You Choose → 第41話 現実を生きる
【天】
パチッ……。
パチッ、パチッ、パチッ。
……どこから始まったのか分からない拍手がどんどんと広がり、会場全体が拍手でいっぱいになった。奏は、武道館にいる人たち……いや、世界中の人たちに向けて言いきった。
拍手は鳴りやまない。奏の思いがみんなに届いた証拠だろう。俺は折を見て、舞台裏にいる姉ちゃんのところへ駆けつける。姉ちゃんは満足げな表情を浮かべていた。
「姉ちゃん! えっと、その……色々ありがとう!」
「可愛い弟がピンチになっているんだもの。駆けつけるに決まってるじゃない」
「でも、なんでその人は姉ちゃんの言うこと聞いてくれたの?」
「ふふふ。あとで教えてあげる」
姉ちゃんとプロデューサーが目を合わせる。プロデューサーはバツが悪そうに目を伏せた。奏のマネージャーが蘭さんの車いすを押して舞台裏まで来る。虎と蓮も仕事を終え、集合。みんなやり切った顔をしていた。
「まぁまぁ。深くまで知らなくてもいいことがあるのよ」
「あー。ようやく終わった」
「ひと段落、だな」
いつまでも拍手の雨を受けている奏。動かず、ただ真っ直ぐに前を見ている。日本を代表するトップアイドルだ。輝いているに決まっている。だけど、今の奏の姿は本当に目が眩むくらいの輝きだった。呆然と奏を見つめていると奏が不意にこっちを見る。
「ありがとう。みんな」
にっ、と口角を上げ笑う奏。俺も自然と表情が綻ぶ。
……愛と翔さんは今どうしているだろう? 俺はスマホを確認するがまだ連絡は来ていないようだった。
「……きっと、大丈夫だ」
俺はいつまでもやまない拍手の音を聞いていた。その拍手の中、モニターの真ん中で23:13。カウントだけが静かに進んでいた。
【愛】
「会場の方はうまくいってるみたい」
「あいつらならうまくやってくれるって信じていたさ」
私と翔さんはライブ映像を見てホッとしていたところだった。……今の奏ちゃんの演説、AW内の人たちも見てたと思うんだけど、どういう気持ちになったのだろうか。ハードディスクの様子は特段変わっていない。
コツ、コツ、コツ……。
一定のリズムの足音。私は機械の影から様子をうかがう。そうだよね。ここに来るのはあなたしかいないよね。
「お父さん……」
AIのお父さんは遠い目をしており、目の焦点が合っていない。何も言葉を発さず、ただそこにいるだけだ。翔さんも状況が呑み込めないようでお父さんAIを凝視したまま止まっている。
「翔さん。私はAWにいるお父さんと話してくる。お父さんのAWに私の意識を送って」
「愛ちゃんはいつも俺が出来る前提で話してくるよな」
「だって、出来るでしょ。天才プログラマーだもんね」
翔さんはやれやれと首を横に振る。ブラウンの優しい目で私のことを見つめる。そして、とても穏やかな表情で私を送り出してくれる。
「いってらっしゃい。愛ちゃん。誠一と一緒に帰ってきてくれよ」
「いってきます」
私は機械の中の一つに入り、ゆっくりと瞼を閉じる。……AWに行くのは二回目だ。一回目はお父さんに、お母さんに会えるすごい発明をしたと嬉々と言われて、言われるがままAWへ行った。確かにお母さんがAWにいた。でも、AWにいるお母さんは私の思い通りになるお母さんだった。リアルさがなくて気色悪さを感じて私は一回だけでやめた。AWに行きたがらない私を見てお父さんが悲しそうな顔をしてたっけ。あの時のお父さんは、きっと私が喜ぶと思ってたから悲しんでいたんだよね。
意識が眩い光の中に溶けていく感覚。次に目を開けた時、そこはもうAWだ。
……さぁ、行こう。
お出汁の匂い、魚の焼ける香ばしい匂い、ご飯の炊けた匂い。食器を洗う音、食器棚を開ける音、冷蔵庫の開閉の音。私が目を覚ますと、自宅のリビングにいた。夕方の5時半頃からお母さんは食事の準備を始めていたっけ。今思い返せば、手の込んだ料理ばかりを作ってくれていた。お父さんはいつも帰りが遅かったけど必ず3人そろってからご飯を食べていた。
「……懐かしいなぁ」
私はリビングからお母さんが食事を作っているのを覗き込む。お母さんが料理しているのを覗き込むのが好きだった。いつも色とりどりな食事を作ってくれていたから。見ているだけでワクワクしたのを覚えている。
「愛ちゃん。これちょっと味見してみて」
お母さんは私に肉じゃがを差し出してくる。口に含むと、口いっぱいに優しい思い出が広がっていくような感覚。
「愛ちゃん?」
気づくと、涙がとめどなく出ていた。分かってる。これは現実じゃない。だけど、私にとって魅力的過ぎる。
「美味しい……」
「どうしたの? どこか痛いところでもある?」
「ううん。どこも痛くないよ」
「そっか……」
お母さんはぎゅっと私を抱きしめる。
「愛ちゃんの涙が止まるまでぎゅーしようね」
お母さんは私が泣くといつも泣き止むまで抱きしめてくれた。泣いてる理由は深くまで聞いてこない。それがすごい心地よかった。あぁ……幸せだな。ずっとこうしていたいな。お母さん、お母さん、何で死んじゃったの? なんで私とお父さんを置いて行っちゃったの。寂しいよ。戻ってきてよ。今まで我慢していた思いが堰を切ったように溢れ出す。
……だけど。
私が小さい時から優しく私の気持ちを尊重してくれた翔さん。
抜群の記憶力と処理能力で普通の人じゃ解決できない問題を涼しい顔で解決する蓮。
不器用だけど誰よりも強くて頼りになる虎。
自分の過去と決着をつけて前を向いて生きている蘭さん。
大勢の前で自分の気持ちを真っ直ぐに伝えた奏ちゃん。
そして、いつもはパッとしないけどここ一番の時は誰よりも格好いい天。
……みんなの顔を思い浮かべると、私は自然とお母さんの抱擁から逃れていた。
「……ありがとう、お母さん。……大好きだよ。バイバイ」
私は玄関へ飛び出る。そして、エレベーターに乗り込む。幸せの匂いが、感触がまだ残っている。AWは私にとって優し過ぎる毒だ。私は、ぼんやりとお母さんの顔を思い浮かべながら1Fのボタンを押す。お母さんの優しい声色が繰り返される。別れを惜しむように静かにエレベーターは動き出した。
マンションのエントランスへたどり着く。エレベーターの扉が開くと、目の前にはお父さんがいた。
「……愛。……そろそろ来ると思っていた」
お父さんは何も言わずソファに座る。私も向かい合うように腰かけた。
「まさか奏と知り合って、あんな大事をしでかすとは父さんびっくりしたぞ」
「お父さんの娘だもん。行動力、遺伝したんだね」
「……それでも父さんはAWにいたいと思うんだ。ほら、そろそろご飯も出来たころだろうし、一緒に食べに行こう」
お父さんは立ち上がりエレベーターに乗ろうとする。お父さんの手を握る。強く、握る。
「待ってよ、お父さん」
お父さんに聞きたいことは山ほどあった。責めたいことも、伝えたいことも。……なのに。幸せそうに笑うお父さんの顔を見た瞬間、全部、喉の奥で詰まってしまった。
「お父さんが、AWを発明してくれたのって私のためだったんだよね? 私、お母さんが死んじゃった後、ずっと落ち込んでたからお父さんは頑張ってくれてたんだよね」
私もお母さんのことが大好きだった。お母さんが死んでから、私もお父さんもぽっかりと大きな穴が開いてしまったかのように喪失感を受け入れずにいた。
「それなのに、私、AWは偽物とか酷いこと言ってごめんなさい」
お父さんは静かに聞いてくれている。
「お父さんが言う通り、現実がどうしようもなくてAWで救われている人はいるんだと思う。だけど、全員がどうしようもない状態ではないよね?」
「それはお前の物差しで測っているだけだろう。誰だって出来ることなら辛いことは避けたいと思っている」
「だから、AWに行って辛いこと全部なく過ごすっていうの?」
お父さんの蒼い目が私を射抜くように見てくる。
「現実は面倒だ。別れもある。争いもある。悲しいことも山ほどある」
「楽しいことも、気持ちが温かくなることも、喜びを分かち合えることも同じくらいあるよ」
「現実はAIに全部任せればいい。みんながAWへ来ればそれで解決するのに、なぜ分からないんだ」
「……会場の様子見たら分かったでしょ。誰一人、楽な方を選ばなかった。みんな、現実を生きようとしている」
ブォンッ……。
翔さんがやってくれたのだろう。エントランスの空間に青白い光が走る。空中へ無数の粒子が集まり、一枚の巨大な映像を形作った。録画映像が次々と切り替わる。虎が音響卓へ飛び込む。蓮が音響機材を操作する。天がマイクを取り戻す。天のお姉さんがプロデューサーへ食い下がる。蘭さんがみんなに指示を飛ばす。奏ちゃんが涙をこらえながら言葉を届ける。そして、私とお母さんのお別れのシーン。
……みんなの必死な姿が映し出されていた。
『……誠一?』
姿はない。だけど翔さんの声が脳内で直接流れるような不思議な感覚で聞こえてくる。
『AWに保存されていた意識が……自分の体へ戻り始めてる』
「なんだと……?」
『……もう答えは出てるんじゃないか、誠一』
お父さんは両手で頭を抱え、静かに項垂れる。声が、震えている。
「なぜ……なぜだ。自ら選んでAWへ来たはずなのに、なぜ、わざわざ辛い道を選ぶ」
『現実は辛いだけじゃない。……誠一も、もう分っているだろう? 戻ってこい』
「今更……、俺が現実に戻れるわけないじゃないか」
「でも、それでも私はお父さんと現実を生きたいの。お父さん。お母さんの最期の言葉覚えてる?」
「……覚えているとも」
私とお父さんは目を合わせる。
「「辛くても、悲しくても、苦しくても現実を生きて。きっと未来は素敵だから」」
眩い光が辺り一帯を包み込む。
「お母さんの言いつけを守ろう?」
「……だが。示しがつかないじゃないか」
お父さんは静かに涙をこぼす。しばらく沈黙が流れた。そして。
「母さんはもう……いないんだな」
「ううん。いるよ。お母さんが好きだった料理も、お母さんの口癖も、お母さんが私たちに残した言葉も、全部残ってる」
お父さんは顔を伏せる。嗚咽がとめどなく聞こえる。
「愛はこんな情けないお父さんでもまだお父さんだと呼んでくれるのかい?」
「当たり前じゃない。どんなお父さんでも、この世でたった一人のお父さんだよ」
「……今まで、すまなかった」
「おかえり。お父さん」
だけど、やっと分かり合えた。長い長い親子喧嘩がようやく終わった。光の中でお母さんが微笑んでいるのが見えた気がした。もう、大丈夫。心配しないでね。これからもどこかで見守っていてね。




