一 善行奨励法
一 善行奨励法
「おばあちゃん、荷物を持ちましょうか」
歩道橋の階段で、どこかのおじさんがおばあさんに声をかけている。
「すみませんねえ。じゃこの上まで」
「いえいえ、どういたしまして。おやすいご用ですよ」
おじさんがおばあさんから荷物を受け取って陸橋を登り始めると、おじさんの手首から「ピポン」と音がした。
「ハヤト、見ただろ。ああやって人には親切にしなきゃ」
おとうさんはそう言ってぼくを見た。
「今ので、あの人は十ポイント稼いだんだぞ。ああやって、こつこつと親切を積み重ねていけば、ハヤトだっていつか『親切士』や『親切名人』にまでなれるかも知れないんだ」
「はーい」
ぼくがいつものように気乗りしない返事をすると、おとうさんはため息をついた。
ぼくだって人に親切にすることが大切だってことはわかってる。でも親切にしようと思う前に、いつもほかの人に奪われてしまってポイントを手に入れることができないのだ。ぼくはまだ四百二十三ポイントしかためていない。十級にもなっていないのだ。四年三組で級を持っていないのは、ぼくを含めて三人しかいない。あのソースケですら千八百ポイントをこえてもうすぐ八級になろうとしている。中には「五千ポイントこえたよ。ついに五級だぜ」って自慢するやつもいるのにだ。まあこいつは、小さいときから親切塾に通って親切のコツってのを身につけてるやつだけどね。
そんなことで、今日ぼくは、おとうさんと一緒に「親切あれこれ」っていう講演会を聞きに行かされることになったのだ。ぼくは、駅までの歩道をおとうさんと一緒に歩いていった。道の向こうの方で木の葉が一枚落ちているのが見えた。そばにいた女の人があわてた様子で駆けつけ葉っぱをひろってゴミ箱に捨てた。おとうさんが「ほら、あれで五ポイントだよ」と言った。おとうさんは、道行く人の親切をこと細かに解説してくれるのだ。ぼくだって道にゴミが落ちいていないか探しながら歩いてるんだよ。けど、簡単には見つからないんだよな。だってゴミがあればだれかがすぐにそうじしちゃうんだから。
「では、豊川林太?さんにご登場いただきましょう。豊川さんは、みなさんもご存じのあの黒岩博士から直接親切のノウハウを勉強された方です。親切名人の称号をお持ちで、今は親切コンサルタントとして活躍中でいらっしゃいます。今日は親切のあれこれについて教えていただけるとのことです。では豊川さん、よろしくお願いします」
黒岩博士というのは「親切ゲージ」を発明した人で、通称「ドクターK」と呼ばれている。ドクターKは日本で六人しかいない「親切王」の称号を持つ人物だ。
司会者に紹介されて豊川さんが壇上に登って話を始めた。
「およそ五十年ほど前の社会は大変すさんだ状態でした。電車でお年寄りが立っていてもだれも席をゆずろうとしなかったり、町で外国人の方が道に迷っていてもだれも手助けしなかったり。道ばたにはゴミは散らばり、公共のものは汚し放題という状態だったらしいです。つまり、だれもが自分勝手なことしか考えず、人に迷惑をかけても知らんぷりだったんですね。もちろん、当時も『人に親切にする』ってことが大切だって知らなかったわけではありません。電車に『優先座席』ってのを作ったり、公共の場所を禁煙にしたりってことはしていたみたいです。けれど、人の心にうったえるだけで、それ以上のことはしなかったんですね」
豊川さんは、電車の中でお年寄りがつらそうに立っている姿や、公園にゴミが散らばっている様子を、スクリーンに映して解説している。聴衆の人たちは「うんうん」とうなずいていた。
「当然のことですが、これではいけない、とみんなが思い始めたんですね。そこで、ひとつ一つの良い行いに対してほうびを与えよう、っていう法律ができたんです。そうみなさんもご存じの『善行奨励法』ですね。この法律ができたことで、国民の親切に向けた機運が、大きく高まりました」
善行奨励法というのは、親切の度合いに応じてポイントが加算されるというものだ。たとえば、「親の肩をたたく」は一ポイント、「道のゴミを拾いゴミ箱に捨てる」は五ポイント、「目の不自由な人の手を引いてあげる」は二十ポイント、といった具合だ。ポイントをためると商品がもらえるのと、ポイントに応じて自分の親切ランクも上がっていくのだ。
豊川さんは続けた。
「ただ、親切の度合いに応じて、といっても、明確な基準がなくてはなりません。それに、親切をしたことをきちんと証明できなければなりません。そこでわたしの先生でもある黒岩博士が発明した、親切ゲージの登場、ということになるわけです。みなさんが腕につけている親切ゲージは、親切の都度、その証明とポイント加算を自動的に行うものです」
親切ゲージがあるおかげで社会が良くなったってことらしい。けど、みんなが競って親切するようになったせいで、ぼくのようにのんびりしている人はポイントを取ることができない。ぼくにはそれが悩みのタネなのだ。だいたい親切を競ってやるっていうのが変じゃないか。国民は、犯罪者や幼児などごく限られた例外を除いて、全員がドクターKが発明した親切ゲージという機械を腕につけなければならない。ぼくも小学一年生のときこの機械を右手首につけられた。一度つけたこの機械は、一生はずすことができないのだ。親切ゲージをつけている人は、だれかに親切にするたびに、ピポンという音とともに「親切ポイント」が加算されるのだ。
豊川さんの話は続いている。
「ただ、やみくもに親切な行いをするだけでは、効率良くポイントを増やすことはできません。ポイントに応じて親切ランクは上がっていきますが、たとえば私は今、親切名人です。この称号を得るためには百万ポイントが必要です。毎日百ポイントの親切を休まず続けたとしても、一万日、つまり約二十七年間かかる計算です。獲得するのがどれだけ困難なことかわかっていただけるものと思います。わたしの先生である黒岩博士は『親切王』の称号を持っていますが、これを手に入れるためには、なんと一千万ポイントが必要なのです。やみくもに親切を繰り返しただけでは、とうてい達成できない数なのです」
そうなのだ。この親切ランクというものが、ぼくにプレッシャーになっているのだ。五百ポイント達成すると十級、千ポイントで九級にあがって、以後千ポイントごとに八級、七級と位が上がっていく。小学校卒業のころはだいたいみんな四、五級になっているらしい。で、一万ポイントになると「親切初段」になって今度は一万ポイントごとに一段ずつ上がる。そして十万ポイントになると親切十段、つまり「親切士」を名乗ることができるのだ。さらにその上が親切士十人分の善行、百万ポイントで「親切名人」、そして親切名人十人分、千万ポイントで「親切王」という称号を得ることができるのだ。ぼくの町に親切士は二十人ほどいるらしいが、親切名人はいない。ドクターKのように親切王を名乗れるのは、ごく限られた人しかいないのだ。
豊川さんの演説は佳境に入ってきた。
「くだいて言うと、親切にも要領というものがある、ということです。もっと泥臭くいうと『うら技』ってことですね。効率よくポイントを稼ぐためには、効率のよい親切が必要だということです。言い換えると、親切ゲージの特性をうまく利用すれば、効率よくポイントを増やす方法があるということです」
おとうさんは、豊川さんの言うことをいちいちメモに書いている。まわりでもメモをとる鉛筆の音がするようになってきた。
「どのようにすればポイントが稼げるか、詳しいことはわたくしが書いた本『親切ゲージのすべて』で明らかにしています。みなさんにはぜひともこの本を読んでいただき、どんどんポイントを稼いでいただくようお願いします。そしてわたくしのような親切名人か、さらに上の『親切王』や『親切神』を目指していただきたいと思います」
「親切ゲージのすべて」は、今日本で一番売れている本だ。小学生にも読めるようにやさしく書き直したものも出回っている。
豊川さんの講演は終わった。会場からは割れんばかりの拍手があった。豊川さんは手を振って壇上から降りていった。
豊川さんが最後に言った「親切神」は親切王よりも上の位で、親切王のさらに十倍、つまり一億ポイントが必要な地位なのだ。これだけのポイントを得るためにはもはや親切を積み重ねるだけでは不可能で、最高の善行「自分の命をかえりみず他人を救う」という行為が必要なのだ。これにより一気に一億ポイントが加算され、親切神を名乗ることができるようになるのだ。今までに達成した人は四人いるらしいが、いずれもその時の行いがもとで死亡したらしい。生きている人で親切神になった人はいないのだ。親切神になると究極の特典が与えられる。それは、ポイントの基準を自由に変えられるってことだ。たとえば「おつかいにいく」というのは三ポイントだけど、ぼくはおつかいは苦にならないので、これを、百ポイントにするっていうのもできるのだ。もちろん変更した基準はその日から日本中で適用される。まあ、神のみが許される行為ってことだね。
「どうだ。いい話だったろう。ハヤトも、ポイントが増える親切に精を出すようにするんだぞ」
帰りの電車の中で、おとうさんはぼくに言った。そして、会場で売っていた豊川さんの著書「親切ゲージのすべて」を開いて読み始めた。
電車が駅に停車し、ぼくらの車両に松葉杖をついた男の人が乗ってきた。それを見た乗客たちは一斉に立ち上がって「さっ、どうぞ、どうぞ」と言った。男の人は、扉に一番近い席をゆずった女の人に礼を言って椅子に腰かけた。女の人はにんまりとほほえみ、「どういたしまして」と言ってつり革に手をかけた。男の人の横の席が空いてるのに座らない。座ってしまうとポイントが上がらないからだ。女の人の右手からピポンと音がした。女の人はその音を聞いてから、男の人の横に腰かけた。乗客のだれかが「ちぇっ」と言うのが聞こえた。
「ほらハヤト、見ただろ。ポイントというのはああやって増やしていくんだ」
おとうさんは女の人をうらやましそうに見て、ぼくに言った。
(つづく)




