第38話 現実か、AWか
【天】
都内のカフェテラス。俺と蓮は、愛と愛のお父さんが来る前に入店していた。往来が多く、賑やかなお店だ。見晴らしもいい。日が沈み、各店舗の電気が煌々とついている。飲食店から食欲をそそる良い匂いが漂う。蓮は本を読みながらホットコーヒーを飲んでいつもと変わらない様子。
「蓮、落ち着いているな」
「ソワソワしても仕方ないだろう。天は落ち着きなさすぎだ」
蓮の冷静さがうらやましい。カフェテラスで食事をしている人、テラス前を通る人。もしかしたら、AIで急に襲い掛かってきたりするのではないか。そんなことを考えたらどうも落ち着くことが出来なかった。
「嵐山と虎AIはもういないんだ。急に襲ってくるという可能性は低いだろう」
「でも、愛のお父さんが来るんだぞ? 強めのAIを引き連れてくるとかありそうじゃないか?」
「もし、僕たちを襲うことが目的ならあちら側から会う場所を指定してくるだろ。翔さんの言うように、人目のつくところでは大きなことはできない。アイコーポは人々に疑心を持たれることを今一番したくないはずだから」
蓮は確信を持ったように話す。夜風が頬を撫で、冷やりとする。さっき頼んだホットラテを一口啜る。
『天は心配症だな』
左耳にはめたイヤホンから翔さんの低い声が聞こえる。
「みんなに危険な目に遭ってほしくないんですよ。俺、虎みたいに戦えないし」
『もし何かあったら、俺がすぐ車で駆けつける。ほどほどな緊張感で愛ちゃんを見守っていてくれ』
「……来た」
蓮が本に目を落としたまま、一言呟く。愛は作戦通り俺たちのテーブルから二卓ほど離れた場所に座る。……あれが、愛のお父さん。
翔さんとは対照的で、そこにいるだけで存在感がある。髪の毛はワックスで整えられ清潔感あふれる顔貌。高級感あふれるスーツを着こなし、愛が着席するときには椅子を引き、スマート。だけど、優しそうな笑みを浮かべ、どこにでもいそうな父親にも見えて不思議な印象だった。
「久しぶりだな。こういうところに一緒に来るの」
「……なんで、急に会おうなんて言ってきたの?」
「いきなり本題か。もう少し雑談を楽しむでもいいんじゃないか?」
愛のお父さんは苦笑いをしている。
「まぁ、いいさ」
愛のお父さんはテーブルに肘をつき、両手を組む。一気にその場が引き締まるのが分かった。
「AWへ来ないんだな」
「行かない」
愛は、即答している。ここの席からだと丁度愛の後ろ姿しか見えず表情は確認できないがいつもの凛とした表情で言っているのだろう。
「即答か。やはり、愛はAWがまやかしだというのか?」
「まやかし……。そう思ってたけど。今は少し違う」
「AWへ来た人間は戻ろうとしない。それが満足度を示している」
愛のお父さんは、口角を少し上げながら話している。が、目は全く笑っていない。
「愛。やはりAWは正解なんだ。人々が自ら選択し、自らAWへ来ている。それ以上の証明があるか?」
「お父さんはそう思ってるんだね。……でも、私はAWが必ずしも正解だとは思わない」
愛のお父さんの目つきが鋭くなる。
「翔さんと一緒にアイコーポのハードディスクを壊してから、いろんなことがあった。怖かった。苦しかった。泣いた日もあった。でも、それ以上に──。幸せだって思った」
蓮は本をめくる指を止める。翔さんは何もしゃべらない。俺も、愛の一言一言を聞き逃さないように聞き入っていた。
「一緒に怒ってくれる人がいて。一緒に泣いてくれる人がいて。私を本気で心配してくれる人がいて。家族じゃないのに、家族みたいな人たちに出会えた。これは、AWにいたら見つけられなかった」
「だから私は、現実を生きる」
「……そうか。愛。お前は現実で幸せを見つけたんだな。だが、それはお前だからだ」
一陣の冷たい風が通り過ぎる。愛と、愛のお父さんの髪の毛が揺れている。愛のお父さんは表情一つ変えずに愛を見つめ続けている。
「現実で幸せになれた人間だけが、現実を肯定できる。現実で苦しみ続けている人間はどうする? 家族を失った者は? 虐待された子は? 病気で苦しみ続ける者は? 生きる理由を失った者は? その人達にも、お前は現実を生きろと言うのか?」
愛は言葉を詰まらせる。否定できない。実際そういう人もいる。だからAWは危険なんだ。人にとって甘い、毒のようなものだ。愛と愛のお父さんはテーブル越しに、しばらく静かに見つめ合う。
「奏を匿っているんだろう? 隠さなくていい。見当はついている。奏を使って何かしでかすつもりだろう」
愛のお父さんは立ち上がり、テーブルに両手をつき、愛に顔を近づける。そして。満面の、笑み。
「現実かAWか。人々に決めてもらおうじゃないか。舞台は整っているだろう?」
俺たちはもう引き返せない。もう進むしかない。アイコーポと言う大企業を相手にするなんて、少し前の俺じゃ考えられなかった。でも、俺は。今の状況を全く怖いと感じなかった。
——明日。世界の命運が、決まる。




