二 親切の奪い合い
二 親切の奪い合い
「ただいま」
おとうさんとぼくが家に帰ると、おかあさんが言った。
「おかえり。どうだった? ためになる話があった?」
「ああ、とてもな。うら技が載ってるって本を買ってきたよ。そうそう、自治会長の藤枝さんね。最近新しい車乗ってるだろ。あれってポイントで手に入れたらしいんだよ」
「へえ、そうなの。すごいわね。自動車って確か二十万ポイント必要なのよね」
「そうさ、藤枝さん、親切士になってまだ五年だよ。五年の間に十万ポイントも稼いだってんだからすごいよな」
「わたしも、欲しいものがあるの。ホームベーカリーなんだけどね。ほらここに載ってるでしょ。でもまだ、二千ポイントも足らないのよね」
「もっとポイントの高い親切をするようにすればいいんだよ。おかあさん、いつも低い点数の親切しかしないだろ」
「困ってる人を助けるのに、より好みできないでしょ」
「おかあさんがそんな風に言うから、ハヤトもまねをして点数を増やせないんじゃないか」
「いいじゃないの別に。ハヤトも親切しようっていう気持ちは人一倍あるのよ。ねっハヤト、そうでしょ。ハヤトの親切はポイントに結びつかないだけなの。それに、ハヤトには水泳っていう特技があるじゃない」
「いくら泳ぎが得意でも、親切ランクは上がらないんだよ」
また、おとうさんとおかあさんの口げんかが始まった。いつもと同じ、けんかの原因はぼくだ。おかあさんはぼくのことをよくわかってくれている。ぼくをかばってくれてるけど、ぼくだってポイントは欲しい。早く五百ポイントためてプロ野球のキングドリームズのタオルを手に入れたいのだ。カケルなんか体育の授業のときいつもビッグファイターズのタオルを持ってきてさ、「ハヤトは、まだもらえないのか」なんて言ってくるんだよな。あーあ、おとうさんの言うように、ポイントがたまるような親切を選んでしなきゃいけないのかなあ。ぼくはおかあさんに言った。
「何かお手伝いすることなあい。洗濯物でも取り込もうか」
「まあ、お手伝いしてくれるの。じゃお願い」
おかあさんが言い終わるまでに、おとうさんがさえぎって言った。
「ダメ、ダメ。そんなポイントの低いことやったって。だいたい家のなかでやる親切なんてのは点数が低いんだよ。そんなことする暇があるんなら、外に出て道路のそうじでもしてきなさい」
「いいじゃない、お手伝いしてくれるっていうんだから。だいたいあなたね。今は外へ出たってゴミひとつ落ちていない世の中なのよ。さっ、ハヤト、洗濯物取り込んでね」
おとうさんは不満そうな顔をして部屋を出て行った。ぼくは椅子を使って洗濯物を取り込み、たたんでタンスに入れた。右手がピポンと鳴った。三ポイント増えた。これで四百二十六ポイントだ。
「ねっ、ハヤトくん。昨日、市民ホールに行ってたでしょ」
翌日、学校に行くとすぐユウカが話しかけてきた。
「うん、おとうさんと一緒にね。でもどうして知ってるの?」
「わたしも行ってたのよ。おかあさんとね」
「そうなんだ。ユウカは今、何級?」
「わたし、この前、六級になったところよ。ほら」
ユウカはそういって、右手首を見せた。親切ゲージには4015と数字が表示されている。
「ぼくはまだ、十級にもなれないんだ。いつもだれかにポイントを先にとられちゃって……」
「そうなの。がんばんなくっちゃね」
「おとうさんは、あまりできないと親切塾に入れるぞ、っていうしね」
「おう、ハヤト。親切塾に通うのかい」
ソースケが割り込んできて言った。ソースケはぼくと気が合う友だちだ。ぼくと一緒にスイミングスクールにも通っている。
「おれも去年まで通わされてたんだよ。塾ではね、毎日、親切競争ってのをやらされるんだぜ。目の不自由な人の手を一番先に引く競争とか、迷子になって泣いてるちっちゃい子供に先に声をかける競争とかなんだけどね。子供に声をかける競争なんて、みんな一斉に『どうしたの!』って大きな声で叫ぶだろ。子供のほうがびっくりしちゃってさ、かえって大泣きしちゃうんだよ。この競争のためにわざわざ子供を迷子にさせるってのもかわいそうだよな。先生は『人を押しのけてでも一番に声をかけなさい』って言うけどね。なんか変だろ」
「そうよね、おかしいわ」
ユウカも同調した。今の親切のやり方をおかしいって感じてる人は、ぼくだけじゃなかった。ユウカだってソースケだってぼくと同じような気持ちを持ってるのだ。ただ、今の世の中ではぼくらは少数派だけど。
親切塾には、初心者クラスからエキスパートクラスまで細かくクラスが分けられているらしい。エキスパートクラスになると親切ゲージのからくりも教えてくれるそうだ。からくりを知ってるとポイントをためるのがものすごく速くなる。そんなんで、みんなエキスパートクラスに上がるために競争してるらしい。からくりの中には、本当に親切しなくってもポイントゲットできるようなのもあるらしいのだ。ぼくにはどうもなじめそうにない。ソースケも自分にはあわないと感じてやめたらしいのだ。
ぼくは、右手の親切ゲージを見た。まだ三桁、426という数字がぼおっと光っている。ゲージは、ぼくのまわりの風景や音を自動的に検出し、親切場面だと判断すると今度はぼくがとった行動が親切かどうかを判定して、状況に応じたポイントを追加する仕組みになっているのだ。逆に迷惑行為をしたときは、一定期間ポイントが付加されないようにもなっている。ゲージは手首に固定されて絶対にはずせない。ぼくらは一生、この数字にしばられて生きていかなければならないのだ。このゲージのせいで、人々はいつも何か親切のネタがないか探すだけの毎日を送っているように見える。世の中の人はみんな、目つきがぎらぎらとしているように見えるんだよな。親切っていう獲物を狙ってるって感じ。ひょっとしてぼくもそんな目をしているのかも。そんなのいやだなあ。
今日はスイミングスクールの日、スクールでは小学中学年の競泳大会が行われる。ぼくは前からこの日を楽しみにしていた。ソースケが言った。
「ハヤト、五十メートル自由形、優勝を狙ってるな。クロールが得意だもんな」
「ああ、絶対に一位になってやるんだ」
スイミングスクールの先生が言った。
「みなさん、いつもは親切な行いばかりで緊張の連続だと思います。スクールでは親切のことは忘れてのびのびと泳ぎましょう」
確かに先生の言うとおりだ。ゲージにいつも監視されて気が休まるときがないっていうか、ぼくには人々はいつも緊張しているように見えるのだ。今日は親切のことは忘れて泳ぐだけでいい。まさに幸せのひとときなのだ。
今日の大会には、おかあさんも見に来ている。ぼくがおかあさんに良いところを見せられるのはスイミングのときだけだ。この前ぼくは、スクールでは最高のクラス、一級になったのだ。来月には市の代表として県大会にも出ることになっている。
五十メートル自由形は三十人くらいの児童が出場した。ぼくは予選を軽く流して勝ち残れる程度に泳いだ。決勝に力を温存するためだ。プールサイドで出番を待つ。気持ちが高ぶってきているのを自分でも感じていた。
いよいよ決勝レースだ。ぼくは四コースのふみきり台に立った。みんなの視線がぼくに注がれているのを感じる。だってぼくが優勝候補の筆頭だからね。「ハヤトーっ、がんばってーっ」おかあさんの声援が聞こえた。ぼくはふみきり台で飛び込みの構えをした。
「バン」
ピストルの音を聞くと同時にぼくはプールに飛び込んだ。足をばたつかせ手は思い切り水をかぐ。身体がぐいっぐいっと進むのを感じた。よしいい調子だ。ぼくは二十五メートルをトップでターンした。その後もスピードが落ちることはなかった。水が身体になじんでいる気がする。ぼくは二位以下を大きく引き離して、ゴールインしたのだ。
「一位、杉本隼人くん、三十一秒四。桜が丘スイミングスクールの新記録です」
場内にぼくの記録がアナウンスされた。観客席から「おーっ」というどよめきと拍手が聞こえた。ぼくは観客席に手を振ってこたえた。おかあさんもぼくに手を振ってくれていた。
そうなのだ。ぼくには水泳という特技があるんだ。親切ポイントは少なくて、ふだんはみじめな思いをさせられてるけどね。
大会のあと、更衣室でソースケが話しかけてきた。
「ハヤト、すごかったじゃねえか。あのタイムだと県大会でもいい線いくぜ」
「ホントは三十一秒切りたかったんだけどね」
「ぜいたく言うぜ。でも、ハヤトならできるかも知れねえな」
「ぼく、泳いでるときが一番楽しいよ。うまく言えないけど、さかなの気持ちになれるってのかな」
「さすが、かっこいいこと言うねえ。あっ、あれキャップじゃねえか」
横のロッカーの上に、スイミングキャップが残されているのが見えた。だれかが忘れていったのだろう。ソースケが言った。
「ハヤト、お前が取れよ。ポイントが少ないんだろ。事務所に届けてポイントを稼げよ」
「いいよ、ソースケが先に見つけたんだから、ポイントはソースケが取れよ」
「そんなこと言ってるから、ポイントを増やせないんだよ。おれはホントにいいからさ。ハヤトが取りゃいいんだよ」
「そうかい、悪いなあ。じゃ遠慮なくぼくが」
ぼくがキャップを取ろうとすると、後ろから「ダメーッ!」と叫び声が聞こえた。振り向くと、三年生と思われる男の子が猛烈な勢いでやってきてキャップを奪うように取った。そして更衣室を走って出て行ったのだ。ぼくらも後をついて出て行った。男の子は事務室の受付に「落とし物です」と言ってキャップを渡した。男の子の右手からピポンと音がした。男の子はぼくらを見てにんまりと笑った。なんだよ、こいつ。そうまでしてポイントが欲しいのかよ。ぼくとソースケは顔を見合わせて、同時につぶやいた。
「ああ、面白くねえなあ」
(つづく)




