半年後‐カヲル視点‐
──新世界を目指し旅立とうと思う。
──やめとけ。航海だけに後悔するぞ。
鏡都は島ひとつの鏡の世界、何年かけて海を航ろうが新世界は見えないというのに。夢見る帝に正しい助言ができず何とも心苦しい。
少年ジャンプに短い返し文を挟むと、心鬱に鏡都の転移門へ放り込んだ。
「なぁ、千速」
「…………」
呼び掛けても勿論返事はない。
此処は女子禁制、婿集いの間。モンスターをハンしに集まったお父さんと叔父が川の字で寝る、なんてことないむさ苦しい元客間だ。
それに時刻は午前六時、千速は境内の掃除を終える頃だ。迎えにあがろうと失礼ながらお父さんを跨ぎ、輪ゴムをごっそり懐に納め部屋を出た。
季節は初秋。
千速と行き逢い一年、帝との惜別から半年が経とうとしている。
「あ、千速だ」
境内に橋架ける渡殿をしたたたたたたたっ、一人雑巾がけレースを開催しているのが俺の嫁(※予定)、不知火千速だ。薄い夏物の巫女装束にしっとりと汗を含ませ、総髪した髪を馬の尾のように振り乱している。その神聖な美に感嘆の嘆息を一度、俺はその差し向かいに照準を合わせ、一日一番の集中力で矢を放った。
「がはっ」
「ぐぇ」
「ふん、他愛もない」
必殺輪ゴム装丁銃で呪殺したヲタ男の胸元からカメラを奪い、踏み潰す。平穏を取り戻した境内に美味そうな出汁の香りが漂い、誘われるままにその源へ吸い込まれた。次の瞬間、土間から飛び出してきた千速とぶつかる。
「わっ、びっくりした。今起こしに行こうと思ったのに」
「先に目が覚めてな」
境内に張り巡らしたヲタ男警報が鳴り響いたのだ。雑巾がけで揺れる千速の胸をフィルムに納めようとは罰当たりな連中だろう。
「…………っ」
「な、なに? 怖い顔して」
朝から艶かしい嫁(※予定)を前にして硬直せずにいられるか。
地に真っ直ぐのびる滑らかな黒髪。毎日無防備に陽にさらしているというのに、肌は陶器のように白い。千夏という悪友(※義姉)の助言もあるのか、程好い化粧気に加え、最近では私服のセンスにもドキリとさせられる。
だがやはり千速が最も輝かしいのは巫女時分だ。今や日本全国巫女フェチ野郎共に千速の名を知らない者はいない。早朝は二日に一回ほどだが夕刻には輪ゴム千本入り一箱使いきるほど野郎が集まる。
為方ない、華やかな顔立ちに架かる赤縁の眼鏡は巫女装束という名のステーキにフォアグラを乗せたような贅沢さだ。
一年前の怠惰はどこへやら、鏡都で最後にみた千姫さながらの美しさ。馴れるどころか日に日に目を合わせられなくなっていく。
俺のハート後半年もつか不安。
「中に肌着を着ろと、何度言ったらわかるんだ」
「着てたんだけど、汗かいたから脱いじゃったんだよ」
だからまた汗かいて下着が透けてみえてますってば。
「まったく、そういうところはいつまでも怠惰なままだな」
「ごめんなさい……」
俯くと落ちる眼鏡をそっと持ち上げ、瞬く瞳の妖艶なこと。
聖女に欲情する愚息気分。いつかの過ちを神に懺悔しながら南無阿弥陀仏繰り返しお空の彼方をみつめる俺。
「カヲル、今日も……バイト?」
「あ、ぁあ、遅くなる」
嫁(※予定)に声上ずる俺。
「そっか。……母上とクウガ、呼びに行ってくるね」
心なしか寂しそうに去り行くその小さな背中をガシッと抱き寄せたい欲望を必死に抑えキビキビと居間へ向かう。
不知火の氏神は御前でオイタするとすーぐ天罰を下してくるので下手に手出しできない。
手出し出来ぬまま、半年が過ぎ去ろうとしていた。
九人大家族で朝食を終えた後は短大へ通う千速を駅まで送り、自身も通学する。今では俺にも帝以外の友達がささやかながらに一名、クラスメイトに存在していた。
漫画研究部、通称漫研のササヤンだ。彼は秋葉原へママチャリで通うという、かの伝説的なヒーローを現実世界で成し遂げている。現実は漫研があっても自転車競技部がないが。千速と同じ身丈で丸眼鏡。俺ってやつは眼鏡をかける生物になんて弱いんだ。
「おはよう、ササヤン」
「ボンジュー、カヲル君」
彼は未だに俺がパリジャンだと思い込んでいる。そしていつになく鼻息が荒い。
「明日の土曜日、あいてる? 製作期間十年、制作費二十億の超大作アニメの完成披露試写会、部員が急用でいけなくなって、ペアチケットを無償でくれたのだよっ」
「鑑賞への欲求は果てしないのだがすまない、明日は用があってな」
「そうか! 明日は待ちに待った千速殿との逢い引きだったね」
「そんなところだ」
「準備万端?」
「いや──」
言葉を詰まらせる俺にキラキラと目を輝かせるササヤン。同年輩同趣味の男子は大抵、世間でいうところのリア充である俺を同じ生物として見てくれないのだが、唯一ササヤンだけは俺のノロケ話でも恋の悩み相談も受け入れてくれる。彼は俺が友達だから便所飯を免れているのだというが、それは俺だ。英語喋れないヲタハーフなんて危険物としか扱われないぞ。
「今日取りに行くの? ちょうど部活ないから、放課後一緒にいくよ」
「いや、さすがに俺ばかり付き合わせては悪い」
「人生勉強だよ、是非お供したいのさ」
「そうか、すまないな」
放課後、優しすぎるササヤンのお言葉に甘え、買い物に付き合ってもらう。
買い物といっても受けとるだけだ、バイトの出勤まで地元の喫茶店で時間を潰した後、光化学スモッグと西陽を浴びながら男二人、哀愁たっぷりに歩んでいた時だった。
陽炎が揺らぐ残暑日に全身、鳥肌が立った。
それは駅前通り。俺達が歩く歩道の反対側。千速が如月唯斗の隣で当たり前のように肩を並べて歩いていた。
顔を赤らめ──泣きそうな顔をして。
※千速の泣きそう=至福の一時。
「なぁ、ササヤン」
「なあに」
「玉砕したら、慰めてくれよ」
「やだよ」
縁起が悪いこと言わないでよ、と手を振るササヤンと別れた後は何時しかおにぎりを買い込んだ近所のコンビニでバイトだ。月曜発売のジャンプが土曜日に読めるとササヤンに唆され始めた。
金とジャンプの為なら笑顔を惜しまない。
「いらっしゃいませ」
「付き合ってください」
「出来かねます、お弁当温めますか」
「はい。二股とか気にしません。二番目でいいので」
「お客様申し訳ございません、次にお並びの方がいらっしゃいますので」
俺がレジに立つとこんな会話が延々続く。
若い身空が側室志願とは、日本の教育はどうなっとるんだ。
まあ弁当は売れるので店長は全く気にしていない。
店長?
札束数えるのにレジから消えないでください。
「先月前年比の五倍稼いでたよ、五倍だよ、五倍。一、五倍じゃないよ? カヲル君一生夏休みだったらよかったのにね」
「店長、だったら時給あげてくださいよ」
「今月で辞める子に? 続けてくれるなら百円アップする」
「店長、ケチ臭いですよ。契約不成立です」
ちぇ、とレジの下で舌打ちする店長。千円上乗せされてもお断りですがね。
夏休みは社会勉強を理由に週五日朝七時から八時間励んでいたが、九月に入ってからは放課後の四、五時間。それも今月で終わる。
タイムカードを押し急ぎ足で帰宅するが、今日目撃したことを言及しようにも当たり前のように千速は深い眠りについていた。
最初は起きて待っていてくれたが夕食はコンビニ弁当で済ませてしまうし、朝四時起床の千速は寝不足が続いてしまう。先に寝るように進めたのは俺だ。
今では俺と千速のベッドに何故か──義弟のクウガが寝ている。羨ましいことに千速の胸に埋もれて。疚しい気持ちで望まれていることを、千速は依然として気付いてくれない。
そしてそのベッドの下に冷たい敷布団敷いて寝る俺。
いいのだ、これは贖罪だ。
千速との初夜、俺に何一つ余裕なんてなかった。
ただ千速を喜ばせたくて、幸せにしたくて──人生終わりました、絶望の淵に立たされました、そんな表情を目指して色々、そりゃ色々頑張った。
だが千速は鬼畜陵辱された少女の眼差しは一切俺に手向けてはくれなかった。むしろ肌を重ねる度に千速は幸せそうに、清らかな笑みを浮かべた。聖女は犯されても聖女だと言わんばかりに。
千速は感情が昂ると表情が真逆にでる。つまりは──言葉にしたくはないので、俺の心を踏んでから蹴ってください。もうこのまま平べったい布団に溶けて消えてしまいたい敬具。
やはり俺にはまだ早かったんだ。そりゃ鏡都でやることはやっていたが、好きな女を抱くのは初めてだった。ハートが落ち着くであろう二年後まで堪え忍ぶべきだったんだ。
──あの日以来、千速は俺に悲壮的な表情を一切見せなくなった。
俺が千速に浮かばせるのは幸福的な表情ばかり。
美人、いや美男は三日で飽きる。
所詮外面、千速は俺の容貌と内面の差に気付いてしまったんだ。薄っぺらーい布団のような稀薄さに気付いてしまったんだ。俺は徐々に関わり合うことを恐れ、今では触れるどころか普段通り話すこともままならなくなっている。
この状況下だ。如月唯斗に悲壮的な表情をみせる千速を見た俺は、否定的にならずにはいられない。冴えない婚約者と初恋の幼馴染み、どう天秤にかけたって後者勝利で決まりだ。
今、俺と千速を繋いでいるのは鏡都で培った絆だけ。ふれば俺が路頭に迷うことなど誰しもがわかりきっていること。優しい千速は言葉にできない。別れを口にすることなど。
別れ──その二文字が死を連想させ、残暑の寝苦しい夜に俺はガクブルと全身を強張らせた。
*
「待った?」
「……待ってない」
夏休みをバイトで丸潰しにした俺のせいで、三回目となる今日のデートはまさかの半年ぶり。眼力でアスファルトを溶かす勢いでうつ向いていた俺がみたのは千速のスニーカー。
そのカジュアルスタイルは俺とのデートごときに勝負服は必要ないというサインですか。
「ずいぶんラフだな」
「だってまた秋葉原でしょ、少々では歩き疲れないようにね」
早く行こうよ、と手をひく千速の後ろ姿はスウェット素材だがワンピースだ。その下は黒と白の絶対領域──カジュアルにエロ成立してる!
何故こうも俺の許容を超えていくのだ嫁(※未定)。
半年ぶりの《手を繋ぐ》は心臓がトランポリン装備したようにバクンバクン跳んでますが、生きて帰れますか俺。
「──って、危ない危ない、逆だ」
「え、下り?」
「少し、長旅になる。前から言ってただろ、泊まりがけだって。だからその、スニーカーでよかった。……可愛いし」
「あはは、あからさまなお世辞はいーよ。そうか、長旅かぁ」
俺の全力の「可愛い」伝わらない。いつからこんなにも無器用な男に成り下がった。女への誉め言葉など毎日吐き捨てるほど口にしていたのに。
「カヲルも凄くかっこいいよ。インナーまで新品、バイト三昧だったのにいつの間に買ったの?」
「ふぁあっ」
胸元に顔を近付けないでくれ、千速の息がかかるだけで昇天しそうだ、こんな未開拓の地で魂飛ばしたら帰れないぞ俺。
今日のコーデは千速が現在進行形やりこんでいる《妖し学園Ⅱ》攻略対象の総受け愛され後輩、草間くんをもろパクリしたものだ。ササヤンに協力要請しネットで仕入れました。
「さては──、草間くんだな?」
ふふ、図星だぁ。と眼鏡越し上目遣い入りました。俺が退化した半年で千速はどうしてこうも綺麗なお姉さんスペック上げとるのだ。ここは「プライバシー侵害!」で回し蹴り退場ではないのか。
「回し蹴りしてくれないから、降り損ねるところだった」
「わぁあ、海だ」
今、気付いたの。
確かに千速のべた褒めまでの二時間、お互いのスニーカーを黙視していただけだった。
待て、二時間黙りって俺「かっこいいけど、つまらない男」成立してないか。そんな俺がデートで千速を喜ばせられるとは到底思えないので、予定通り直行します。
古民家を改築し建てられた全十室しかない海沿いの高級旅館。露天風呂付き、鏡都の母屋を彷彿とさせる海全望のバルコニー。
検索期間一年、宿泊費十万の超大作婚前旅行だ。
「鏡都みたい……」
「そ、そうだろ? 千速ならわかってくれると思ってた」
「原点に戻る──、か」
「風呂へ入ってくればどうだ。飯まで時間はたんまりあるぞ」
露天風呂丸見えだけど、今日の俺はキリストの生まれ変わりかと思うくらい賢者モードだから安心してくれ。
「すぐチェックインしてお風呂なんて……まるで離婚前旅行みたい」
パタン、と襖が閉まる音に俺のハートも崩壊。婚前の前に余計なものトッピングされました。
部屋にある露天風呂以外にも、入り放題の展望風呂が六種類存在するのがこの旅館の最大の特徴だ。千速が一人でも旅行を楽しめるようにと、配慮したつもりが仇になるとは。
千速が部屋へ戻ってきたのは俺が写経を始めて三時間後、ちょうど夕膳が運び込まれた時だった。心が洗われ清々しい気分で乾杯。
「お、お誕生日おめでとう」
「ありがとう」
浴衣一枚で妖艶極まりない嫁(※未定)。
一瞬で、邪念に染まる俺。
そうだ、今日は千速の十九歳の誕生日。美味しいノンアルコールビールで乾杯した後は美談に花を咲かせるつもりだったのに「陰陽師がキリストの生まれ変わりな訳があるか」とざわつく心が言葉を邪魔する。
全く食が進まないまま時だけが過ぎ去り、食べ残されご機嫌斜めの女将に風呂入ってこいと追い出される始末。海を眺めながら温泉に浸かり、この後のことを考えているとまた時だけが過ぎ去り気付けば何時ものバイト退勤時間。
急いで部屋に戻ったが案の定、千速は布団に潜り安眠体制へと入っていた。
──て何やってんだ、俺は。
この日を夢見て一年頑張ってきたんじゃないのか。後一時間もすれば千速の誕生日が終わってしまう。俺は今日、千速に何をしてやれた? ふやけるまで長風呂させただけだ。電車二時間乗って、遠くまで連れ出しといて。
駄目だ、これでは何も終われない。
「千。千、起きろ」
「…………」
「千、お願いだ」
「……起きてるよ」
「千」
「そんなに、鏡都が懐かしい?」
無意識だった。
指摘され、間違いにようやく気付く。俺は好きな名だが、千速が今でもよく思っていないことは知っている。
知っていたつもりが──浴衣一枚で寝そべるその姿に、ごく当たり前のように「千」と呼んでいた。
「時間を戻したいなら、帰ればいいじゃない。今ならじーさんも許してくれる」
この瞬間、何かがふっ切れた。
やはり千速は俺を必要としていない。
涙もでない。
いつしか千速の部屋で土下座したあの日のように、己を奈落へ突き落とそうと──、覚悟した。
「ああ帰ってやるよ。その対価に俺の望みを叶えてくれ」
無理矢理千速を起こし、バルコニーまで引きずり出す。正直日本の海は汚いし、夜空は明るく星屑ひとつ見えやしない。鏡都の情景には程遠い。
でも俺はこの地を踏むことを選んだんだ。お前と生きるために。
掴んでいた手首を胸に引き寄せ、薬指にはめ込む。ぴったりだ。千速が熟睡中に何度も測ったからな。
シンプルなものがいいと言っていたから、表は何も施していないプラチナリング。だが裏面には千速の誕生石と──、鏡都で婚姻を示す、あの蒼い石が嵌め込まれている。
「どうして、こんなもの」
「はは、こんなもの──、か」
俺が日本文化においてのこの固有性を知った日には、どのような細工を施すか明け方まで悩んだものだがな。
残念ながら千速には気に入ってもらえなかったみたいだ。
「俺にも、つけてくれないか」
「……うん」
千速は躊躇いながらも、俺の薬指へ指輪をはめてくれた。
「なぁ、千速。俺が帰るまではどうか、指輪を外さないでくれ」
偽りだろうが仮初めだろうが、夫婦でいた二人の証しだ。千速は戸惑いを隠せず、強制的にはめられた指輪をただ眺めていた。
「その後は海に投げるでも質屋に売るでも好きにしろ」
「カヲル」
「退学届に、芦屋家のこともあるからな……、後始末に時間がかかるが、なるべく早く出ていくから」
「カヲル、聞いて」
「母上とクウガを宜しく頼──」
「人の話を、聞けぇえ!」
グーパン入りました。
久しぶりのバイオレンスに胸がときめく俺はやはりマゾかもしれない。
「帰りたいなら帰ればいいと言っただけでしょ。帰れとは言ってない」
「帰れ、ばいい。言ってるぞ」
「屁理屈いわないの! この指輪は何なのか、どうしてこの経緯に至ったのかを詳しく説明しなさい」
仁王立ちでキリリといい放つ嫁(※妄想)。山の神(お母さん)に似てきたな。
めげないぞ、ふっ切れた俺に怖いものなど何もない。夕飯時、一文字も言葉にできなかった台詞がスラスラと口を衝いてでた。
「初めて二人で迎える誕生日に、結婚指輪をあげると決めていた」
去年は知らず猫のまま寝過ごしてしまったからな。
「花簪もらったじゃない」
「あれは日本では普段つけられないだろう。それに日本での結婚において指輪の重要性は理解しているつもりだ。揃いでもつのも、いい」
「お金、もうなかったんじゃないの?」
俺達の二回目のデートは春、新居の家具選びだ。ああでもない、こうでもないと言い合いながら都内を歩き回るのはそりゃ楽しく、同伴のキャバ嬢に貢ぐ親父のように一日で貯蓄分を使いきってしまった。
保育士の資格をとるまでは二人で暮らそうと買ったのだが、この後直ぐに隣の家に入り浸るようになり、全く使っていない。散財とはこのことだ。まぁ、売る着物はまだ山ほどあるが、この指輪には必要ない。
「指輪だけは、自分で働いた金で買うと決めていたからな」
「もしかして、指輪買うためにずっとバイトしてたの」
「それ以外にあるかよ」
「ジャンプ二日早く読める」
「それもあったな」
利点はそれだけだ。安い時給で誕生日に間に合わせるには、かなりの過労働を強いたげられたぞ。
「そっか、そうだったのかぁ」
千速は嬉しそうに声を上ずり、至極幸福的な笑みを浮かべた。
こんなものの為に時間を無駄にしてんじゃないわよ、気持ち悪い的な。
「わたし、カヲルに避けられてると思ってた。最近目もあわせてくれないし、今日も義理で旅館予約してくれたのかなって」
「冗談じゃない。避けざるを得なかっただけだ。か、可愛いすぎる千速の罪だ。最近は眩しくて心臓がバクバクで目も合わせられんのだ」
「ぇえ! お化粧もお洒落も全部裏目にでてると思ってたのに。私似の女子高生とか幼女な店長と仲良くするのは元に戻せというシグナルなのかと」
ササヤンは確かに女の子に見えなくはないが、変なルート構築されるからやめてくれ。
「ササヤンが唯一無二の友達だということは認めるが、男の娘──いや、男の子だ。ちなみに店長はササヤンの母親だ」
「ええ、男の子? 幼女、熟女だったの!」
あははー、と薬指を眺めながら広いバルコニーをくるくる回る。何かのドラマみたいだ、盗撮していいですか。
「ねぇ、カヲル。浴衣一枚じゃ身体が冷えてきちゃった」
「あぁ、すまない」
これにて夢の一時は終わりだ。
現実に戻ろう。
「いっしょにお風呂入ろ?」
は?
好きな女に風呂へ誘われ、裸で抱きつかれて理性壊滅させない男がいたら会ってみたい。
俺はまた使徒さながらに暴走した。
謝ると弄られるだけなので言葉にはしません。ごめんなさい。
それに千速は今、俺の胸のなかでキャッキャはしゃいでいる。
「えへへー、指輪だぁ、結婚指輪」
「変顔治ったんなら、そう早く言え」
「私だって今日知ったんだもん」
俺が千速と如月唯斗のツーショットに愕然とする五分前、千速はササヤンと俺の喫茶店ツーショットに愕然としたらしい。学ラン脱いだ白シャツ一枚のササヤンは座高からして、どうみても女の子。来期の新連載の話題で爛漫としていたのだから、二人はさぞ愉しげだったことだろう。泣きそうな顔をして帰路を歩いていたところ、如月唯斗に捕まったというわけだ。
「まて、じゃあ何故顔を赤くしていた。赤くなる理由はどこにある」
「え!? え──……」
モゾモゾと鞄の底から取り出したのは──……これは、あれだ、コンビニでカップルの八割が購入していく箱だな。
「……買うところを見られたのか」
「はい。使うか使わないか、いや使わないだろう代物だけに火をふく思いをしました」
いや、そのつもりでデートに参列してくれたことに、心が震えております。
「使わないけどな」
「で、でも、結婚するからって、保育士の勉強があるし」
「どんなに頑張っても俺達に子供はできない」
「……え?」
「まず、十五年はな」
不知火の御前に立つと、必ずといっていいほど氏神に口五月蝿く詰られる。十五年は子を成せない、それまでに千速の身体を壊すような真似はよせと。どれだけ信用ないんだ、俺は。
(前記参照)…………ないな、俺。
「千速が跡取りを生めないことを気に病むだろうから、早めに伝えておけと言われていた」
「そうなんだ……」
辛いだろうな。保育士を目指すほど子供が好きなのだから。
「だが意を返せば十五年後には必ずできるということだ。早いか、遅いかの問題だろ? それまで盛大に愛し合えばいい」
「心臓ばくばくで、目も合わせられないんじゃなかったの?」
「千速に強姦されて、少し馴れた」
「うふふ、よかった」
ここはヘッドバッドじゃないのか。歯を食いしばりながらも、にやけて待つ俺ってやっぱりマゾかもしれない。
「て、えぇ、千速──」
「大好き、カヲル……カヲル!?」
千速が俺の肩を慌てて揺する。無理。死なせてくれ。
ヘッドバッドの換わりネタが大好きにチューて、死に値するだろ。
白目の向こう側では嫁(※確定)が幸福的に微笑んでいる。
千速はどうやら本当に幸せで、幸せ顔をしているみたいだ。
いつ治ったのかわからないのが問題だが、初夜のことを掘り返すと自身が墓穴を掘りそうなので、永遠胸にしまっておこうと思う。
最後までお読みいただき、たいへん誠まことにありがとうございます。




