング・ポイント
――更に三ヶ月が過ぎた。
探索の準備は万端だった。いつも通りの装備、手入れも十分だ。
比較的軽装にしている。俺の目的は獅子を倒すこと。仮に打倒したとしても、ここまで戻れば済むからだ。
長剣、小剣、短剣、念のため拳銃。それら最低限の装備とポーチを装着した。
リュウにも庭園で待機して貰うことにした。あいつとの戦いではリュウと共に戦うのは危険だと思ったからだ。
「じゃあ、行ってくる」
「……キュウ」
もしかしたら今生の別れになるかもしれない。前回、獅子は俺を見逃してくれたが、今回も同じだとは思えない。
ならば、もう少し鍛練をすればよかったか、練習を積み重ねればよかったか、そういう考えもある。しかしそれではいつになっても戦いに赴けはしない。きっと、長引けば長引くほど闘争心は薄れる。一長一短ならば、意味はない。
結局、ある程度の目途が立ったと決断した現在、三ヶ月後を決戦の日とした。
俺はリュウを撫でた。ふんわりとした感触と、心配するように見上げる瞳を見て、勇気づけられる。
そして、俺は庭園を後にした。
泉の広場に到着すると、エミルが腕を組んで佇んでいた。顔を上げ、俺へと向ける視線は複雑な感情を含んでいる。
「行くのかの?」
「ああ、そのつもりだ」
俺に迷いはない。すでにエミルには今日獅子に挑むと伝えてある。彼女が驚愕する点はないが、何か戸惑いのような感情を抱いているように思えた。
心配、してくれているのだろうか。
「勝つよ、必ず」
「言うではないか」
「負けると思って挑む奴は馬鹿だ」
俺の言葉を受け、エミルは目を見開いた後、小さく笑った。
俺はエミルの頭をぽんぽんと二度優しく叩くと、階段を上った。
「し、死ぬでないぞ!」
俺は言葉なく、手を上げることで答えた。
覚悟はできた。もう迷いは微塵もない。
冷たい通路を進むと、徐々に緊張が増す。
俺は扉を通り、再び獅子の間に辿り着いた。そこには前回と変わらず、厳然として佇む獅子がいた。
羅刹の如き、猛りの炎が身を焦がす。
俺は剣を抜き、優雅に獅子へと歩む。奴は俺を見下ろし、ただ動向を見守るだけだ。舐められている。明らかに格下だと判断されている。
怒りが込み上がる。本来ならその感情は諌められていたはずだった、しかし、俺は状況に酔っていた。正直、戦いの前に女の子に心配されて、ちょっと調子に乗っていたのだ。
そんな場合どうなるか。
俺は疾走し、獅子へと迫る。無防備に跳躍し、剣を振り下した。
一閃。たゆまぬ鍛練とイメージトレーニングのおかげで数ヶ月前とは別人のような動きだったに違いない。
だが、それだけだ。
直情的な攻撃の流れに、獅子は軽々といなし、そして俺の顔面を殴りつけた。
「ぎっ!?」
俺は空中でもんどりを打ち、地面に落ちても尚、転がって部屋の中央まで吹き飛んだ。
全身に走る痛みを感じつつ、俺は少しずつ冷静さを取り戻した。
当然の帰結だった。感情のままに行動しないために精神鍛練をしていたのに、その時間は無為で、結局、高揚して何も考えず突っ込んだのだ。
受け流すこともできず、まともに殴打された俺は、意識を繋ぎ止めることが精一杯。なんとか、立ち上がった時には、獅子は眼前に立っていた。
そして再び拳が襲い掛かる。
「くっ!」
下から顔に迫る拳を避けられたのは、ただの勘だった。当然ながら、考えない行動の果ては決まっている。衝撃に俺の視界は横にブレた。
一体何が起こったのか理解したのは、地面に倒れる寸前。獅子は、俺の死角から肘鉄を繰り出したのだ。
大剣を使うまでもない。そう言われている気がした。
以前よりも成長したと思っていた。それはただの思い込みだった。鍛練により得たものは多かったはずだ。しかし失ったものも多かった。
それは恐怖だ。自信と余裕が恐怖心を和らげてしまった。だから、油断に繋がったのだ。
地面に倒れ込んだ俺は、死を恐れた。数ヶ月の間に忘れてしまった怖気を思い出した。
忘れてはいけなかった、この感情。冷静になるということは、恐怖を忘れて買い被るということではない。正面で受け止め、隣に置き、そして克服することだ。
忘却するのではなく、共存しなければいけない。
獅子は俺の元へ歩み寄って来た。
俺は意識を明瞭にするため、舌を噛んだ。痛みから感覚が戻り始める。奴との距離は半歩。すぐ近くに来たなら反撃してやる。
が、獅子はすたすたと元の位置に戻るといつも通りの体勢になった。
その行動が、俺の心に火を点けた。
がばっと立ち上がり、剣片手に獅子を睥睨する。奴は俺を見すらしない。
「こっちを見ろよッッ!」
激昂した俺は、獅子に向かい走った。
だが、先程とは違い、頭の片隅は冷静だった。
獅子は俺を一瞥すると、大剣を振るう。斬り上げ、下からの攻撃に俺は横に跳躍することで対応した。
獅子は俺を甘くみていたのか、大振りの攻撃を繰り出した。その隙を逃すはずもなく、俺は地面を強く蹴り、剣を腰まで引く。
突きへの移行を目的とした構えのまま、獅子に猛然と迫る。
奴は俺の敵意を受けることなく受け流す。大剣を振り上げた反動を踏んばって殺すのではなく、そのまま半歩下がることで弱める。
俺は獅子が数瞬前にいた場所を刺突した。完全に回避されてしまったが、避ける動作を見ていたおかげで力を抜くことに成功する。しかし完全に停止することはままならず、中途半端に腕を伸ばした状態になってしまう。
獅子に向き直ろうとしながら、地に足をつけた。
瞬間、俺は驚愕に心臓が鷲掴みにされる感覚に苛まれる。
流れのままに剣を振りかざした状態の獅子は、そのままに俺へと鉄塊を振り下した。
互いの距離は腕を伸ばせば届く程度。大剣は長く、獅子の腕も長い。当然、懐にいる俺への攻撃は困難であるはずだった。だが、腕を伸ばし振り下すのではなく、姿勢を低くし、重力を利用しながら手を折りたたむ。
俺の頭上には刀身の根が落下しつつあった。
俺の身体には突進の反動が残っている。それを利用し、そのまま駆け抜けると同時に剣を横たわらせた。視界内ではなく感覚的なもの。だから獅子の身体を傷つけるのはまず無理だと思った。事実剣先が削ったのは鎧の表面だけだった。
転瞬の中で互いの目論みは交錯し、そして外れた。俺は勢い余って、獅子との距離を大きく取ってしまう。
獅子は振り下した大剣で、地面を抉り、そして俺を睨んだ。ようやく俺を敵と認識したらしい。鎧の上とはいえ、一撃を許したのだ。奴のプライドは傷つけられたに違いない。
俺は再び構えた。
獅子の纏う空気が変わる。最初に出会った時に感じた、あの敵愾心だ。
同時に地面を蹴った。
大剣の描く一文字。それを躱し、懐に潜る。払いは躱され、返す剣も獅子には通じない。前進後退を適度に行い、文字通り一進一退の状況が続く。だが、それは僅かな時間だけの出来事だった。
幾つもの剣閃を掻い潜り、獅子は俺の攻撃を鎧や大剣で受け流した。
攻防は拮抗していたように見えた。だが、徐々に状況は変わり始める。
押されていたのは――俺だ。
「ラァァ!」
気合い一閃。縦横無尽に紡がれる連撃の中、獅子は冷静に躱し、いなした。
剣術の腕前に差があると思っていた。理解はしていたはずだ。だが、ここまでとは。
俺の繰り出す攻撃を獅子はすべて的確に対処していた。攻撃が当たる情景が思い浮かばない。どうやら奴は、俺を観察していたらしい。最初と今の違いは明らかだ。奴は俺の力量と癖や技術を読み、すでに看過している。
乱れた呼吸の中、必死で頭を働かせる。
まさか、ここまで差があるなんて。奴には余裕がある。俺を赤子扱いし、悠然としていさえいた。悔しさで涙が滲みそうになる。
剣戟は数分。結びは三十八。結末は最初から決まっていた。
俺の身体はぼろ雑巾のように吹き飛び、全身を激しく打ち付けられていた。
生きているだけで幸運だった。大剣の攻撃だけはなんとか躱していたおかげだろう。
獅子は傷一つなく、見覚えのある視線を俺へと送る。
わかった。もう、わかった。もういい。
そして、想像通り、獅子は俺から離れ、扉の前に戻った。
もう俺には興味がないということだ。
俺は何とか立ち上がり、入口へ向かった。
完膚なきまでに叩き潰された。奴が俺を敵だと認識したのは一瞬だけ。幾らか剣を交えただけで、対応されてしまった。つまり、それだけ俺の剣術は大したことがないということ。
無様。その一言に尽きた。
なんという情けない姿だろうか。前回と違い、今回は準備をしてこれだ。
努力したつもりだった。それでも結果は出ないこともある。けれど、俺は今まで真剣に何かに向きあったことがなく、こんな挫折は始めての経験とも言えた。
俺は物語の主人公とは違う。何の苦労もせず、あるいはおざなりな努力で強大な力を得られるキャラクターじゃない。地道に鍛練を重ねるしかない。しかし、その努力も水の泡だ。
項垂れ、扉を潜ろうとした瞬間、俺は振り返った。
獅子は俺を見ずに目を閉じていた。
俺は足を引きずり、部屋を出ると、自然に口角が上がった。
より強い感情。より強い憤りを感じ、俺は享楽的な心境に陥った。敗北という事実なんてこの際どうでもいい。大きな収穫があったのだ。
奴は俺を殺さない。それは何度でも戦いを挑めるということ。
次はないかもしれない。もしかしたら単なる気まぐれかもしれない。だが、二度も負けたのだ。すでに俺の命は拾ったようなもの。だったら、退路はないだろう。
俺は全身を蝕む激痛に耐えながら階段をゆっくりと下った。
様々な感情が行き交う中、確実に増大したのは楽しいという思いだった。




