初めてのワンピース
衣装は、紗奈が話をつけてくれた先輩から借りることができた。
写真で見たままの、白い襟のついた淡い水色のワンピース。実物は思っていたよりずっと軽くて、ずっと綺麗だった。
「この衣装、可愛いって言ってくれる人に使ってほしいの」
「いいんですか?」
「ええ。もう使う機会もないかもだし。私もこの衣装を着てる子を見たいの」
「ありがとうございます」
そして、当日。
午前の授業が終わり、昼休みの準備を挟んでミスコンが行われる。
控室は女の子でいっぱいだった。鏡の前に並んだ十五人が、それぞれヘアアイロンやコスメポーチを広げている。甘い匂いと、ヘアスプレーの匂い。
僕は普段ほとんど化粧をしないので、紗奈にやってもらっていた。
「目、閉じて。……はい、開けて」
「ありがとう、紗奈」
「いいのよ。私も友達に化粧してみたかったし」
鏡の中の僕は、いつもより少しだけ大人びて見えた。でも、周りを見渡すと、みんなもっと綺麗だ。
「周りの子、みんな可愛いね」
慣れた手つきで髪を巻いている子。堂々と背筋を伸ばして立っている姿。
わ、あの子本当に高校生かな?僕より、その、体のラインが良い。
急に、自分が場違いに思えてきた。
「今更なんだけど、僕と変わらない?」
「嫌よ」
「だよね。はぁ」
紗奈はブラシを動かす手を止めて、鏡越しに僕をじっと見た。何か考えているみたいだった。
「衣装、着てみたの?」
「うん。昨日家でだけどね」
「誰かに見てもらった?」
「ううん。恥ずかしすぎて、みんな寝てから着たの」
夜中に自分の部屋で、電気も点けずに姿見の前に立った。
鏡に映った自分を見て、似合ってると思えなくてすぐ脱いだ。
「蓮君に見てもらうんじゃなかったの?」
「……結局、言えなくて」
「そう」
蓮はミスコンが近づくにつれて、日に日に不機嫌になっていった。理由はわからない。聞いても「別に」としか言わないし、最近は目も合わせてくれない。
だから、言えなかった。
「衣装持ってくるから、待ってて」
紗奈が立ち上がる。
「あ、僕も一緒に」
「いいから。あんたは座って待ってなさい」
「うん」
一人になると、控室の空気がいっそう重くなった。
隣の子、栗色の髪の子が――蓮のクラスの天音さんだ――スカートの裾を整えていた。ピンクのドレスがよく似合っている。
生まれたときからずっと女の子なんだ。
こういう場所に立つことに、何のためらいもない。
僕は膝の上で手を組んだ。指先が冷たい。震えている。
体育館に人が集まってきている。開会まであと少し。
――僕、本当に大丈夫なのかな。
こんな体であの舞台に立って。笑われないかな。
何であいつが出てるんだ、って思われないかな。
「お待たせ。ほら、こっち」
紗奈が戻ってきて、僕の手を引いた。連れて行かれたのは、控室から少し離れた空き教室だった。
「あれ? ここで着替えるの?」
「そうよ。衣装は中に置いてあるから早く行きなさい」
「みんなと一緒じゃなくていいの?」
「いいの!」
押し込まれるようにして中に入る。机の上に、あのワンピースが丁寧に畳んで置かれていた。
制服を脱いで、袖を通す。布が肌を滑って、裾が膝の上で止まる。脚に触れる空気が、やっぱり心もとない。それでも、鏡を見た。
紗奈が化粧をしてくれたおかげて、昨日の夜より女の子な気がする。
「着替えたよ。どう……か……な」
扉を開けて、そこで足が止まった。
紗奈がいない。
代わりに、廊下の壁にもたれて立っていたのは、蓮だった。
「……え」
蓮がこっちを向く。
「れ、蓮? なんで」
「柊に呼ばれて。ここで待ってろって」
「紗奈が……」
やられた。あの子、最初からこのつもりで。
沈黙が落ちる。
遠くの体育館から、開会のアナウンスが聞こえてくる。
「あの、変じゃない?」
僕は裾を軽くつまんで、うつむいた。
「僕、こういうの初めてで。似合ってないなら、正直に言って。まだ引き返せる、し」
「……」
「蓮?」
「――似合ってる」
顔を上げる。
蓮は真っ赤な顔で、それでも今度はちゃんと僕を見ていた。
「すげえ、似合ってる。びっくりした。お前だってわかんなくて、一瞬」
「え」
「なんでもない」
耳の先まで赤くして、蓮は乱暴に前髪をかき上げた。
「でも、よく似合ってるよ。伊織」
「……ふふっ」
「なに笑ってんだよ」
「ううん。嬉しくて」
胸のあたりが、じんわり温かくなる。さっきまであんなに冷たかった指先に、血が通っていくのがわかった。
体育館から、放送が流れた。参加者は集合してください、と。
「行くぞ。始まる」
蓮が先に歩き出して、そして立ち止まり、こちらを振り返って手を差し出した。
「ほら」
「え」
「スカート、慣れてないだろ? 転ぶぞ」
差し出された手は、大きい男の子の手だった。僕はそこに、自分の手を重ねる。
「行こ、蓮」
「おう」
廊下に伸びる光の中を、二人で歩いていく。裾が揺れるたび、僕の脚は少しだけ震えたけれど、繋いだ手のおかげで、もう怖くはなかった。




