エミル・フォルシウヌ・イスラ
マッピングを完全に終え、到着したのは階段兼休息所だった。いつも通り、見慣れた情景だったが一つだけ相違点があった。
「なんだこれ」
噴水が中央にあった。妙に凝った造りで、天井の囲いには天使や少女が描かれている。
真ん中には水瓶を担いだ、顔の整った双子の少女が立っていた。多分あそこから水が流れる仕組みなんだろう。しかし水は出ていない。長年放置されていたようで、埃が溜まり侘しい様相を呈している。
中央の少女の背後に獅子が正面を向き、凛々しく雄たけびを上げている。その部分だけ浮いているため、印象的だった。
「獅子、ね」
なるほど、そういうことか。
地図を見ると、階段は階層の北部だった。方向は適当だ。
二階層の扉の方向を北と定め、それ以降、別階層に移動し、方向転換した場合には地図もまた方向を変える、という方法でマッピングしている。
なので階層ごとに扉の方向は様々になるかもしれない。今のところ北で固定になっているが、俺の方向感覚が正しければの話だ。
とりあえず俺は一旦、自宅に戻ることにした。
さて、羊皮紙の内容を鑑みるに、結構簡単に解けそうだ。
『白き魔女の双眸より獅子の方向に三十八歩。覆い隠す者に向かい八十一歩。積み重ねただけ天に祈りそして悩め。流るるに至れば財を成す。言霊は不幸をもたらす』
白き魔女。これは恐らくこの家の主人だ。女性で魔術に長けていたようだし。というかそれ以外に近い存在がわからない。
そしてその双眸。家を見れば一目瞭然だ。左右対称の窓、これを双眸と見えはしないだろうか。というか魔女と同じで思い当たるのがこれしかない。
そこから、つまり、目と目の間、玄関から獅子の方向。獅子は階段の噴水に飾ってある像だ。つまりそっちの方向に向けて三十八歩。これは庭園奥へ向かう方向だ。磁石がない状態だとかなり方向が大雑把になるが、しょうがない。
「リュウはここで待っててくれるか?」
「キュ……?」
不安そうな声だ。帰って来るか心配しているらしい。ずっと一緒だったからな。
ただ、メッセージ通りなら多分、一人の方がいい。
「おう、すぐ帰ってくるからな」
「キュキュ!」
俺は背中の荷物を降ろし簡易装備のまま、地図を頼りにおおまかな方向を定め三十八歩進んだ。一歩は若干小股だ。俺は身長が175センチなので、日本では平均より少し高いくらいだが、この世界ではよくわからない。まあ、適当だ。
庭園の森の中で立ち止まった。
次は覆い隠す者。まあ、これは宝箱のことだろう。
そして地図を頼りに方向を変えて歩を進めた。八十一歩目で停止した。周囲を見回すと、庭園の端、つまり周囲を覆う岩壁の前だった。
積み重ねただけ天に祈りそして悩め。というのは、色々な受け取り方があるが、この場合は多分二つのどちらかだろう。
積み重ねただけ、言葉遊びでなくこの文言通りならば、ここまで何を積み重ねたかと考えれば答えに行きつく。つまり、歩数か階層だ。前者ならば回数はかなり多い。
これは少し違和感がある。後者ならばここが三階層なのか、それとも上階から数えての階層なのかという疑問が残る。
しかし、一階層は行き止まりだったし、善次郎という前例もある。これは俺や善次郎という人間がいるということを知っている人間、あるいはそれに近い知能を持っている存在の仕業ではないだろうか。
総合すると、階層分、つまり三回祈りと悩みをすればいい。
祈りとは天を請い、悩みとは視線を落とすことではないか。
まあ、ダメもとだとりあえずやってみようと、上を向き下を向くという行為を三回した。
数秒の沈黙を経て、ダメだったかと再び思考を始めようと思った時、正面の壁が動いた。ズズズッと引きずる音を漏らし、岩戸が開く。内部に空間は然程なく、一歩進み手を伸ばせば届く程度にしか岩の扉は動かなかった。
そこには青くくすんだ壁があり、目立った出っ張りがあるだけだった。俺は恐る恐るそれを押し込んでみた。するとすんなり出っ張りは奥に引っ込む。
キュルキュルという摩擦音が聞こえた。それだけだった。周辺には変化がない。
「……ふむ」
となると、やはり行くしかあるまい。
俺は自宅前まで戻った。
「キューン!」
リュウは嬉しそうに鳴きながら勢いのままに俺の肩に飛び乗った。
「おう、キュンキュンか」
「キュンキュン!」
「どっから出してんだよ、その声。んじゃ、行こうぜ」
リュウを一撫でして、荷物を背負うと再び、階段の噴水前まで戻った。水音が聞こえる。思った通り、水が流れている。
あの仕掛けはこのためにあったらしい。なぜかと聞かれれば俺にもわからないけど。
流るるに至ればというのは、噴水から水が出れば、ということだろう。つまりすでにミッションコンプリートしてるはずだ。言霊は不幸をもたらすというので、一応リュウを置いて行ったのだが、杞憂だったようだ。
松明で青蝋燭に火を点けると俺は再び噴水前に立ち尽くす。一応何か起こるまで待ってみようと思い、水が少しずつ溜まる様子をじっと観察した。
数分経っても何もない。
おい、おい? おいィィ!?
いや、大して苦労はしてないけど?
でも一応労力を割いたんだし何かあってもいいんじゃないの?
まさか水だけ?
ねえ? 水だけなの?
それともまだ待たないといけないの?
しかしヒントにはそんなことは書かれていない。もう終えているのだ。
誰だよこんな悪戯したの?
引っかかった俺が悪いよ?
こんな見え透いた罠に引っかかった馬鹿は俺だよ?
でも、この期待どうしてくれんの?
財はどこ?
財宝は!?
俺は怒りのままに手足が震えだすのを感じた。
腹の奥底からこみ上げる、熱き思いと共に限界まで肺に酸素を吸い込み、数瞬の間隔、そしてすべてを吐き出した。
「ふざけんなァァァー!」
「ひゃうぅゥゥ!?」
激しい水音と咆哮と悲鳴が重なった。
俺は力の限り叫んだことで平静さを取り戻し、瞬きを何度もすると首を傾げた。
噴水、泉にはたっぷりと水が溜まっており、水瓶からは水が注がれている。ある程度の量になったからか循環し、水量は一定を保っていた。
まあ、それはいい。
俺は泉自体ではなく、泉の中で座り込み、ガタガタと震えている人物を凝視した。人、そう人だ。女。女性。女の子。簡素なフリル調のスカートから覗く太腿は艶めかしく水滴を弾いている。
ともすれば現代風に見えなくもないが、少しコスプレっぽく、西洋か欧州あたりの民族衣装の雰囲気が部分的に漂っている。
金色の髪は青蝋燭の淡い光を反射し幻想的に見えた。長く、そして結っており、女性の髪形に詳しくない俺は、どうやって編んでるんだろうかとどうでもいい疑問を浮かべた。
目尻に大粒の涙を浮かべ、こちらを睨んでいるのか警戒しているのかそれとも怯えているのかわからない瞳を向けていた。
しかし俺を魅了したのはそこではない。
胸、巨峰、最大標高を誇る山々。童顔なのに乳は……失礼、胸はたわわだった。間違いなく両手で収まらない。しかも衣服の生地が薄いのか、地肌が何となく透けている。
胸がでかい、小柄、童顔、胸がでかい。それが彼女に対しての俺の印象だった。
俺はいつの間にか、観察するように彼女の身体に視線を這わせていた。
そんな俺を見て、少女は怒りの形相で立ち上がる。
「お、お主、何を見ておるのだ!」
そう言えば人と会うのは久しぶり、というかあれ、もしかしてこれって、喜ぶところなんじゃないの?
やっと誰かと話せる! とか言いながら喜色満面で抱きついていいところだったんじゃないの? いや、それはダメか。
俺は一秒にも及ばないほどの思考速度でああでもない、こうでもないと色々考えた末、こう答えることにした。
「素敵な、お胸だね!」
「しゅねぇぇ!!」
顔を真っ赤にした上に呂律が回っていない。感情的に水をバシャバシャとかけてきた。
あはは、なんだこれ、水辺で遊ぶカップルかな?
俺はなんだかよくわからない心情に陥りつつ、やーめーろーよ、とか言ってみた。水の量が増えただけだったが、なんだが楽しいので続けてみた。
「しゅね、しゅねぇ! ばっきゃろぉ!」
「あはは、だめだぞ女の子がそんな言葉遣いしたら!」
「うるしゃい! りゃ、りゃっ! 濡れりゃっ!」
片や紅潮しながら必死に水を掻き、片や笑顔でこっちへおいでとばかりに走り回った。これはこれでいいじゃない、という結論に至ったが、様々な疑問が頭に浮かんできた時には水音が止んだ。
「ぜぃぜぃ、つ、疲れた」
「そりゃ、あれだけ興奮してたら疲れるだろうな」
「お、おにゅしのせいじゃろがいぃ!」
「オーケー、わかった。とりあえず落ち着いて? 深呼吸しよ?」
俺は苦笑を浮かべ、慈悲の視線を送った。
「い、いちいち苛々させる彼奴だのっ! くっ、すぅはぁすぅはぁ!」
でも素直に従うんだ。まるで子供。さながら児童。しかし、それはまやかし! 巨大にして強大な乳房の存在! それが現実ッッ!
「はぁ、落ち着いてきた……お主、また見ておるの? のぅ? 喧嘩売っとる?」
「いえ、すんません。初対面なのに、ノリがいい性格っぽかったのと、久々に話ができる嬉しさと、これから始まる恋に興奮しちゃって」
「こここ、ここ、恋なんちゃ、はは、は、始まらんわ!」
またしても水をぶっかけられた。
俺は甘んじて放水を受け、タオルで顔を拭った。正面には再び耳まで赤くした女の子がいた。
「まあ、それはそれとして、君は誰?」
あ、茶番終わった? といった風に、俺から離れていたリュウが肩に戻り、いつも通りリラックスした様子で座った。尻尾がたまに首にあたるのでくすぐったいが、俺はこの位置を気に入っている。
俺の質問を受けて、女の子は不服そうに何か言おうとしたが、俺の肩口を見て、目を見開いた。
そして、視線を泳がせて、怪訝そうにしていたが、何か納得したように一度頷いた。その後、少女は俺を見ながら不審そうにしていた。
俺は答えが来るものだと思っていたので、首を傾げる。
少女も首を傾げる。
しかもちょっと、眉根を寄せて不満を表している。だが、何か思い当たったのか、こめかみに人差し指を当てて数秒思案した。するとみるみる内に顔色が朱色に変わった。
慌ただしく視線を逸らしながら少女は言った。
「わ、妾は、エミル・フォルシウヌ・イスラ。フォルシウヌ様と呼んでいいぞ? ま、まあ、い、泉の精霊っていうか? 人間よりも高位の存在ゆえ、ふ、不敬は許されない、みたいな?」
「おい、おい。フォルシウヌ様、もとい、エミルとやら」
「呼び捨てが気になるが、な、何かの?」
「いや、今完全に俺の質問忘れてただろ?
答えようとしたことも忘れただろ?
そんで、忘れた癖に俺に『何こいつ、何か言えよ』とか思ったろ?
その後、思い出したけど誤魔化そうとしたろ?
しかも、ばれた時の保険に人間より高位なんだから許せよ、って暗に言ったよな?」
「ち、違うりゃ! そ、そもそもそっちが悪いのではないか! ふ、不埒なことをしおって! その上、わ、妾をからかったであろっ!?」
「うん、ごめん、俺が悪かった。ちょっと調子に乗りました、ほんとすんません」
俺はいさぎよく謝った。
それはもう見事な土下座だったと思う。
ただしそれは一瞬の出来事。
あれ、謝った?
今土下座したよね? みたいな速度だ。
しかし残像だろうが確かに謝ったという事実はある。
俺の早業にエミルはきょとんとしたままだった。
「え? え、と?」
「謝ったよ? 悪いって思ってもいるよ? 反省しているよ?」
「ま、まあ、謝るならば許さないこともない。今後は気を付けるのだぞ」
ふんぞり返って、俺の謝罪を受け入れたらしい。
しかしその後、静寂が訪れた。エミルは挙動不審になり、状況を飲み込めていないことがはっきりと俺に伝わった。
「いや、こっちはちゃんと謝ったよ? そっちは謝らないの?」
「な、なぜ、妾があやまりゃんといかんのだぁ! 妾は精霊なのだぞッ!?」
怒り心頭に発したエミルは、あからさまに心外そうに顔を歪ませながら叫んだ。
俺は肩を竦め、やれやれと口に出す。
「その口調からも人間よりも高位で、やんごとなきお方だってのはわかりますわ。でも、だったら自分の非を認めるべきなのではないですかねぇ?
それが高貴で偉い方々の器の大きさというものではないかなぁ。誰かの上に立つんだからそういうの大事だと思うなぁ。
こっちは謝ったのに、自分はいいんだ、それが高位な精霊? のすることなんだぁ。そっかぁ、あ、ってか敬語はいらないっすよね。傲慢な精霊様には敬意も何もあったもんじゃないもんな。だって尊敬できないしぃ」
元々敬語なんて使ってないが、嫌味ったらしく言うと、エミルはぷるぷると小刻みに震えだした。あ、やり過ぎたかも。『ほんと、嬉しくてこんなことしちゃったんです、すんません』って言おう。そう考えた時、
「わ、妾がわるかったあああああああ、ごべんなざいぃぃぃぃぃーーー!」
号泣だった。なんならガン泣きだった。全力で泣いていた。
え、えぇ……うそぉ……。さ、流石にここまで泣くって、マジかよ。
悪乗りしてしまった。まさかここまで追い詰めてしまっているとは。
「ご、ごめん! ほ、ほらからかい甲斐がある相手にはつい意地悪してしまうみたいな、そんな心情だったんです! でも、今は本当に反省してますごめんなさい、許してください! すんませんっしたあああ!」
二度目の土下座は長かった。ごつっと地面に額をぶつけ、脳震盪一歩手前ほどの衝撃を受けて、謝罪した。
えぐえぐと泣くエミルの声はやがて、スンスンと鼻をすする程度に収まった。
土下座停止中の俺は顔を恐る恐る上げる。
「ご、ごめんな」
「もうよい。妾もちょっと感情的になった。悪かった」
「い、いや、ごめん」
「よいと言っておる。き、気にしてなぞ、おらん」
さっきまでめっちゃ泣いてましたけど……。
俺はなぜか妙にドキドキしながら立ち上がった。ほら、赤ん坊が泣きださないかハラハラするあの感じに似てる。親戚の赤ちゃんの子守りを頼まれた過去を思い出した。
エミルが手首で目尻を拭うと、涙は止まった。瞳は僅かに濡れているが、もう溢れはしないだろう。
そして、空気が気まずくなり、俺は背中に冷や汗を掻いた。




