魔の国とは
暗くて寒い。
あのジジイはこの辺りをそう表現したが、俺は嫌いじゃない。
石と煉瓦でできた重みのある建物。華美ではないが品がある。空は確かに灰色で、噂に聞く抜けるような青空とは程遠いが、この灰色には言葉にし難い情緒と魅力がある。弱々しい植物は、人の手を借りているからこそきれいに並んで美しく咲く。寒さからか人もあまり笑わないが、その感情に流されないところが理性的で、俺は好きだ。
そんなことを取り留めもなく考えていると、一人の少女の顔が浮かんできた。
従兄弟のアンジェリカ。俺の婚約者だ。
アンジェリカは父王の弟の娘で、5歳の時に受けた魔法の属性検査で光属性とわかってから、王宮で特別教育を受けている。美しく聡明で、俺が王太子になったのを機に婚約した。
光属性だとわかってすぐに婚約しなかったのは、ジジイやババア共がアンジェリカが王妃に相応しいか試していたからだろう。そして一年後、父王は俺に相応しい相手がいて良かったと泣いて喜んでいた。
一年前、俺が見たのはただの美しい少女だった。大きな目をくりくりと動かし上気した頬で、溌剌と父王に挨拶していた姿を思い出す。
それが一年後、がらりと雰囲気が変わっていた。顔には表情がなく、その代わりに威厳が。溌剌さとは無縁の、鷹揚で品のある話し方。可愛らしい少女が、自信と気位を兼ね備えた少女へと変貌していた。
俺は驚いた。人とは一年であんなにも変わるものか。そして笑いがこみ上げてきた。俺だけじゃない。ここにもいた。大人達から散々期待され、それに見事応えるであろう少女が。
きっと後何年か経てば、立っているだけで周りを黙らせるような女性になるだろう。まるでこの王宮のような女だ。悪くない。
俺達はきっと、いい夫婦になれる。
「さて、本日は教育機関について考えてみましょうかのぉ。」
師は、にこにこと笑顔で話し始めた。骸骨の笑顔なんか気味が悪いだけだな。何か裏があるとしか思えない。
「我が国の教育機関は、三つに分かれておりますのぉ。小等、中等、高等学校ですなぁ。では、それらに関して手短にまとめてくだされ、殿下。」
師から突然話を振られ、俺は頭の中で情報を整理しつつまとめた。
「小等学校は6歳から12歳までの全国民が対象で、費用は安く内容は計算や読み書きなど。中等学校は12歳から15歳まで。主に貴族や裕福な平民向けだが、奨学金制度もある。費用は高くなり、内容も複雑化。高等学校は15歳から20歳まで。主に貴族男子と奨学生向け。費用はさらに高く、内容は役人を目指す普通科、魔法師を目指す魔法科、騎士を目指す騎士科に分かれている。国民は15歳で魔法の属性検査を受けるため、その結果を見ながら進学先を決めることとなる。」
師はふむと頷き続ける。
「その通りですな。ではなぜ、小等学校は平民にも門戸を広げたと思われますかなぁ。」
簡単な問いだ。
「それは、民に教育を施すことで彼らに教養を与え、職につきやすくするため、であろうか。」
師はふむふむ頷いて、笑顔を見せた。
「殿下、それは本心ですかなぁ。それとも、清く正しい王太子のふりをするための演技ですかなぁ。」
俺はおののいた。にたりと口角を上げた師の顔。恐いとしか言いようがない。このジジイは恐い。俺の演技はばれていたか。
「殿下。国王の立場から、物事を考えてみてはくれませんかのぉ。」
国王の立場、から。俺は考え込んだ。国にとって何らかの利点がある、それは何か、ということか。
「では、民が職を得ることで、税収入が増えるから、であろうか。」
不安げな俺の声は、少しかすれていた。
政策内容や結果が同じでも、民の視点と国王からの視点では、目的が違う。そういうことか。
「ほぉ。お見事。」
師は軽く拍手をしてから、また口を開く。
「殿下。私の前では、猫をかぶる必要はありませんぞ。貴方自身の考えも不要。ただ、国王という立場からの視点でのみ、考えてくだされ。一つのことに対し、多くの視点から考察し、そこから最も国王らしく、国王にとって得となる視点を選び、自分の発言とすることを覚えてくだされ。」
猫かぶりも、俺の考えも不要。俺という人間は、必要ない。ただ完璧な王であれ。そういうことか。
「もう一つ、考えられる答えがある。平民出の魔法師の教育が15歳からでは難しいから、ではないか。」
師は落ちくぼんだ目を細めた。俺の言葉に、俺を値踏みしようとしている。
「ほお。そうです。その通り。何の教養もない平民に、15歳から文字を教え計算を教え、などやっていたらいつまでたっても魔法師にはなれませんからなぁ。」
一見民のためだと思われるような政策も、実は優秀な魔法師を戦争にとっとと送るためのものだったということだ。要するに、民が第一なのではない。国が、第一なのだ。
俺は軽く頷き、議論を広げることにした。
「王家の者が5歳で魔法の適性検査を受けるように、それ以外の民も5歳で受ければいいと思うのだが。」
そうすれば、5歳で有益な属性の者だけを選び、教育できる。
師は、まだまだですなぁ、と小さく呟き、俺を見た。
「殿下、我が国の子供の死亡率を教えてくだされ。」
死亡率は、高い。
「平民では7歳までに半分、貴族でも15歳までに三分の一が死ぬと聞いた。」
師は鷹揚に首を縦に振った。
「その通り。魔法の属性検査には、金がかかります。我が国の財政が常に赤字なのは、そのせいですなぁ。もし5歳で検査を行えば、費用は倍かかり、しかし選ばれた子供達の多くは結局死んでしまう。そのため、大人の体まで成長した15歳になってから、検査を行っておりますなぁ。」
なるほど、そういうことか。
「では、10歳ならばどうだ。王族も、5歳から教養科目は学ぶけれど、魔法は10歳からであろう。同じにしてはどうであろうか。」
師は食いつく俺を微笑ましげに眺めていた。まるで孫を見るような眼差しだ。ガキ扱いか。
「10歳は悪くない線ですなぁ。事情があれば、10歳からにしてもいいでしょう。ですが、頭に入れておくべきことがありますな。それは、子供は大人以上に戦争の影響を受けやすい、ということです。」
師は珍しく溜め息をつきながら言葉を続ける。やせ細った体が一段と小さく見える。
「10歳から戦争に慣れると、心が荒みやすいですなぁ。誰かを守るため、というよりも機械的に魔人を殺すようになります。兵役を終えても、対人関係を築くのが苦手で、新しい職にも就けず堕ちていく者が多い。一方成人してからだとある程度人間関係はできているので、彼らを守るために、という意識をもてるのでしょうなぁ。兵役を終え比較的穏やかな余生を送る者も多いですなぁ。もちろん、これは全ての人に共通ではありません。ですが比較的平和な今、敢えて子供達の心を荒ませ、治安を乱すのは得策ではありませんなぁ。」
精神的に未熟な子供にとって、血が舞い散る環境は過酷だということか。高等学校は学校で学ぶ以外に実地訓練も多いので、魔法師や騎士見習いは戦場の見学や後方支援の仕事もするらしい。働いているのに高額な費用を払うのは、その見習い達を守るためにも高額な費用がかかるからだ。とにかく、できる限り子供は戦争に関わらせないようにしよう。
そこで、ふと俺は気になることがあり師に問うた。
「魔族は、我が人族より魔法に精通していると聞くが、どのような政策を執っているのであろうか。」
師は、面白そうに俺を眺めた。そして、ふぉっふぉっふぉ、殿下はとても8歳とは思えませんなぁ、と笑った。
「では魔の国について、少しお話しましょう。まず、魔の国では大した政策などは行っておりませんなぁ。かの国は、実力主義で、最も強い者が、魔王になりますからのぉ。強い者が賢いとは限りませんのぉ。そして強い貴族が、褒賞として豊かな土地を与えられます。ですが土地を管理はしません。何故なら魔王の気分次第で、直ぐに他の土地に動かされることもあるからですなぁ。」
魔の国の考え方は我が国とは全く違うのだな。俺は改めてその違いに驚いた。
「殿下、魔の国について、なんと聞いておりますかのぉ。」
他の教師達から聞いているのは、これだけだ。
「魔の国の魔人達は、元は人族と同じだけれど、魔法の力を強めた忌むべき存在である。戦闘を好み野蛮で、人族と見れば襲いかかってくる狂人の集まりである。」
ふぉっふぉっふぉ。師が笑う。
「そうですなぁ。それが我々が学ぶ魔族像。我が国が作った、魔族像ですなぁ。」
俺は、目を見開いた。我が国が作った、ということは、実物とは違う、ということか。
「そもそも魔族は、人族と全く同じ人種ですなぁ。見た目も能力も。魔法の力が強いのは、これのおかげですぞ。魔族の丸薬です。」
師は、鞄の中から何かを取り出した。丸い器の蓋を開けると、中には真っ黒で、とても小さい丸い粒が幾つか転がっていた。
「この丸薬を奥歯で噛み、飲み込むと、闇の魔法力を体に取り入れることができますのぉ。」
俺は再度驚いた。魔法力の増強剤。そんな物があるのか。
「なぜ、我が国では使わないのですか。」
これを使えば、皆強くなれるではないか。
「長所があれば、短所もある。これは使い続けると、子ができにくくなります。」
俺ははっと息を飲んだ。
「我が国の女性が四、五人子を産むのに対し、魔の国では一人か二人。死亡率は同じですぞ。しかしそれが、かの国では許容された。理由は魔人が、個人主義で、家を重要視せず、ただひたすら自分の能力を磨くことを尊重するからですなぁ。そしてもう一つ。人手がなくても食べ物があること。むしろ人口が増えすぎると、食べ物が不足してしまうのですなぁ。丸薬は、魔の国の考え方と、環境に合ったものなのです。ですが、我が国ではそうは行きませんなぁ。」
俺は頷いた。人手がなければ貧弱な大地を耕せないし、貴族も沢山の子供を作らなければ、子がよく死ぬ中、後継者を残せない。一方魔の国の貴族は、土地に縛られていないので後継者が必要なく、子供がいてもいなくてもいい、か。
「では、魔の国の魔王とは、どういった存在なのですか。」
俺の問いに、師は髭をいじりながら答えた。
「我が国では国王が、国を守らなければ弾劾されますな。」
俺に問いかける声に、俺は頷いた。国王は、常に覚悟を問われている。
「ですが魔の国では、魔王はただひたすらに強ければいい。」
ひたすらに強い。いったい魔王とはどのような人物なのか。俺は楽しくなってきた。
「かの国の魔法師達は、強いですぞ。数は少ないですが、闇と自分の属性を駆使し、とんでもない魔法を仕掛けてきますのぉ。」
とんでもない魔法。いったいどんな魔法だろう。
「ですが、自分が強いことが重要で、強いもの同士で戦って喜ぶような野蛮な者達ですなぁ。国のことなど何も考えておりません。気分屋で、我が国との戦争になど興味もない。肥沃な大地を取られることは我慢できぬでしょうが、王都までわざわざ攻めようとは思っていないはずです。ですが、だからこそ、我が国は今の土地を守ることができている。それが我が国にとっての現実ですなぁ。」
そんなに強いのか。魔族は。
「丸薬で人口が少なく、且つやる気のない状態の魔族に、我等は勝てないのですよ、殿下。だからこそ、光属性の優秀な魔法師が必要なのです。」
段々と口調が強くなり、師は最後には立ち上がって筋張った拳を握りしめた。
俺はごくりと唾を飲みこんだ。俺が国王になれた理由。それは魔族を倒すため。だが俺は、攻撃魔法は使えない。
「確か、火水風土の四属性はお互いに強く弱い。闇属性は四属性より高度な魔法が使えるが、数が最も少なく、光属性には非常に弱い。光属性も数が少なく、癒しの系統が多く、攻撃魔法を使える者は少ない。」
我等王族は、光属性の者を集め、子を成してきた。重婚、近親婚を繰り返し、血を濃く保ってきた。それは魔族対策だったのか。しかし近親婚からは障害を持つ者が多く生まれる。そのため、最近はあまり行われていない。
アンジェリカが俺の婚約者になれたことを父王が喜んだのは、俺に見合う光属性の女性が、今のところ他には俺の実の妹しかいないからだ。父は、妹が光属性だとわかってから、俺達兄妹が結ばれなければいけないのではと、戦々恐々としていた。だからアンジェリカの存在に、安堵したのだ。
「殿下。魔族は滅ぶべきです。どうか殿下が国王となった際には、我等に悲願の大地を。」
拳をふるふると振るわせ、師が懇願した。
「国王陛下、万歳。」
師はすっと背筋を伸ばし、腰を折る。枯れ木のような体が品を漂わせた。俺は息を飲んだ。
俺に対して敬語すら使わない師が見せた、最上級の敬礼。
俺は、覚悟するしかなかった。
なってやろうではないか。最高の国王に。




