第24話 溢れる思い
【天】
何時間たっただろう。いつのまにか寝ていたようだ。
「……天?」
控えめなノックの音と共に母さんが現れた。疲れ切っている顔をしていた。最近、特に仕事が忙しいようで、夜遅くに帰ってくることが多い。
家でもパソコンで仕事をしているのをよく見かける。母さんはいつ、休むことが出来ているんだろう。
「ごめんね、今日も行けなくて」
「別に」
俺は自分の感情が制御できなくて、再び布団に包まり壁の方を向く。……こうでもしないと酷い言葉をかけてしまいそうになるから。頭の中は醜い言葉でいっぱいになっていた。
「また今度、行くから」
「また今度……? はは」
俺は母さんと向き合う。久しぶりにちゃんと正面から見た母さんは、やつれきっていた。ずるい。ずるいよ。母さん。母さんがそんな顔するから俺はいつも言いたいこと言えないんだよ……!
「また今度っていつだよ!?」
ダメだって。言っちゃダメだって……! 俺の中の理性がブレーキをかけるけど、もうそんなブレーキ程度じゃ俺の思いは止まらなかった。
「母さんはいつもそうだよ! 俺の気持ちなんて全然考えてくれない! 俺が何回、何十回一人きりの教室で母さんを待ってたと思うんだよ!」
母さんは、時が止まったかのように微動だにしない。
「その度に思っちゃうんだよ。俺も父さんがいれば普通の幸せな生活を送れたのにって……! でも、そう思う自分が嫌で嫌で嫌で嫌で!!」
頭の中の黒い感情が全て出ていきたがっていて止まらない。
「父さんは何で人を助けたんだよ……! あの人を助けなかったら父さんは今も生きていられたのに! 父さんは俺たちより、赤の他人の方が大事だったんだ!!」
パチンッ!
乾いた音が俺の部屋に響いた。一瞬何が起こったのか理解できない。頬が痛くなってきたのに気づき、ようやく母さんが俺を叩いたことに理解が追い付いた。
「父さんを悪く言うのはやめなさい! 父さんはいつだって私たちのことを考えてたわ! 母さんだって天の気持ちを考えてないわけないじゃない!」
「……母さんに何が分かるんだよ。いつも家にいないくせにこんな時だけ母親面すんな!!」
俺は部屋を飛び出る。扉を開けるとそこには姉ちゃんがいた。
「天……」
「……っ」
姉ちゃんは悲しそうな顔をしていた。かなり大きな声を出していた。全て聞こえてたんだろう。
バタンッ
家を飛び出る。
俺は走った。走って、走って。逃げるように走り続けた。涙で顔をべちゃべちゃにさせながら。何もかも最低だって叫びそうになりながら走り続けた。
……夢中になって走り続けていたら、河川敷についた。今は何時くらいだろう。八時とか九時なのかな。誰もいない。
俺の粗い呼吸音と、川の流れる音だけが聞こえる。川の流れを聞いていると少しずつ冷静になってくるのが分かった。
「俺……母さんに……なんてことを……」
頭を抱えて、しゃがみこむ。母さんは悪くない。父さんも悪くない。みんな……悪くない。それなのになんで俺は。俺が我慢すれば幸せの形は崩れなかったのに。
「天……!」
「……奏?」
息を切らしている奏が遠くから手を振って近づいてくるのが見えた。
「天の部屋から大きな声聞こえ、て! 物音も聞こえてきたから……、何事か! と!」
「呼吸整ってからでいいぞ」
俺はマンションに住んでいて、奏は俺の住居の一つ上に住んでいる。心配になって、俺の家に来たところ姉ちゃんと鉢合わせになったという感じだろう。
「お姉さんも天のこと探しに行ってるんだよ」
「よくここだって分かったな」
「天の考えていることはお見通しだよ」
俺の隣に座る奏。何を言うでもなく隣にいてくれている。
「母さんと喧嘩した。酷いこと言った」
「うん」
「俺、最低だ……」
「天がお母さんと喧嘩するの初めてだよね」
「あぁ」
「仲直りしたいの?」
「出来ないと思う。それくらい酷いことを言った」
俺は膝を抱えて顔をうずめる。隣にいる奏が、うーん、と何かを考えているような声を出していた。
「天、私と大喧嘩したの覚えている?」
「……覚えてる。あれは奏が悪い」
「いや、天が悪かった!」
「奏だろ!」
お互い声が大きくなったところで、我に返る。
「あの時は一週間くらい口をきかなかったよね」
「……蓮が珍しく気まずそうにしていたよな」
「それでも仲直りできた」
「……」
「私と天が仲直りできたんだもん。親子が仲直りできないわけないじゃない」
「それも、そうか」
「そうだよ。だから、ちゃんと話しておいで」
奏は両手でガッツポーズをしている。その姿を見て、さっきまで落ち込んでいたのが少し前向きになれた。
「じゃ、帰ろっか!」
奏は立ち上がり、俺に手を差し伸べてくれる。
「ありがとう」
奏に引っ張られるような形で俺も立ち上がる。大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせる。奏はマンションにつくまで俺が不安にならないようにと会話に花を咲かせてくれた。
……でも、なんだろう。この、肌にべとりと纏わりつくような不快感は。
マンションのエントランス部につくと、姉ちゃんが待っていた。
「天! もう……心配したよ」
「ごめん」
「奏ちゃん、ありがとうね」
「私は何もしてないですよ。天、がんばってね!」
一緒にエレベーターに乗り、俺と姉ちゃんは先に降りる。奏がまたガッツポーズをしていたので、笑えて来た。
「お姉ちゃんもね。天と同じで周りと比べちゃって、しんどくなったときあったよ」
「……姉ちゃんも?」
「うん。なんで、とか。どうして、とか。……仕方ないのは分かってるんだけど、思うのはやめられないよね」
「うん……」
ビシッ
「痛ッ!」
「それでも! 今回のことはお母さんと天でいっぱい話し合うこと! それで……」
姉ちゃんはニヤリと笑う。
「最後は絶対に仲直りすること。いいね?」
「分かったよ」
姉ちゃんが玄関の扉を開けてくれる。姉ちゃんが作ってくれたハンバーグの匂いがまだリビングに残っていた。晩御飯まだ食べてなかった。いっぱい走ったり喋ったからお腹すいたな。母さんと話してから食べよう。
違和感。
……静かだ。母さん、いないのかな。俺が帰ってきたら飛んでくるかと思ってたけど。いつまでも母さんは玄関に顔を出さない。
姉ちゃんも不思議に思ったのか、リビングの扉に手をかける。
ギィィ
リビングは、暗い。静か。
姉ちゃんがリビングへ入っていく。俺はその後姿を見つめていた。姉ちゃんは急ブレーキをかけたかのように体がピタリと止まる。
「……姉ちゃん?」
「天、ダメ」
「え……?」
母さんは心の病気の薬を普段から飲んでいたと姉ちゃんが言っていた。
「天は姉ちゃんが絶対に守るからね」
線香の匂い。
箱になって帰ってきた母さん。
母さんと父さんの写真が並んでいる。
何日経っただろう。何週間も経っているかもしれない。
学校へ通っている。みんな変わらずに生活している。……俺だけ、置いてかれている感じがする。抜け殻のような感じだ。何も思わないし、何も感じない。ただただ、時が過ぎていく。
ある日学校に行くと、俺の机の上に多量の本が置いていた。
「なにこれ」
「本だ」
「いや、分かるけど」
「天でも楽しめるような本だ。暇だろ? 読め」
「おはよ……。わっ、天まで読書するようになったの?」
「学校に着たら蓮が勝手に置いてた」
「慰め方が独特過ぎるよ……!」
蓮がいて、奏がいて、姉ちゃんがいる。俺の世界は続いている。
蓮と奏が言い合いをしている。いつもの光景だ。俺が、大好きな光景だ。
……母さん。
俺のせいで、俺が追い詰めたせいで、死んじゃったんだよな。
ごめん、ごめんなさい。
……いくら謝っても母さんは戻ってこない。母さんは許してくれない。
「天……?」
石のように固まった俺を奏は心配そうに見つめてくる。
「あ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」
「……無理に笑わなくていいんだよ?」
「……無理なんか」
「無理してるだろ」
俺は、困ったように笑う。あれ、笑うってどうやるんだっけ。
小さな穴が開いた風船のように、ふにゃふにゃと表情が安定しない。
顔を両手で押さえる。ぐちゃぐちゃにかき混ぜてみる。
「俺…………、分かんねぇ」
涙が一粒二粒流れたかと思えば、堰を切ったように止まらなくなってしまった。
「もう、分かんねぇよ……」
奏は俺のことを抱きしめる。ふわっと石鹸の匂いが香る。
「辛かったね。苦しかったね」
辛い……? 苦しい……?
「今までよく我慢できたね。今までよく頑張ったね。でも……。天が苦しそうなの、私もう見たくないよ」
「……」
「私も蓮もいる。だから、天が辛い時は私たちにもその辛いのを分けて? だって幼馴染でしょ?」
「俺……」
奏のことを力いっぱい抱きしめる。腹の奥から嗚咽が漏れ出る。
人目もはばからず泣いた。叫んだ。
俺は辛かった。苦しかった。悲しかった。この暗い感情をどうにかしたかった。
それを奏は分けてくれと言う。
……ああ。
そうか。
俺は、分かって欲しかっただけだったんだ。
奏がいて蓮がいる。楽しいことだけではなく辛いこともなんでも相談し合った。
大切な人たちをいつまでも守り続けたい。
守られてばかりの俺が、急に変われるだろうか。分からない。でも、変わりたい。
そう決心したんだ。この日に。




