第6話 目標設定
部屋に戻った私を、リグレットの元気な声が出迎えた。
「おかえり! エフ!」
私の顔を見て、リグレットは顔をぱっと輝かせる。
「ええ、ただいま戻りました」
「それで……! えっと……!」
リグレットは、激しくソワソワとしている。……気になるのだろう。さっきの音――私が扉を破壊した時の音が。
……実際、リグレットはよく我慢して、私の指示を守ってくれた。別に隠すことでもないので、その音の正体を教える。
「先ほどの音は……私が食糧保管庫の扉を、破壊した音です。これをどうぞ」
言いながら、手に持っていた水のボトルを差しだす。
「……おみず! リグ、のどかわいてた!」
「知ってます。だから持ってきました。それで、お腹はどれくらい空いていますか?」
「んー……リグ、おなかすいてない」
「……そうですか?」
予想外の答えを返すリグレットに、少し驚く。そんな私の様子を察したのか、リグレットは「さっき、おなかいっぱいたべたの!」と、言葉を続けた。
つまり、この施設から外に出る前に――私と出会う直前に、お腹いっぱいまで食べていた。と、言うことだろう。
――思い返してみると、私と出会ってから、まだ三時間は経っていないだろう。リグレットが、私と出会う前にどれほど外を出歩いたのかは分からないが、もしすぐに私を発見したのであれば、前回の食事から三時間――長くても、四時間ほどしか経過していないことになる。であれば確かに、激しい空腹などは無いだろう。
「いつもはね? いっぱいたべちゃダメっていわれるけど……いまは、いわれないから!」
リグレットは嬉しそうに話す。やはり食事を満足いくまで食べると言うのは、人間にとって、一つの幸福の形なのだろうと思う。――食事を必要としない私には、分からないことだが。
――さて、子供の食事量は、どの程度だっただろうか? よく食べるとも聞いたことがあるし、胃の容量が小さいのだから必然、少量だとも聞いたことがある。……男児はよく食べ、女児は少ないだったか? ――いや、まあ、結局は個人差という、身も蓋もない結論に落ち着くのであろうが。
直感としては、人間の体は栄養が必要であるから、成長途中である子供には、よく食べさせるべきではないかと思う。だが、過剰に食べるのは内臓に負担がかかるとも言う。……このあたりの詳細な知識については、私は専門の人造人間の型でないので分からない。
今言えるのは――リグレットが不自由を感じることなく、快適に過ごすには、食料の安定した貯蓄が必須だろう。と、言うことだ。
リグレットの発言から、施設で暮らしていた普段の、節制した食事の量では、足りていなかった事が分かる。よって、リグレットが「足りない」と不満を感じない程度には、量を出せるよう、食料を確保する必要がある。
……その量が、あまりにも多いようなら、また考えなくてはいけないが。
私はリグレットの「お腹いっぱい」の食事量を推測するべく、ローテーブルに目を向ける。そこに散乱している食事の残骸から、予測を立ててみる。
――――結果、それほど量は多くなさそうだと、一安心する。
リグレットはこの施設に独り取り残されたと気付いてからも、数日は規則を守り、建物の外には出ていない。
その数日分、お腹いっぱいまで食べてあの量であれば、多いと言うほどではない。――むしろ、少ない方だろう。
加えて、リグレットが食していたのは、調理不要で食べられる、加工された簡易食だ。
食糧保管庫にあった食材は調理が必要だが、腹持ちという観点で見ると、簡易食より、ずっと良いはずだ。そのことも加味すると、保管庫の分だけで、かなりの日数分になるかもしれない。
想定以上に、食料事情は旗色が良い。そう結論づけてもいいだろう。
――だが、問題は水だ。
リグレットの手元を見ると、先ほど渡したボトルの四分の一は、既に消えている。人間の体は、『水無し』『食料無し』では、『水無し』の方が早くに限界を迎える。
現在、見つかった水は一箱分。一箱に二十四本のボトルが入っており、今その内の一本を、リグレットに渡した。つまり、残りは二十三本である。
一日一本では少なすぎる。最低でも二本。調理や洗浄などの生活用水としても使うとなると――――リミットは、七日と言ったところか。
節水を徹底すれば、十日は耐えるかもしれないが……三日増えたところで、問題の先延ばしにしかならない。七日以内に、ある程度の水を確保する必要があるだろう。
食事を与えながら、リグレットと今後の予定を決めていくつもりであったが……今、食事は必要ないと言うのであればこのまま、今後の話を始めるとしよう。
「いいですか、リグレット。これからどうするか、その話を今からします」
私はそう言ってから、今後の予定について話す。
まず、リグレットの魔力で、私のエネルギーを回復すること。
このことには、リグレットから特に意見もなく。代わりに「任せて!」と、心強い返事があった。
私のエネルギーが回復したら、探索をし、物資や情報を集める。この段階で、水の貯蓄を安定させるのが目標だ。次いで食料や、この町の外の情報、ひいては、現在の世界情勢について知ることができればと考えている。
そして、最終的に目指す場所としては――――悩んだが、エネギリアの首都を目指すと、リグレットには伝えた。
私は、自分の国が分からない。だから今、目的地として挙げられるのが、『エネギリア』の名前しかないと言うのが理由だ。
もちろん、そのまま目指すわけにはいかないだろう。
私は自国については分からないが、少なくとも、エネギリアに属してはいなかった。それだけは分かっている。
……属していないどころか、それが唯一記憶にあった情報と言ってもいいくらい、激しく敵対していたようで――もちろん、今の私にその自覚は無いが――そのまま首都に出向こうものなら、間違いなく手荒い歓迎を受けることになるだろう。
私だけならそれでも、情報を得るためだ。受け入れる覚悟がある。――だが、私と行動を共にしているリグレットも、危うい目に会うのは間違いない。
…………それは、避けなくてはいけない。でなければ……リグレットがあまりにも報われないと思う。
――まあ、色々と考えはしたが、いつも通り、この辺りは今考えても意味が無いのだ。
つまりは、ただ無目的にこの世界を放浪すると言うのも締まらないので、仮の目標として、今は、『エネギリアを目指す』。そういう事にする。それだけの話だ。
探索の過程で得た情報で、案外あっさりと、私の国について分かるかもしれない。
世界情勢が私の想定とは、まるっきり変わっているかもしれない。
情報を得てからは、その時また考えることになるだろう。
「リグレットは、何かありますか?」
「うーん……えっとねー……」
リグレットの意向を確認しておくことは、非常に重要だ。何せこの世界は、もちろんまだ確定はしていないものの――滅んでいる可能性が高い。
よって、今から平和であった時代のような、『普通の生活』が送れるという事は、期待できないだろう。社会構造も、人間の営みも、破壊し尽くされている。
いずれは元通りになるかもしれないが、それはずっと先の話で。リグレットはこれからの長い人生を、この世界で、生きていく必要がある。
――人間には、生きる理由が必要だ。
何もすることが無く、何もできず、興味も持てず。ただ体の生命活動が止まっていないから、生きている。――そんな状態では、人間の『生きる』という行為は、成立しない……と、私は思う。
生きている理由なんてものは、なんでもいい。美味しいものが食べたいとか、大切な人と過ごしたいとか……ああ、いや……どれもこの世界では厳しいが……ともかく。
リグレットがこの世界を生きていくには、いくら水や食料が潤沢に集まったとしても、不十分だ。そうではなく、リグレット自身の、生きる理由が必要だ。
――生きる理由を持つ人間は、強い。私は本当に、そう思う。
「……難しく考えずとも、例えばやりたいことなど……何でもいいのですが」
それに、そういった目標があれば――私と別れた後も、リグレットは空っぽにならずに済むだろうと思う。
私とリグレットは、絶対に相容れない存在だ。必ず、別れが来る。これは、確定事項だ。
……まだ幼いリグレットに、いきなり「生きる目標を決めろ」と言うのは、少し難しい話だったかもしれない。普通、こういったことについて、多くの人間は、思春期の頃に、盛大に悩むものだ。なんなら、いつまでも先延ばしにして、いまいちピンとこないまま、惰性で過ごして……過ごせてしまう場合も、少なくないと言う。
――リグレットをあちこち連れ出して、興味がありそうな物を、探索のついでに探すと言うのも、いいかもしれない。
私の中で、そう思考がまとまった、その瞬間だった。
「うーん……あっ! じゃあリグ――」
続く言葉は――想定外ではない。むしろ、それがリグレットの口から出たのは、当たり前すぎるくらいで。
だが、絶望的な衝撃を、私に与える言葉で。
「リグ、ママにあいたい!」
幼い子供として、当然の欲求。だが同時に、叶えるのは難しい願いでもある。
「……そうですね。では、それも目標に追加しておきましょう」
「うん! ……あっ! エフがおそらをとんでさ? びゅーって、うえからさがせば、ママ、みつかるかな?」
分かっていたことだ。リグレットにとって、母親の存在は大きい。
今その存在を否定するのは、あまりに酷だろう。実際、どこかの避難所などで、生きている可能性もゼロではない。
だが、そうでなかった場合。
その時にリグレットが感じる絶望を思うと、居心地の悪い気分になる。
――――なぜなら、その原因が、私である可能性があるのだから。




