第20話 虎と蘭
【蘭】
白い無機質な空間。
ベッドに虚ろな目をして横たわる少年。
——懐かしい記憶ね。
「蘭先生ー? 今日からこの子の経過を見て欲しいんだけど」
「……この子、意識の抽出に失敗した子じゃない」
「私的にはスクラップでいいんだけど。こういう失敗の仕方は初めてだから経過観察すれって上から言われてね。今までは失敗したらみんな死んでいたのにねー」
……下品な笑い声をあげて部屋を出ていく。
——下衆が。
扉を睨んでいると少年が話しかけてくる。
「……お兄さん、誰」
あまりにも弱弱しい声だった。小さい体。両腕にはいくつもの針の痕。電子カルテには今までの実験の記録が事細かく残っている。嵐山の記録ではスクラップ推奨なんて虫唾が走るようなことが書かれていた。
「……蘭っていうの。よろしくね」
私が手を差し出すと、その子は短い悲鳴を上げて丸くなってしまった。
……アイコーポ。日本を代表する大企業。それなのにやっていることは、こんなにも……。
怯える少年を見て私はただ見つめることしかできなかった。この小さい子どもにどれだけ酷いことをしたんだろう。私の想像以上のことが行われていたに違いない。
少年は私の動きをじっと見つめていることが多かった。その所作をすることしか認められていなかったのだろう。片時も目を離さないでいられるのも少し気恥ずかしさを感じる。
「そろそろお昼ごはんの時間ね。何か食べたいものはある?」
「食べたいもの?」
「ええ。何か好きなものはある?」
「……分かんねぇ」
「そう……」
カルテには十五歳という記録が残っていた。私が子どものころはオムライスとか、ハンバーグとかが好きだったかしら。
ただ、この子かなり痩せているのよね。今まで昏睡状態だったということを考えるとあまり消化器に負担をかけるような食べ物は避けた方が良いかしら。
「蘭の食ってるそれ、なんだ」
「……これ? そんな美味しいもんじゃないわよ」
仕事が忙しいと、つい昼ご飯を抜いてしまう。私の昼ごはんはいつも栄養ゼリーで済ませていた。でも、今は丁度良かったかもしれない。これなら虎も食べられる。
「いっぱいあるからどうぞ」
私は冷蔵庫の中から栄養ゼリーを取り出し、少年に渡す。
「……うめぇ」
「あなたは、ずっとここにいたの?」
光のない目で私のことを見つめる虎。表情が乏しくて何を考えているのか分からない。
「気づいたらここにいた」
「そう……」
「頭にかぶらされたりして、腕に針刺されて、一日中ベッドに寝かされたりしてた」
「……辛かったわね」
「辛い……?」
少年は、小首をかしげてきょとんとしていた。
そうか。ここでの生活しか知らないから、この子にとってそれが普通なのか。
「……? 手の平から血が出ているわ」
「気づかんかった」
「気づかなかったって……これ……」
ベッドシーツを真っ赤に染めるほどの流血。何をどうしたらこうなるの!?
虎の傍らに私が普段、仕事で使用しているメスが置かれていた。
「そのメスはどうしたの?」
「……蘭がさっき弄ってたから、気になった」
「これはね、メスと言って手術するときに使う道具なの。すごい切れ味だから触ったら危ないのよ」
「分かった」
「それより……痛くないの?」
「全然」
私は少年の手の平の切り傷を縫いながら、顔を伺う。
……全く痛がらない。眉一つ顰めない。まるで痛覚がないかのような反応だ。
「……終わりよ。シーツ取り替えないとね」
「痛くなくなったの嬉しいな」
「は……?」
「痛いことばかりだったから」
こんな小さな子がなんで、こんな思いをしなくちゃいけないの。
私は片手で口を押える。本来なら学校に行って同級生とふざけあったりして青春を楽しんでいるはずの子なのに。
いや、この子だけじゃない。たくさんの孤児たちが嵐山の実験道具として弄ばれている。それも、戸籍を持っていない子たちだけ。
何人も、何人も、何人も。私はその子たちの解剖を任されてきた。
だから私は……証拠を集めている。
アイコーポが、嵐山がこんなにも酷いことをしているという証拠を集めている。
それを公の場に公表して、この子のような目に遭う子をこれ以上出さないようにする。
今まで亡くなっていった子たちのためにも。
「蘭は、他の人とは違う」
「……ん?」
気分転換に、と。児童養護施設の庭に出て日光浴をしていた。そよ風に金色の柔らかい髪の毛が揺らぐ。
「叩かないし、大きな声も出さない」
「……それが普通なのよ」
「あと、分かんないんだけど。蘭と話してるとポカポカするんだ」
「……そう。それは温かい気持ちね」
「温かい……?」
「それより、あなた名前ってまだないわよね?」
「名前? AW-40……」
「違う違う、そうじゃなくて」
この子に今、何もないというのなら。
「そうね……」
私がいっぱい愛して。
「虎、なんてどう?」
温かいで満たしてあげよう。
虎はアイコーポ内の私の仕事場で生活するようになった。
本来であれば、年が同じくらいの子たちと共に生活するのが一番なんだろうけれど、虎は集団生活が苦手のようだった。
「……虎。すれ違う人を威嚇しないの」
「してねぇ」
とにかく警戒心が強い。物音ひとつ過剰に反応する。……嵐山から受けてきた仕打ちのことを考えると仕方ないのかもしれない。
「さぁ、お昼ごはんも食べたことだし、私の仕事場に戻りましょ」
「明日は、かつ丼が食いてぇな」
「はいはい」
虎と関わってから数か月が経とうとしていた。少しずつ一般常識を身に着けていけている。
カンッ!
「ひっ!!」
「……他人にメスを投げない」
「通行の邪魔だったんだよ」
「何のために口がついているのか勉強しましょうか?」
「めんどくせーな」
私に慣れてきたということで軽口を叩けるようになったのは嬉しいことなんだと思う。
メスに関しては、持ち歩くなと何度も言ったけど気づけばポケットに忍ばしているので危ない。
最近では説得を諦めてポーチをプレゼントしてあげた。
「……これから嵐山管理者のところに呼び出されているから、虎は待っていてね」
「……オレも行く」
「どうして? 虎も嵐山管理者嫌いでしょう?」
「蘭が悲しい顔するから、行く」
嵐山の顔なんて二度と見たくないでしょうに。それなのに虎は頑なについてくると言って聞かない。
やれやれ、と思っていたら急に私の仕事場の扉が開いた。
「蘭先生ー? お邪魔します。遅いので来ちゃいましたー」
……うるさいのが来たわね。
「そっちのスクラップ君も元気してる?」
「虎、よ。ちゃんと名前で呼んで」
「蘭先生ー。実験体に名前なんていらないでしょ?」
「この子は人間よ。それにもう実験体じゃない」
「そんな情を入れちゃうと、また切れなくなっちゃいますよ? 元、天才外科医 千歳蘭せんせぇ?」
カンッ!
虎がメスを投げつける。嵐山の頬に赤い線が一筋。数秒後、血が滴り落ちる。
「痛ーい。人間って主張するならちゃんと躾してくださいよ」
「出ていけよ。お前んことは嫌いだ」
「はぁ。スクラップ君。蘭先生はね? アイコーポでしか働けないの。あんたが問題起こしたら生きていけなくなっちゃうのよー?」
「蘭はすげぇ奴だからそんなことねぇ」
「あら、スクラップ君は知らないんだ。蘭先生が患者さん死なせた話」
……嵐山は触れられたくない傷を抉るのが得意ね。
私がまだ外科医として病院勤めしていた頃。自分で言うのもなんだけれど、手術がかなり上手だった。
けれど、ある日の手術中、判断を間違え患者さんを死なせてしまった。
その日以降から、メスを握ると手が震えるようになってしまったという不甲斐ない話だ。
「だから何だってんだ。蘭がすげぇのは変わんねぇ」
「虎……」
「蘭は、解剖中ずっと話しかけてる。オレみてぇに怖い思いをしてきた子かも知れねえから、これ以上怖くないようにって」
解剖する子たちは戸籍がない。
きっと親の温かみだとか、友達がいることの楽しさとか味わえなかった子たち。
だから、せめて。私といる時間は少しでも楽しい思いをして欲しくてお話ししながらメスを入れている。
例え、死体であっても。
「んで、いつも泣きながらやってんだ。辛いなら辞めれよって言っても辞めねぇ。ここで逃げたら負けだって言って」
虎は、目に光を灯らせて力強く嵐山に言い切る。
「蘭はすげぇ奴なんだ」
「あーもう。もう少し話ができるようにしてくれないとつまんないわ。興醒めしたので、また出直します。バイバーイ」
そういうと嵐山は私の仕事場から出ていった。
私は虎を見つめる。虎はこの時、初めて笑顔を見せてくれたんだったわね。
「嫌なやつ追い返したぞ」
——。
「う……」
体中が痛い。どこかを動かそうとすると全身に痛みが走る。瞬きしか出来ない状態だ。匂い、天井、静寂。
……ここは私のクリニック? ようやく自分が置かれている状況が整理出来てきた。
「……?」
お腹辺りに重みを感じる。首だけを動かしてその重みが何なのか確かめる。
「虎……?」
私のお腹で虎が寝ている。……どういうこと?
「お。目覚めましたか」
長身の男が傍にやってくる。
「……翔?」
ますます状況が掴めなく、怪訝そうな表情を浮かべてしまった。
「虎……必死に、蘭さんのことを助けてたんですよ」
「助け……?」
起き上がろうとするとまた激痛。私、怪我をしている?
「おっと。重症なんだから起き上がるな。さっきまで手術してたんですよ」
「手術? だれが、だれを?」
「虎が、蘭さんを」
この男は冗談でも言っているのだろうか。虎がそんな器用なこと出来るわけない。でも、この体の痛さと記憶の不確かさは一体……。
「麻酔で記憶飛んでるのか? 校長の攻撃で蘭さん死にかけてたんですよ」
「……!」
その言葉でようやく記憶がつながった。
虎は無事なの!?
痛む体に鞭を打って虎の顔をよく見る。
「虎は無事だよ。全く、愛だねぇ」
ほっと胸を撫でおろし、虎の頭を撫でる。愛らしい吊り目が見開いたのが見えた。
「痛……っ!」
虎は目を覚まし、勢いよく私に抱き着いてくる。座っていた椅子は勢い余って床に倒れる。その様子を見て翔はどこかに行ってしまった。
「ちょっと、虎……痛いわよ」
「……」
喋らない、虎。
「え? 虎?」
私の胸にうずくまって動かない。
「あったけぇ」
「……そうね。あったかい」
ドクドクと互いの鼓動が交互に聞こえる。
「……どこにも行かないで。蘭」
「行くわけないじゃない」
虎をぎゅっと抱きしめ返す。あの時と比べて少しだけ逞しくなった体。私の大事な大事な。
「……バカ息子っ」




