幕間二 クストス・オルビス
拍手の雨の中、征人は片手を挙げながら、出口へと歩を進める。
だが――その背に、地鳴りのように重厚な声が投げかけられた。
「守護者殿。一つ、お願いしたいことがあるのだが……宜しいかな?」
征人の肩が、びくりと跳ねる。
彼はその場に立ち止まった。会場を満たしていた拍手が、ぴたりと鳴り止む。
「一族の守護者たる貴殿の能力……久しく観ておらぬ。この年齢になると、退屈こそが、命を蝕む一番の毒となるのだ。老人に対する奉仕だと思って、我が願い、叶えてくれぬか?」
グランド・マスターの声は、慈愛に満ちた誘惑のようでもあり、抗いがたい命令のようでもあった。
征人は動かない。
「能力」という言葉で、何を求められているのか。過去の経験から、彼にはよくわかっていた。
「……お戯れを」
征人は、低く応じた。
「我が力は、守護するためのもの。示威行為に使うのは、師の教えにも反します。どうか、お許しを」
背中越しに、拒絶の意思を示す。そのまま征人が再び歩み出そうとした、その時だった。
「そうだったな……」
グランド・マスターが、愉悦を含んだ声で笑う。
「守護者殿をやる気にさせるには、物語が必要であった。マスター・仁氏。愛弟子に贈る、物語のタイトルは……何だったかな?」
不意に矛先が向けられたのは、仁氏であった。
仁氏へと、スポットライトが注がれる。
そこには先ほどまで、たどたどしく言葉に詰まり、呆けていた頼りなげな老人の姿はなかった。
背筋を鋼のように伸ばし、毅然と立つ人物。
その瞳は、凍てつくような鋭利さを湛え、グランド・マスターのいるヴェールの向こうを、真っ直ぐに見据えている。
「……どうかお許しを」
仁氏の声は、先ほどまでの緩慢なものとは似ても似つかぬ、低く、重厚な響きを帯びていた。
「愚弟子の申す通り、示威のための武ではありませぬ」
仁氏の鋭い視線が、ヴェールの向こう側を射抜く。一触即発の沈黙が広間を支配し、空気が張り詰めた。
グランド・マスターは、小さく、重苦しい溜息をついた。
「……ふむ。仁氏も、ご高齢。タイトルを忘れてしまったらしい」
彼は事も無げに言い放ち、韻氏へと呼びかける。
「マスター・韻氏。貴方なら、覚えているのでは?」
仁氏のスポットライトが消え、代わって韻氏の姿が光の中に浮かび上がった。
その顔には、驚愕と困惑が入り混じった表情が浮かんでいる。
彼はしばらく狼狽していたが、やがて諦めたように、絞り出すような声で呟いた。
「……はい。覚えております……たしか……『王子の助命を、伏して祈る、ある姫の物語』……でしたな」
その言葉は、マイクの拡声機能によって、冷酷なまでに鮮明に広間全体へと響き渡った。
征人は弾かれたように振り返り、憤怒の形相で、グランド・マスターのいる一角を、次いで韻氏を、射抜くような眼差しで睨み据えた。
奥歯を噛みしめる音が、静寂の中で不気味に響く。
強く握りしめた拳には、自らの爪が深く食い込み、指の隙間から紅い血が滴り、床へと落ちた。
「ひっ……!」
韻氏は短い悲鳴を上げると、震える手で操作盤を叩き、スポットライトを素早く消した。
暗闇が広がり、静寂が戻る。その暗闇の底から、仁氏の低く、透徹した声が響いた。
「……明鏡止水」
その言葉が耳に届くと、征人は固く目をつむった。
視界を遮り、荒れ狂う思考を無理やりねじ伏せる。全身を突き抜けるような震えを、指先から足の先まで、必死に抑え込んだ。
彼は一度、深く、重い呼吸を吐き出した。
そして、再び背を向け、一歩、また一歩と、出口へと向かって歩み始めた。
出口に辿り着いた征人の前に、重厚な扉がそびえ立つ。
その両脇には、長い棍棒を携え、筋肉の鎧を纏った二人の門番が、彫像のごとく静かに、しかし圧倒的な威圧感をもって立っている。
彼らが重い扉に手を掛け、ゆっくりと開き始めたその時――背後から、冷ややかな、それでいて愉悦を含んだ声が、再び空気を切り裂いた。
「どうやら守護者殿は、その話には、もう飽きてしまったらしい」
征人の足が、ぴたりと止まる。
「では、別の物語はどうかな? もう一冊、手元にあるが……タイトルは――『王子の、決して報われぬ、姫への恋の物語』だ」
その題名が広間に響き渡った瞬間、征人は弾かれたように振り返り、グランド・マスターのいる一角へと、弾丸のように駆け出した。
地を蹴る音が、爆発的な衝撃となって周囲に伝わる。人間業とは思えぬ神速。
だが、彼が辿り着く前に、あらかじめ用意されていたのか、屈強な身体に様々な武器を携えた闘士たちが、壁のようにその進路を塞いだ。
「なんと! こちらの物語の方が、お気に召したようだ」
グランド・マスターの声が、愉悦を滲ませながら響き渡る。その口調は、なおも悠然としていた。
巨大なスクリーンが、重厚な機械音とともに、再び天井から降りてきて、征人と闘士たちの姿を映し出す。
「一族の皆様。こちらの六人の闘士は、軍の特殊部隊上がりの猛者揃いです。徒手空拳の人間一人、物の数ではないでしょう」
「さぁ守護者殿、哀れな老人を楽しませておくれ。闘士たちよ、銃は使うな。だが手加減無用。貴殿らの武が、守護者にどこまで通じるか……見せてもらおう」
怒り狂い、獣のような熱量を纏った征人。
その圧倒的な威圧感に晒されながらも、闘士たちは氷の如き冷静さを保っていた。
彼らは、数を頼みに一斉に飛びかかることはしない。
一歩、また一歩と、まるで獲物を追い詰める捕食者のように、音もなく、しかし確実に包囲網を狭めていく。
その計算され尽くした動きの端々からは、数多の死線を潜り抜けてきた熟練者特有の、研ぎ澄まされた呼吸が感じられた。
そのうちの一人に、征人が躍りかかる。
闘士は隙のない構えから短刀を突き出し、銀光が征人の胸元を狙う。だが、その刺突は空を切った。
征人は、まるで水面を滑るかのような神速の動作で、短刀を握る手首に指先を添え、その軌道をわずかに逸らした。
直後、彼の身体が弾丸のごとく前へと突き出される。
下から上へ、一気に、そして重厚な質量を乗せた掌底が、闘士の鳩尾を捉えた。
「――ッ!?」
衝撃音とともに、男の身体が宙に浮き上がり、床へと崩れ落ちる。苦悶に身をよじった後、そのまま動かなくなった。
しかし、一人が脱落したという事実は、残りの闘士たちの動きを微塵も乱さなかった。
彼らは慌てることなく、むしろその包囲の密度をさらに高めていく。
征人は、次なる標的へと肉体を投げ出した。
襲いかかる彼の拳に対し、今度の相手は自ら身を引き、身体を巧みに翻して攻撃を受け流すことに徹する。
打撃を次々と受け流していく闘士の動きに、征人の瞳にさらなる熱が灯る。
その刹那――。
征人の背後から、巨大な影が迫った。
一人の闘士が、重厚な長い棍棒を、まるで断頭台の刃のごとく、垂直に振り下ろした。
人の頭を叩き割るに足る、凄まじい重量と速度。
だが征人は、攻防が拮抗していると見せかけ、死角からの攻撃を誘っていた。
棍棒が振り下ろされた瞬間、彼は神速の動作で、自分の攻撃を受け流していた男の胸ぐらを強く引き寄せる。
同時に、自らは身を低くして横へと捌き、位置を入れ替えた。
「――ッ!!」
結果、棍棒が炸裂したのは征人ではなく、引き寄せられた闘士の左肩であった。
骨の砕ける鈍い、重苦しい音が広間に響く。
男は悲鳴を上げる間もなく、激痛と衝撃によって意識を刈り取られ、床へと崩れ落ちた。
「……ッ!?」
棍棒を振るった闘士の顔に、戦慄が走る。
味方を打ち倒したという動揺、そして予測を裏切られた混乱。その一瞬の隙を、征人は逃さなかった。
男の側面へと身を捌き、その後頭部へ、手刀を叩き込んだ。
「――ッ!」
闘士の膝が折れる。
そのまま糸の切れた人形のように、男の身体は床へと崩れ落ちた。
(これで三人……全く! 厄介なことになったぜ! コイツら油断できる相手じゃない! 気を抜くと……やられちまう!)
半数が倒されたにもかかわらず、残った闘士たちの瞳に動揺はない。
指揮官らしき男が短く合図を送ると、彼らは一斉に懐から伸縮式の金属棒とコンバットナイフを取り出した。
金属棒の先にナイフを取り付け、勢いよく振るう。金属の擦れる音とともに棒が伸び、長大な「槍」へと変貌した。
三人は包囲の輪を僅かに広げ、征人の間合いの外側から、その鋭利な穂先で彼を捉えようと、じりじりと距離を詰めてくる。
そして――三方向から、同時に、容赦のない突きが放たれた。
(!!)
征人は二つの穂先を見事な身のこなしで躱し、迫るもう一つの槍の柄を手刀で叩いた。
軌道を逸らし、間一髪でその死線を潜り抜ける。
だが、闘士たちはあくまで冷静だった。
一撃が躱された直後、まるで蛇が絡みつくように、鋭く浅い突きが、三方向から絶え間なく繰り出される。
「――ッ、……ッ!」
躱しきれなかった刃が、征人の纏うタキシードの生地を容赦なく引き裂いていく。
黒い布地が裂け、その隙間から覗く白い肌に、赤い線が刻まれていく。
一撃、また一撃と、執拗なまでの刺突。
床には、征人の身体から零れ落ちた血の滴が、点々と、しかし確実に、赤黒い模様を描き始めていた。
(くっ……! これはマズイ! このままではジリ貧だ……何とか……何か……ないか?!)
荒い呼吸とともに、征人の視界に熱がこもる。
一歩でも踏み込めば、槍の穂先がその喉元や心臓を貫く。
だが、一歩退けば、容赦のない刺突によって削り取られていく――。
極限の消耗戦。
征人は思考を加速させ、必死に突破口を探す。
槍を躱し、後退した征人の踵に、硬質な感触が伝わる。
床を転がる音に、先ほどの闘士が落とした棍棒だと悟った。
征人は瞬時に判断し、足元の棍棒を踵で強く踏み、宙へ跳ね上げて片手で掴み取った。
同時にジャケットを脱ぎ去り、もう一方の手に握る。
一本目の槍が迫る。最小限の身のこなしでその穂先をかわすと、二本目の槍は棍棒の重い一撃によって弾き飛ばされた。
そして――三本目。征人はジャケットを鞭のようにしならせ、その穂先に巻き付けた。そのまま、強く引き寄せる。
「ッ……!」
槍を握ったまま引き寄せられた闘士の体勢が崩れる。
その瞬間、征人は男を盾にする位置へ踏み込み、その鼻面に強烈な肘打ちを叩き込んだ。
グシャリ、と鼻骨が砕ける不快な音が響く。男は声も上げられず、崩れ落ちた。
間を置かない。
征人は、槍を弾き飛ばされた闘士へと、神速の踏み込みを見せる。
闘士は懐から別のナイフを引き抜こうとしたが、間に合わない。
全身の質量を乗せた掌底が、鳩尾に容赦なく炸裂した。
「――ッ!!」
まるで車に撥ねられたかのような衝撃。男の身体は後方へと吹き飛び、そのまま動かなくなった。
(はぁ……はぁ……! くそ……キツイぜ……!)
全身を走る熱い痛みと、激しい呼吸。
征人は血の混じった唾を吐き捨て、瞳に鋭い光を宿した。
(だが……これで……あと一人だッ!!)
荒い呼吸のたびに、肺が焼けるような熱を吐き出す。
征人は、袖で口端に垂れた涎を乱暴に拭い取ると、首元を締め付けていたネクタイを緩めて外し、床へと投げ捨てた。
もはや、先ほどまで壇上に立っていた、礼儀正しい紳士の姿はない。
ただ、生き残るために拳を握りしめる、一人の獣のような姿がそこにあった。
最後に残った闘士は、仲間が倒された動揺すら見せない。
六人から己一人となっても、その瞳には一点の曇りもなく、征人を冷徹に見据えていた。
男は、槍の穂先を無造作に外し、コンバットナイフへと戻す。
金属棒を投げ捨て、ナイフを順手に握り直すと、重心を低くし、獲物を狙う蛇のような構えを取った。
その一挙手一投足から、相手の練度と――「格」が違うことを、征人は本能的に悟る。
(指揮官か……! クソッ! 厄介なことになった……! こんな化け物、ジジイの遊びに使う相手じゃねえ……!)
相手の構えには、一瞬の隙も見出せない。
征人の目には、眼前の男が、この場を支配する本物の「死神」のように映った。
(やばすぎる……!)
征人は深く息を吸い込み、全身に力を漲らせた。両手を前に出し、身構える。
静寂が、二人の間に、重く、鋭く、張り詰める。
互いの鼓動が、爆発する直前の火薬のように熱を帯びる。
刹那――。
二つの影が、同時に弾け飛んだ。
闘士が持つ、ナイフの切っ先が、浅く、鋭く突き出される。
征人は最小限の動きでそれを躱したが、直後、死角から拳による打撃が飛んできた。
征人は、その拳を掌で受けた。
だが、相手のグローブはただの布ではない。金属の糸で編み込まれ、鉄の鋲が埋め込まれている。
「――ッ!!」
掌を焼くような熱い痺れと、骨を震わせる衝撃。
征人は怯むことなく、反撃の打撃を繰り出した。
しかし、相手はその打撃を受けながら征人の腕を絡め取り、防御動作から瞬時に関節技へと移る。
「……ッ!!」
骨が軋むような、嫌な感触。
征人は間一髪で腕を引き抜き、骨折を免れた。だが、筋を痛めたのか、鈍い痛みが腕に響く。
一瞬の攻防を終え、二人は互いに後方へ引き、体勢を立て直した。
征人の額から、冷たい汗が伝い落ちる。
激しい呼吸の合間に、思考が加速する。
(……ナイフを持つ相手は、ナイフで攻撃したいがため、意識が武器に向きがちだ。だが……コイツはその弱点を、よく理解している。いや、体に染みついてやがる! むしろナイフは囮だ。素手で俺を仕留められる自信があってこそか……全く! 逃げられるなら、今からでもそうしたいぜ!)
征人は一瞬だけ視線を逸らし、頭上の巨大スクリーンへと目を走らせた。
そこには、傷を負い、血を流す己の姿が、残酷なまでに鮮明に映し出されている。
ここで逃げ出すわけにはいかない。現当主としての立場が、それを許さなかった。
(明鏡止水か……怒りに任せると、碌なことにならん。聖仁には、よく教えとかないとな。ふふふ)
征人の口元に、微かな笑みが浮かぶ。
彼は、肺の奥深くまで息を吸い込み、それをゆっくりと、重々しく吐き出した。
そして、全身に張り詰めていた力を解くように、両肩を落とし、目をつむって立ち尽くす。
一瞬の、隙だらけの静止。
闘士は、そのあまりに無防備な姿に、わずかな躊躇を見せた。
だが、即座に思考を切り替え、躍りかかる。ナイフの切っ先で浅い突きを繰り出し、様子を窺う。
罠を警戒する、百戦錬磨の動き。
「――ッ!!」
ナイフが肉を裂こうとした刹那、征人は大きく目を見開いた。
彼は刃が身体をかすめることさえ厭わず、その懐へと一気に踏み込み、激しい連撃を叩きつける。
だが、闘士の心は、冷徹なまでに静かだった。征人の打撃を最小限の動きで捌き、間合いを維持し続ける。
互いに一進一退の、激しい攻防が繰り返される。
征人が後方へ下がった、その瞬間だった。
足元に転がっていた、先ほど別の闘士が落とした槍の柄――それが、征人の踵を捉えた。
「ッ……!?」
滑るような感覚とともに、身体の均衡が崩れる。
闘士は好機と見て、ナイフを一気に深々と突き立てようとした。
だが、征人は転倒する勢いを利用し、相手の右腕――ナイフを握る腕を、自らの脇の下へと強引に引き込む。
そしてそのまま、全身の体重を乗せてへし折った。
「――ッ!!」
骨が砕ける、嫌な音が響く。
さらに征人は、相手の腹部に足を掛け、蹴り上げるように、自らの後方へと大きく投げ飛ばした。
征人が背中から床へ倒れ込む勢いに乗って、闘士の身体が宙を舞い、その頭上を越えて投げ出される。
征人は獣のような瞬発力で、即座に立ち上がった。
視線の先では、闘士がふらつきながらも、必死に体勢を立て直そうとしていた。
右腕は不自然な方向に折れ曲がり、そして左の脇腹には――自らのナイフが深く刺さっていた。
荒い呼吸が、静まり返った広間に重く響き渡る。
征人と闘士は、それぞれ傷ついた身体を支えながら、数拍の間、動かずに睨み合った。
男は折れていない左手で、脇腹に深く突き刺さったナイフの柄を掴んだ。
そのまま、無理やり引き抜こうと力を込める。
「――抜くなッ!!」
征人の怒号が、広間を揺るがすような勢いで響いた。
「一気に大量出血して終わるだけだ! もう勝負はついた! やめだ、やめだ!」
その叫びに、闘士の身体がびくりと震え、動きを止める。
男は力なくナイフから手を離し、そのまま膝をついて項垂れた。
征人は痛む腕をさすりながら、一歩、また一歩と、無防備な姿で男へと近づいていく。
そして自身もしゃがみ込み、男の顔を見据え、低く、静かな声で告げた。
「……悪いな。アンタが強すぎて、手加減する余裕がなかった……」
そう告げると、征人は男の負傷状態を検分した。
折れた右腕、そして脇腹に深く食い込んだナイフ。出血は激しく、一刻の猶予もない。
「ナイフを抜かなくても、このままでは危険だ。出血を少なくしないと、長くはもたない。今から鍼で一時的に血の巡りを遅らせる。気持ち悪くなるが、それは我慢しろ」
征人は再び立ち上がり、床に落としていたジャケットを拾いに駆けた。
すぐさま男の元へ戻り、内ポケットから銀色の細い鍼を取り出す。
男の傍らに膝をつき、首筋や手首の三、四か所に、正確かつ迅速に鍼を打った。
「……これでいい。だが、あくまでも応急処置だ。すぐにでも手術が必要だ……ちっ! 仕方ねぇ!」
征人は勢いよく立ち上がると、暗闇の向こう、グランド・マスターのいる一角へ向けて叫んだ。
「グランド・マスター! 非礼はお詫びいたします! この者たちに、どうか緊急の手当を! 一刻を争います!」
征人の叫びに、間を置かずグランド・マスターの重厚な声が広間に響き渡った。
「守護者殿、謝罪は無用。既に、治療の用意は整えてある」
その言葉が終わるや否や、暗闇から音もなく医療班が駆け寄ってきた。
彼らは手際よく、先に倒れた五人の男たちを次々と担架に乗せ、まるで影が動くような速さで運び出していく。
そして、最後の一人――戦い抜いた指揮官の元へも、医療班の手が伸びる。
だが、男は担架を拒み、低く、硬質な声で告げた。
「……場所は知っている。自力で歩ける」
ふらりと立ち上がった男に、二人の医療班員が付き添い、その身体を慎重に支える。
男は、血と汗にまみれた征人を見つめ、一礼した。
「クストス・オルビス殿。……部下たちを殺さずにいてくださったご厚意に、心より感謝申し上げる」
短く、重い言葉を残し、男は医療班に支えられながら、静かに歩き去っていく。
その姿と礼の言葉は、巨大なスクリーンと音響設備を通じて、広間全体へと伝えられていた。
暗闇の中に、グランド・マスターの、魂を震わせるような声が再び響いた。
「一族の皆様……これこそが当主の力。そして、守護者の力です」
その声には、隠しきれない称賛の熱が、静かに、しかし確実に宿っていた。
「現当主でありながら、既に伝説と謳われる由縁を、今、皆様は目撃されたはずだ。敵を圧倒する武勇のみならず、命を奪おうとした敵さえ救い上げる、その度量……そして、その敵さえ魅了するカリスマ性――」
グランド・マスターの声が、広間の空気を熱く、重く、満たしていく。
「もはや、言葉を重ねる必要はありますまい。皆様……今この瞬間に湧き上がる、その熱い想いを、どうか我らが当主へ、お届けください」
グランド・マスターの言葉が、幕引きの合図となった。
直後、会場の照明が一気に点灯した。
まるで上映を終えた映画館のように、広間全体が眩い光に満たされる。
暗闇から解き放たれた一族の人々から、地鳴りのような拍手と、割れんばかりの歓声が沸き起こった。
その熱狂の渦の中で、征人は、ただ静かに、その光を全身に浴びて立っていた。




