第7話 天のAW
【愛】
曖昧な世界だった。空間のあらゆるところにヒビが入っている。だけど、暖かさを感じる空間。
教室だ。天がいて、蓮がいて、奏ちゃんがいる。
天の自宅だ。お姉さんがいて、お母さんがいて、お父さんがいる。
世界がパタパタと絵本をめくるように変わる。どの映像も温かく幸せな映像だった。
「……天に両親はいない。そして、学校も今はみんな違う高校に通っている」
「そう、なんだ。じゃあこの映像は作り物なのね」
どの映像の天をみても穏やかな笑顔を浮かべている。だれが、この世界から天を引き剥がせるのだろうか。それくらい、誰が見たって幸せそうだった。
気づくと、河川敷にいた。
「小学生、中学生の頃よく僕と、天と、奏で遊んでいた思い出の場所だ」
そこに、天はいた。
「あれ、天?」
「ああ」
河川敷の風は、やけに現実的だった。さっきまでの映像の温度とは違う。肌に触れる冷たさと、草の匂いと、遠くの水の流れる音。そこに立っている天は、少しだけ幼い輪郭をしていた。今の天でもない。過去の天でもない。でも確かに──。天そのものだった。河の方を見て、ぼんやりと立っている。
私は息をのむ。
「今までの……全部、天の幸せということだよね」
蓮はすぐには答えない。視線は天から外れない。教室。家。笑っている家族。並んでいる友達。全部が正しい形に整えられている世界。
「……違う」
蓮がぽつりと言う。
「天が欲しかったものを、全部そのまま並べただけだ」
「でも、天は……幸せそう」
その言葉に、蓮の喉が一瞬だけ詰まる。否定できないからだ。目の前の天は、確かに穏やかだった。何も欠けていない顔をしている。欠けていないことが、こんなにも危ういなんて思わなかった。
そのとき。
天がゆっくり振り返る。目が合う。天の表情に、ほんの微かな揺れが走る。
「……あれ。蓮……?」
蓮の指がわずかに動く。返事をするか、一瞬迷っているようだった。河川敷の風が、少しだけ強くなる。
「懐かしいな」
「昔、奏と蓮と俺でよく会ってたよな」
「春には何をするでもなく草むらに寝そべって、夏には三人でアイスを食べた」
天は思い出を慈しむようにして微笑む。
「秋には焼き芋をしようとして怒られて、冬は雪合戦をして蓮が良く怒ってたっけ」
「……どれも忘れ難い思い出だ」
蓮は表情を和らげ、ゆっくりと目を閉じる。河川敷の川が静かな音を立てて流れ続けている。蓮は天を真っ直ぐ見据える。
「僕はお前たちとの思い出はひと時も忘れたことがない」
「蓮は昔から記憶力がいいもんな」
「……今の河川敷は、こんなに綺麗じゃない。ゴミが沈んで、草むらにはよく犬の糞が放置されている。不良のたまり場にもなっている」
天の思い出の河川敷とは全く違う風になっているんだ……。時間の流れは残酷だ。いとも簡単にそこにあったものを変えてしまう。
「この世界は間違っている」
ピキキッ
蓮が言い終えるとともに空間のひび割れる音。
「……偽物に縋ったところで未来はないわ」
お父さんにも言った言葉。どんどんと、天の表情が曇って行く。天は震えた声で答える。
「分かってるんだ……。姉ちゃんが姉ちゃんじゃないのも」
「天……。お前、お姉さんがAIだっていうこと知ってたのか」
天は顔を伏せ、頭を抱える。
「全部分かってた。分かってたけど知らないふりをしていた。その方が、きっと幸せだから。逃げてた方が幸せだから」
私は言葉を絞り出した。
「分かってるなら……」
「それでも! それでも逃げ続けた。逃げて逃げて……。分からなくなった」
天の目からは大粒の涙が零れ落ちる。
「奏も、そうなんだ。きっと」
「……!」
私と蓮は顔を見合わせる。今、天は奏もと言った。まるで、奏ちゃんまでAIだというみたいに。
「俺、もう嫌だよ。辛いよ。戻りたくないよ。何も見たくないよ」
【蓮】
夕焼け。遠くで奏が笑っている。天のお姉さん、ご両親もいる。あまりにも、 優しい景色。天は震える声で言う。
「俺、 やだよ……。元の世界には、 何もないじゃないか。戻ったって、母さんも父さんも姉ちゃんも奏も……もう、いない」
天は両手で頭を抱え、俯く。そして、僕たちに背を向けてしまう。そして、小さく呟く。
「……俺はここがいいんだよ。全部、あるから」
僕は拳を握る。
「……元の世界で生きた、 お姉さんの思いはどうなる?」
天の肩が揺れる。
「天がここに居続けたら、 お姉さんが頑張ってきたこと、 全部水の泡になるんだぞ」
「知るかよ! そんなの分かってる! ……分かってるんだよ!」
苦しそうに目を閉じる天。ああ、違う。これじゃ今までと同じじゃないか。 今、天に必要なのは、正論じゃない。
「……いや。 違うな」
ああ、違う。
「こんなこと、 言うためにここに来たんじゃないんだ」
合理性なんていらない。
「……天。これは、 ただの僕の我儘なんだけど」
一歩、 前へ出る。天の肩を引き、天の目を真っ直ぐ見据える。
「僕は。お前と、 生きていきたいんだよ」
夕焼けが、ゆっくり二人の影を伸ばしていく。
「お前が、 頑張って生きた世界で」
天はきょとんとしたあと、僕を真っ直ぐ見据えたまま答える。
「蓮……ここは全部そろってるんだ」
「……あぁ」
「それでも、蓮は我儘を突き通すってこと?」
「それでも、僕はお前と一緒にいたい」
僕は天の手を握り締め、引く。
「現実には僕がいる。天がいないと……つまらない。知ってるだろ、僕には友達と呼べる人がいないんだ」
「友達が……」
「だから帰ってこい。僕にはお前が必要だ」
奏と天のお姉さんは夕焼けに溶けていった。そして、力強い光が僕たちを包んでいく。
「ずるいな。そんなこと言われたらさ」
天は困ったように笑う。
「帰るしかないじゃんか」
眩い光しか見えなくなった後に、意識が途絶えた。
【天】
久しぶりに、頭の中の霧が晴れていた。身体が驚くほど軽い。周りを見渡すと俺の近くに蓮と、雪のように白い髪色をしてシュシュで髪を一まとめにしている女の子が寝ていた。……蓮が俺の手をぎゅっと握っていて、なんとなく気恥ずかしい。でも、すごく心がポカポカとしている。
「天、具合悪いところない?」
「姉ちゃん……」
姉ちゃんが心配そうな表情を浮かべて、俺の寝ているソファの横に座り込む。
「ちょっと二人で話そっか」
「……うん」
「翔さん。ちょっと天と話してきますねぇ」
「了解。あまり遠くには行くなよ」
「行かないですよ。何回も言ってますけど、第一優先は天の幸せです」
姉ちゃんは、部屋にいたパソコンをいじっているおじさんに向かって話をしていた。いまいち状況がつかめない俺は、とりあえずそのおじさんにお辞儀をして部屋を後にする。
玄関を出ると地面が濡れていた。雨が降っていたようだ。少し歩くと屋根が付いた公園のベンチにたどり着いた。姉ちゃんに座るよう促され、腰かける。
「あまり詳しくは話せないんだけどねぇ。天は何が聞きたい?」
「え……?」
「AWで言ってたでしょ」
「……姉ちゃんがAIだってことか」
「いつから気付いていたの?」
俺は考え込む。AIだと確信していたわけではない。そんな技術があるって知らなかったから。姉ちゃんだけど姉ちゃんじゃないという違和感が強かった。いつからと言われたら正確に答えるのは難しい。でも、決定的な出来事があった。
「……姉ちゃん、具合悪い日が続いてたよな。それが突然良くなったから、おかしいなって思ってた」
「正解。さすがだねぇ。姉ちゃんのことよく見てるねぇ」
姉ちゃんは力なく笑った。その表情があまりにも弱弱しくて、俺は何とも言えない気持ちになる。
「……何があったんだよ」
「あの日——」
ガクンッ
姉ちゃんは突然、俺の方に倒れ込む。そしてすぐに目を開く。
「……やっぱりダメか。不自由な体ねぇ」
俺の膝の上で困ったように笑っていた。
「……ごめんね。天」
姉ちゃんは俺の頭を撫でる。小さいころからいつもそうしてくれたように。姉ちゃんは立ち上がって、どこかに行こうとした。
「姉ちゃん、どこ行くんだよ」
「……私は私で片づけることがあるのよ」
俺の不安げな表情に気づいた姉ちゃんは俺を抱きしめる。
「大丈夫。危ないことはしないよ。姉ちゃんはいつも天のこと見守ってるからね」
「また会えるよな?」
「もちろん」
「……分かった」
手をひらひらとさせて夜の街へ消えている姉ちゃん。何かが起きている。それだけは今の俺でも理解することが出来た。
「お邪魔します……」
姉ちゃんとお別れをし、先ほどまでいた家に戻ってくる。そこには先ほどのおじさんと蓮とAWで見た女の子がいた。
がばっ!
帰ってくるなり蓮は俺に抱き着いてきた。
「蓮……、ありがとう。俺、蓮にああ言ってもらってすごい嬉しいよ」
蓮は俺に抱き着いたまま、先ほどの自分の言葉を思い出しているようだった。抱き着いてきたかと思うと今度は急に距離をとる。珍しく騒がしい。
「あれは……っ!」
頬から耳まで真っ赤になってゆでだこの様になっている。蓮はあまり自分の気持ちを言うやつじゃないから、本当に嬉しかったんだけどな。
「はははっ! 青春だなー。若者たち」
少し離れた場所で、パソコンのキーボードを軽快に叩いているおじさんがニヤニヤとしている。
「翔さん、全部見てたでしょ。趣味悪い」
「失礼だな愛ちゃん。俺は君たちのことが心配で心配でたまらなかったんだぞ」
「蓮、この人たちは?」
「そうだったんですね。愛さん、翔さん、ご迷惑おかけしました」
初対面の俺なんかのためにいろいろと尽力してくれたようだった。
「愛、でいいわ。歳はそんなに変りないでしょ? ……本当に良かった。戻ってこれなかったらどうしようかと」
愛は心底ほっとしたように胸を撫でおろしていた。お父さんの開発したシステムのせいで人がおかしくなるなんて……。自分が愛の立場だったらそれこそAWの世界に逃げたい、って思ってしまうだろうな。
「天……」
まだムスッとしている蓮。昔からの根に持つタイプはまだまだ現役のようだった。蓮はそっぽを向きながらぶっきらぼうに言う。
「おかえり……」
「ぷ、っはははははは!」
あまりの蓮の不器用さに久しぶりに大笑い。
「なっ……! こっちはどれだけ心配をしたと……!」
「ご、ごめんっ。いや、でも……」
我慢できずにしばらく腹を抱えて笑ってしまった。
……俺は、帰ってきたんだな。




