第11話 『しあわせにっき』
――見覚えは……ない。
ひとまず、安堵する。
ここでもし、例えばエネギリアの政治家だとか。私の記憶に殺害ターゲットと記録されている人物――直接、手を下した人物でも写っていようものなら。それはちょっと、どうしていいか分からなくなっていたことだろう。
今度は、先ほどよりも安心して。写真に目を向け、改めて、その写真を子細に観察する。
リグレットを抱きかかえて笑う、はっきりと、異国人と言った雰囲気の女性。その輝く金髪や、青い目。リグレットが成長すると、このような感じになるのか。そう思うほど、よく似た親子だと思った。
――父親の姿は写っていない。
複雑な家庭の事情かもしれないし、そうでなくても、戦時中だ。……とにかく、追及することではないだろう。思い返せば、リグレットの口から、父親の話は一度も出ていない。
「これね? リグのたからものなの! エフにみせてあげる!」
「……ありがとうございます。すてきなお母さんですね」
「うん! ママはね? やさしくて、リグのこといっぱいほめてくれて……」
リグレットが嬉しそうに喋りはじめた、その時――。
少し強い風が吹き、手元がおろそかになっていたリグレットから、写真を巻き上げた。
「あっ……」
聞くだけで胸が痛む、悲痛な声を、リグレットが漏らす。
――――大きなエネルギーの消費は避けたかったが、今は、写真が優先か。
あれは今の――リグレットの『生きる希望』と言っていい。
私はリグレットから素早く距離を取って、跳躍。ヒラヒラと写真が動くので、『超人的機能』の内『飛行機能』を解放し、滞空。位置を微調整。写真の軌道を読み、一直線に、その軌道上へと加速する。
宙を舞う写真を、丁寧に捕らえる。
『飛行機能』を解除。落下位置に気を付けながら、ジェットパックで勢いを殺し、着地。
手元の写真を確認。――破れたりはしていないようだ。一安心する。
「リグレ――」
「エフッ!」
喋りだした私に、まるで巡航ミサイルのような勢いで、リグレットが突っ込んで来る。……ぶつかったリグレット自身が怪我をしないか、心配な威力だ。
「ありがと……! エフ、エフ……! ありが、と……!」
グリグリと顔を押し付けながら、リグレットがそう言い続けた。
「……写真は、大切な思い出です。風に飛ばされないように、しっかりと持っておくんですよ」
そんなリグレットの頭を撫でながら、落ち着かせて。
私はリグレットの、その小さな手に、しっかりと写真を握らせた。
私から写真を受け取ったリグレットは、その写真を鞄にしまった。
――鞄にしまった。鞄にしまったのだが……。
「……リグレット」
不思議そうに私を見上げる、リグレット。
「その……写真は、何かに挟むなどした方が……いいと思いますよ」
「はさむ?」
――そう、リグレットは写真を、そのまま鞄に入れたのだった。一時的に入れておく程度ならともかく、このまま数日過ごしていれば、きっと鞄の底から――実際、先ほどはずいぶんとかき回した挙句、鞄の底の方まで腕を突っ込んでいた気がする。――クシャクシャになった写真が発掘されることになるだろう。
「そうですね、例えば……本とか、手帳とか。何か、無いですか?」
「ん……あるよ!」
そう言って、リグレットが鞄から、一冊の本を取り出す
表紙には、小さな日記帳を胸に抱いた、金髪の女の子が笑っている。というイラストが描かれていた。
本のタイトルは『しあわせにっき』。まるまるとした文字で、イラストも相まって、子供向けの絵本なのだろうと察しがつく。
「絵本、ですか?」
「うん! リグね、このえほん、すき! このえほんもね、たからもの!」
残念ながら、私に絵本の知識は一切ない。――もちろん言葉や概念、作品の傾向だとか、『絵本』については知っているが、子供向けの名作ですら、一つも挙げることができない。
よって当然、この『しあわせにっき』という絵本も、全く知らないものであった。
「どういったお話なのですか?」
「えっとねー……あっ! ねぇねぇ! じゃあね? リグがエフに、よんであげる!」
そう言うとリグレットは、いそいそと絵本を開いたが――。
――先ほどよりは、優しい風が吹く。
それでリグレットは大げさにパタンと絵本を閉じて、右手に握ったままの写真といっしょに、胸に抱いた。
「風も出てきましたし、部屋に戻りましょうか」
「うん!」
忘れないうちに、と。リグレットに指示を出し、母親の写真を、絵本の裏表紙をめくったすぐのページ――どこのページでもいいのだが――に挟ませて、鞄にしまう。
それから私とリグレットは手を繋いで、拠点の地下の部屋へと戻った
*****
散歩から戻ったのは、昼過ぎだった。昨日リグレットが寝たのは深夜であったため、そもそもの今日の活動開始時間が、ちょっと遅めの朝だったのだ。
夕食までの時間、リグレットは先ほど外で話していた、絵本の読み聞かせ。それがやりたいらしかった。
別に断る理由もない。それに、むしろ内容は気になるところだ。
もちろん、エンタメ的な評価をしようというわけではなく。私は、子供は、影響を受けやすいということを知っている。つまりは、素直なのだ。
リグレットにとって、この絵本が写真と同じくらいの宝物である場合、リグレットの行動規範などは、この絵本から多大な影響を受けている可能性が高い。
要するに、この絵本を知ることで、リグレットの内面に少し触れることができるかもしれない。だからこれは、非常に重要な情報収集なのである。
たかが絵本に対する熱量ではないなと、内心思いながら、読み聞かせの準備を始めているリグレットを見ていると――。
「エフ! そこ、すわって!」
リグレットに、ベッドに座るように指示を受けたので、その通りにする。
すると――。
「……リグレット?」
「えへへ! えっとね? よくね、リグ、こーやってママに、えほんよんであげたの!」
リグレットが私の膝の上にのってきて、後頭部を、私の胸のあたりに預けてくる。
――私は『少女型』であり、もちろんリグレットよりも大きいが。それでも大人と子供というほどの身長差はない。よってリグレットの頭のてっぺんが、私の顎の下にギリギリ収まるといった感じだ。
リグレットは逆に窮屈ではないかと思ったが、「じゃあ、よむよ!」と、ご機嫌であった。
……この位置関係だと、私は頭を横に倒さないと、絵本の文字が追えないのだが……。
たどたどしく始まる朗読に耳を傾けながら、頭も横に傾け、絵本の文字を視線で追いかける。たまにリグレットが動くので、落ちないように、お腹のあたりに手を回して支える。
そんな状態で終わりまで聞いた、『しあわせにっき』は、大体、こんな話であった。
――――――
ある日、一人の女の子が神様から、願いの叶う日記帳を貰った。女の子は喜んでそこに「お菓子をいっぱい食べたい」「新しいお洋服が欲しい」と、ワガママなお願いを書き込んだ。しかし、それらの願いはいつまでも叶わなかった。女の子は、日記帳は嘘だと思い、机の引き出しの奥にしまった。
そんなある日、女の子の母親が、指輪を失くしてしまい、とても困っていた。その様子を見た女の子は、ふと日記帳の存在を思い出し「ママの指輪が見つかりますように」と書いた。すると翌朝、指輪は見つかった。ママは一緒に探してくれたお礼にと、女の子に、大きなケーキを焼いてくれて、昼には一緒に、服を買いに行った。
女の子はそこで、自分の幸せではなく、他人の幸せを叶えることができる日記帳なんだと気づき、他人が幸せになると、幸せをおすそ分けしてもらえるのだと気づいた。その日以降、女の子は自分のワガママは書かずに、周りの人の幸せだけを書くようになった。
こうして、周りの人を幸せにしていき、女の子が日記帳の最後のページに、「この町のみんなが、ずっと仲良く一緒にいられますように」と書いたので、町の人々は笑顔で、いつまでも楽しく暮らすことができるようになった。
――――――
そういう話だった。
よくある……などと言うと、子供向け絵本相手に、なんだか評論家ぶっていて嫌になるが……実際、子供向けの絵本のテーマにふさわしい、道徳的なお話であると思う。
自己中心的ではいけない。他人を思いやる。そこに、不思議な日記帳という、ファンタジーな要素を加えて、とっつきやすく。
「……リグレットは、このお話の、どこが一番好きですか?」
それほど深い意味はないが、なんとなくそう聞いてみると、すぐに答えが返ってくる。
「みんなが、わらってるとこ!」
そう言いながら、リグレットは最後のページを指さした。
そこにはページいっぱいに、主人公の女の子を中心に、母親など、主人公が日記帳の力で幸せにした人たち皆が並んで、笑いあっているイラストが描かれていた。
その最後のページをさらに一枚めくると、先ほど挟んだ写真、リグレットの母親がリグレットを抱きかかえ、二人とも笑顔で写っている写真が現れる。
「リグも……みんなといっしょがいい。おともだちも、ママも、エフも……」
その写真に触れながら、リグレットが少し、潤んだ声を出す。
――その言葉に、心が曇る。




